2015年8月10日月曜日

堀田善衛『ゴヤ』(73)「『パンと闘牛』・知識人たち」(2) : 「普遍的言語一七九七年、著者、眠れり」・・・「彼の唯一の目的は、有害にして卑俗な迷信を払いのけ、真理の信じうべき証言を、この自由なる(Caprichos)仕事のなかにおいて不朽のものたらしめんとするにあり」

ゴヤ『気まぐれ』(43番)「理性の眠りは妖怪を生む」1797-99

 版画集『気まぐれ』・・・。
 この版画集の発想がマドリード画帳にあった・・・、ゴヤの心のなかで版画集とする構想がまとまって来たときには、その題名は「夢」であり、その第一頁を飾るものが、画集中の四三番「理性の眠りは妖怪を生む」である筈であった。

 この四三番のためのペンとセピア・インクによるデッサンには、「普遍的言語一七九七年、著者、眠れり」という詞書があった。そうして、つづけて「彼の唯一の目的は、有害にして卑俗な迷信を払いのけ、真理の信じうべき証言を、この自由なる(Caprichos)仕事のなかにおいて不朽のものたらしめんとするにあり」とあった。

 普遍的言語(Idioma universal)・・・、いまやゴヤは一つの使命感に充たされているのである。それを支持してくれる知識人の友人たちもが身近にいてくれもするのである。

 これが銅版に刻まれてからの彼自身のコメントは「理性に見放された想像力は、ありうべくもない妖怪を生ぜしめる。理性と合体せしめられたならば、想像力はあらゆる芸術の母となり、その驚異の源泉となる」という、あたかも”近代”の出発を宣言するかのようなものであった。

 ここで著者(画家)は机によりかかって両手を組んで頭を抱え込み、足を組んでいる。両手と足を組む、この体形は、図像学のほうから言って、冥想、あるいは憂愁を意味する形であり、背景に羽をばたつかせている蝙蝠 - そのうちの一羽はペンをつかんで著者に書くことを要請している - と床にすわった山猫の両者は、これも図像学的に、冥想と憂愁を表象するものであった。

 ゴヤは、気まぐれなどで描いているのではまったくないのである。たとえ「気まぐれ」と題したとしても、つねに彼は時代の図像学の原則をきちんと守っている。彼は芸術的アナーキストであったことは一度もなかった。・・・その上で、彼は悪夢のような人間的諸事象に迫って行くのである。

 この「夢」シリーズは、全体で一四枚ほどあり、はじめは魔女たちがたのしげに、彼女らの仕事をしているところから描き出される。たとえば六〇番の「やってみよう」というものは、裸の魔女が、まず手はじめに宙にちょっとだけ浮き、男の耳をつかまえて引きまわしてみようとしている。但し、背後に大きく浮び上っている山羊は、集中もっとも怖しい妖怪である。

 そういういわば軽いところからはじめて、批判を糖衣でくるんだようなところからはじめて、次第に、女性の振舞い方についての批判を含む風俗、迷信、政治、そうして最後に教会に対しての明らさまな批判へと入って行くのである。・・・イメージの深まりとともに、次第に劇的となり、抽象性の度合いも高まって行く。

 また面白いことは、「夢」シリーズの方が、実際の社会風俗から取材されていて現実的であり、現実の社会、教会、道徳批判の方が夢魔的な感を与えることになっていることである。

 ・・・題名とされた Los Caprichos ということばは、・・・オスーナ公爵家のアラメーダ別邸の別名 El Capricho によってはじめてお目にかかる・・・。


 その次に出会うのは、彼が病いやや癒えて一七九四年にアカデミイ会員で友人のイリアルテ氏に絵に添えての手紙を書いた、そのなかでである。「自分の病気のことを考えてさいなまれる想像力に場所を与えるとともに(中略)、これらの作品のなかで、あの気ままさ(Capricho)と創意(invencion)が羽をのばせない注文画では普通とりえないような見方をすることに成功しました」と彼は書く。

 この「気まま」と「創意」の二語のくっついたものは、彼がカディスのマルティネス家で療養中に見た筈の、ローマの幻想画家でキュービズムの先祖のようなビラネージの版画集『牢獄』の題献に見られる。INVENZIONI CAPRIC DI CARCERI 直訳すれば牢獄の創意と気まま、ということになるものである。・・・「気まま、気まぐれ Capricho 」とは、では何を意味するか。

 私はそれが”自由”を意味すると考えている。スペイン語での自由は、言うまでもなくLibertad であり、自由、平等、博愛のフランス革命のモットーと同じである。けれどもこの当時のスペインでは(ある意味では今日でも)、このことばはフランスでのように復権をしていなかった。それは悪い意味に、自由放縦の放縦の方につねに重点をおいて解されていた。だから真の意味での、あるいは当時としてのフランス的な意味での”自由”ということばはないわけである。

 ゴヤはおそらく一七九三、四年の恢復期の頃からこの『気まぐれ』の用意をはじめたものと推定される。その後のサンルーカル画帳、とりわけてマドリード画帳にはすでに明瞭にそのかたちがあらわれており、顕著な諷刺と物語性が露呈して来ている。

「夢」シリーズだけではなくて、男女交際や、女の浅墓さ加減、結婚などについての諷刺や、教会、医師、貴族、国家社会の指導者(ゴドイ)などについての、今日でもその「普遍」性を失うことのまったくない、その「言語」は、集中にばらしてあるものをテーマ別につなぎ合せてみると、劇的な連続性をもって強く人に迫り、人々をしておそらくはモデル詮索をさせる可能性を充分にもっていた。
ところがゴヤは、出版に際して、その連続性を断ち、集中に、それこそ気まぐれに、ばらばらに散在させるということにしてしまった。
なぜか?

 ゴヤがこの版画集『気まぐれ』の制作に際して、彼の友人たちの大知識人たちからさまざまの示唆をえたことは明らかである。・・・図柄と、いわゆる寸鉄人を刺す題名は彼自身のものである。題名のあるものは、下層階枚の人々が会話にしばしば使用するスペインの諺や格言、当時の芝居のなかのせりふや小咄類からもとり入れている。題名はたしかにゴヤのものであろう、けれどもプラド美術館の文献室にのこっている詞書、コメントはどうにも少々長たらしすぎて陳腐である。おそらくこれは彼の友人の誰かが書いてくれたものであろうと推察される。
何のために?

 おそらくはあまりに痛烈な、刺激的にすぎる諷刺の効果を減殺するために。
異端者問所が動き出したりした場合のための、言い抜けをあらかじめ用意しておくために。
こう考えて来たとき、シリーズとなっているものをバラして集中に散在させるという、最終的な編集方針をとった所以がはじめて納得されるように思う。
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「理性の眠りは妖怪を生む」に関する長崎県美術館の説明
 『ロス・カプリチョス(気まぐれ)』は、1799年に出版されたゴヤ最初の連作銅版画集である。80点の版画の内容は極めて風刺的で、扱うテーマは教会の堕落、民衆の無知、恋愛や結婚、売春、魔女の世界など多岐に渡る。しかしゴヤの意図は個々の人物や事象ではなく人間の本質そのものへの風刺にあり、時代や国を超えた「普遍的言語」の確立にあった。

 「理性の眠りは怪物を生む」は連作全体の精神を象徴する場面と言える。男が机に突っ伏して眠り、背後には山猫やこうもり、ミミズクなどの動物たちが姿を表している。タイトルに従えば、男が眠ると登場する夜の動物たちは、忌まわしき旧来の制度や迷信諸悪の象徴であり、理性こそがそれらを制御し払拭すべきだという、啓蒙主義的なメッセージを読み取ることが出来よう。しかし一方で、男の左にいるミミズクが彼にニードルを差し出している点に注目すると、全く異なる解釈の可能性が浮かび上がる。つまり、男はこの版画を刻む芸術家ゴヤであり、芸術家は理性による束縛を逃れてこそ、自由な想像力やファンタジーを飛翔させることができる、と。そしてそうした「奇想と創意」こそが、芸術制作の着想源となるのだとする、極めてロマン主義的、そして近代的な芸術観の表明である

 ゴヤは1799年2月6日に本連作の発売予告の広告を打ったが、何らかの理由で数日で販売を中止し、残った240部をオリジナルの銅版とともに王立銅版画院に寄贈している。しかしながら本連作はゴヤの存命中からスペイン国外においても流布し、ドラクロアをはじめとするフランス・ロマン主義の芸術家たちに多大なる影響を与えた。

 当館は、初版の中でも最初期の刷りで、ゴヤ自身のために施された斑模様の革張りの装丁をそのまま保つ、大変貴重なセットを所蔵している。また、スペイン独立戦争(1808-14年)でナポレオン軍を駆逐するに一役買い、ゴヤがその肖像を描いたイギリスのウェリントン卿が旧蔵していたという来歴も、その歴史的価値を高めている。




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