2013年8月2日金曜日

1770年(明和7)9月~12月 モーツアルトのイタリア旅行(ボローニャ→パロマ→ミラノ) アッカデーミア・フィラルモニカ入会資格試験合格 正歌劇「ポントの王ミトリダーテ」初演 【モーツアルト14歳】

北の丸公園 2013-08-02
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1770年(明和7)
9月
・9月か10月初、モーツアルト、ボローニァでK.73u (44) アンティフォン「彼らを養いたまえり」(イ短調)作曲。
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9月22日
・モーツアルト、ボローニァから姉への手紙。
ミハエル・ハイドンの6曲のメヌエットは以前の12曲よりも気に入ったので伯爵夫人に何度も聴かせることになった、ドイツ風のメヌエットに対する好みをイタリアに持ち込みたい、イタリアのメヌエットはまるでシンフォニーをすべて演奏するほど長いと不満、を述べる。
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9月29日
・モーツアルト、「ポントの王ミトリダーテ」(K.87)の作曲開始(父レオポルトの妻への手紙)。
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10月4日
・モーツアルト、サン・バトローニ大聖堂の祝日に参加。
この日からマルティーニ神父の所へ通い、特に対位法と声楽に関する様々な技法を学ぶ。
神父は天才少年を指導し、ボローニャのアカデミア・フィラルモニカの対位法の試験を受けさせる。
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10月9日
・モーツアルト、アッカデーミア・フィラルモニカ入会資格試験合格。
アンティフォン「クェリテ・プリムム・レーニュム・デイ(まず神の御国を求めよ)」(K.86(73v))を半時間で作曲。満場一致で名誉会員に推薦。
会員資格はこのアカデミアで学んだ20歳以上の者でなければならない。
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10月10日
・モーツアルトに入会許可証交付。
「ザルツブルクのヴォルフガングス・アマデウス・モーツァルト氏が、1770年10月9日、当アカデミーの作曲家会員として入会したことを証する」
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10月12日
・マルティーニ師、モーツアルトの楽才に関する証明書を認める。

ボローニア、1770年10月12日 ザルツブルク領主大司教貌下の宮廷音楽のマエストロにしてザルツブルク出身の14歳の騎士、ジョヴァンニ・アマデーオ・ヴォルフガンゴ・モーツァルト氏の様々な様式傾向をもつ数曲の音楽作品を審査し、数度に渡ってそのチェンバロ、ヴァイオリン演奏、歌唱を聴いた本署名人は、このマエストロが前述の音楽を完全にマスターしており、署名人を深く驚嘆させたことを証明する。署名人は様々な試験に立会い、特にチェンバロの試験に深くかかわった。様々な主題を即席で演奏させたが、彼はすべてを完璧に芸術性豊かに演奏した。署名人は本証明書を自ら起草、署名したことを確認する。 
F.ジャンバティスタ・マルティーニ フランチェスコ会修道士
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10月13日
・モーツアルト一家、ボローニャ出発。
14日、パルマ到着。
18日午後5時、ミラノ到着。
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10月19日
・モーツアルト、「ピアノのためのコンチェルト・ロンド」イ長調(K386)作曲。「ピアノ協奏曲」第12番K414の第2ロンドとして作曲。
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10月20日
・モーツアルト、ミラノから母へ手紙。
オペラ「ポント王ミトリダーテ」のレチタティーヴォをたくさん書いたため指が痛いと伝える。
この頃、声変わりで不快。「千一夜物語」を愛読。
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11月1日
・スペイン、カルロス2世没。フェリペ5世後継。仏ブルボン家(ルイ14世孫)より、ハプスブルク王家絶える
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11月4日
・エジプト、マムルーク朝アリー・ベイ、シリア侵攻
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11月24日
・後桜町天皇(女帝)、英仁親王に譲位。英仁親王は第118代の後桃園天皇となる。
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11月26日
・モーツアルト、フィルミアーン伯爵邸で音楽会
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12月14日
・イギリス音楽史家チャールズ・バーニー、ルソーを訪問。
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12月16日
・ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン、ボンに誕生。父ヨーハン、ケルン帝侯宮廷楽師、母マリア・マグダーレナ。第二子。
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12月24日
・フランス、外務大臣エティエンヌ・ジョアズール(51)、失脚。
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12月26日
・モーツアルト(14)、正歌劇「ポントの王ミトリダーテ」 (K87=K74a)、ミラノ大公城内劇場で初演。27・29日再演。'71/1月にも20回上演。

9月29日~12月末、ボローニァからミラノにかけて、オーストリア領ミラノ総督フィルミアン伯爵の注文により序曲と3幕25曲を作曲。
台本は7月27日に受取り。9月29日レシタチーヴォから作曲開始。
12月上旬までの約1ヶ月半の間に行なわれ、ほとんど1日に1~2曲というスピードで作曲。
12月初、第1回レシタチーヴォの練習、8日第2回練習、12日一部楽器をつけての練習、17日フル・オーケストラによる練習、21日レシタチーヴォの練習、19、22、24日は劇場での総練習。
26日初演、大成功。
オペラ・セリアでは例のないプリマ・ドンナのアリアがアンコールされ、翌日の再演でもまた2曲のアリアがアンコール、その後も満員の聴衆を前に20回ほど上演。
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