2013年8月31日土曜日

堀田善衛『ゴヤ』(1)「スペイン・光と影」(1) 「どこまでも、この強烈かつ極端な”スペインの光と影”がつきまとって来る」

竹橋のムクゲ 2013-08-27
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堀田善衛『ゴヤ』読書ノート
私の手元にある堀田善衛さんの朝日文庫版『ゴヤ』(全4巻)は、「第1刷1994年8月15日」となっており、「4 Dec '94」(読了年月日)との自分のメモ書きがしてある。
どうやら、第1刷を購入して、その年の年末には読了したようだ。

記憶では、'94年の読了以降、あと2回は再読している筈だが、この再読は、失礼にも、かなりの流し読みだったので、いずれ精読したいと念じていた。
さてさて、いつまでかかるやらわからぬが・・・、今度はゆっくり読んでゆこう。

夏は堪えがたき日光に身をさらし、
冬は針よりも鋭さ氷雪をおかすのじゃ。
『ドン・キホーテ』(セルバンテス、永田寛定訳)より

堀田善衛『ゴヤ』(1)「スペイン・光と影」(1)
どこまでも、この強烈かつ極端な”スペインの光と影”がつきまとって来る

この章(「スペイン・光と影」)は、ゴヤを理解するための地ならしとして、地勢、気候、歴史、文化などの面からスペインについて語られているものであるが、何しろ

「スペインは、語るに難い国である。」

で始まるくらいに混沌としている。

その混沌とした語りの一つの収斂として、ここでは、著者は、
「スペイン的な極端さというものを設定することも可能な筈である。」
とする。

そして、こう続ける。

「たとえば、『ドン・キホーテ』その他の騎士物語にみられる極端な女性崇拝と、その対極としてのドン・ファン物語に見られる、いわば女性略奪による名誉形成に関する説話。

女性に関しては、貞潔についての極端な強制をするカトリックの教えと、たとえば宮廷や貴族社会に見られる、まことにわが国の平安時代を思わせるほどの自由性愛、放縦さ加減。

また、地上に在り、かつ威厳をもって立ちうる唯一のものは男性であり、女性は第二の、といぅよりは男性の附属晶であり、第三の創造物は牛である、という説話(女と牛とは秘密の話が出来る、という迷信さえがあった)。これと、極端なまでの聖母信仰。」

だが、こう書いたものの、著者は、やっぱりこれではなんだか分りにくいと判断されたようで、以下へと続く。

「・・・、もう少し具体的な、つまりは眼に入りやすい例をひくとすれば、それは前述の都市サラゴーサと周辺の田舎でもよいのだが、典型的な例としてマドリードをあげてみよう。

マドリードは、スペインのほぼ中心に位置しているが、その中心とは、これを権力と経済の面から見れば、これはまさに蜘蜂の巣の中心にはいつくばっている蜘蛛そのものなのである。巣のどのようなはしっこにひっかかる飼をも吸いあげてしまう。

スペインの都市は残酷なものである。周辺からすべてを吸い上げてしまって、如何なる意味でも還付を、反対給付をすることがなかった。
都市の中心にある大聖堂、宮殿、領主の邸館、銀行などは、みな周辺の村々やその自然とはまことに対照的なまでに豪壮である。
そうしてここで言う都市の”周辺”あるいは”田舎”には、スペイン国内だけではなく、かつては中南米、北阿、イタリア、フィリピンまでが入っていた。すべてスペインの都市が吸い上げるための植民地であったのである。

しかもなお「あらゆる都市はマドリードのために働く、しかもマドリードは誰のためにも働きはしない」と言い切る歴史家さえがある。

ことがスペインにかかわって来るとき、どこまでも、この強烈かつ極端な”スペインの光と影”がつきまとって来る。」

と、いうのであるが、うーん、これでもなんだかなあ・・・。

とりあえず、「強烈かつ極端な”スペインの光と影”」を最初のキーワードとして記憶しておこう。

以下、
スペインとはどういう国なのか、スペイン人とはどういう人々なのか、この章を辿ってゆくことにする。

スペインは寒い国でもある
「首都であるマドリードは、この国のほぼ中心に位置しているのだが、緯度で言えば、日本の盛岡に大体同じいのである。

そうして、海抜六四六メートルの高原にあり、この首都を擁する地域、新カスティーリア地方をとりかこむ三つの山脈には、それぞれ標高二四三〇メートル、一八〇〇メートル、二六六〇メートル、一五五八メートルの高さをもつ山々がそびえ、ほとんど四季を通じて雪が見られる。暑熱の夏でも、どこかに残雪がこびりついている。・・・

鉛色の空の下の、寒く陰気なマドリードを、ひいてはスペイン全体を想像してみて頂きたいものである。
スペインは寒い国でもあるのである。」

600年間のローマ時代、800年間のイスラム時代をもつスペインの歴史
「・・・画家ゴヤの生地アラゴン地方の、首都サラゴーサなる地名も、スペインの歴史の一端をのぞかせてくれるものである。

この町は元始、スペインの原住民族の一つであったケルト族とイベロ族の混合種族によってサルドゥーバと呼ばれていた。
これが、後に入って来たローマ人によってカエサラウグスタ(ローマ皇帝アウグストゥス)と称され、その後にモーロ人(北アフリカ系イスラム教徒)たちが入って来てサラコスタと訛称され、そこから現今のサラゴーサという呼び名が出て来ている。
六〇〇年にわたるローマ時代のスペイン、そうして八〇〇年にわたるイスラム時代のスペインということになると、これはもうわれわれ日本人の歴史感覚には、ほとんど受けつけかねるほどの事態であろう。」

世界帝国の建設者としてのスペイン人
「・・・ある時期にスペインは、シチリー島を含む南部イタリアの大部分、サルディニヤ、さらに現在のオランダ、ベルギーにあたるネーデルランド、フランスのブルゴーニュ地方、北伊のミラノ地方、大西洋をわたって北米のテキサスから、メキシコ及び中米を経てブエノスアイレスまで、アジアではフィリピン諸島に、マリアナ・カロリン群島までを領有していたとなると、われわれとしては、かつて極東シベリアからトルコの国境までを領有していた中国をでも想像してみなければならなくなる。

かくてこんなにも広大な世界帝国の建設者としてのスペイン人なるものを、これはいったいいかなる人間であったのかと想定をすることは、困難、というよりも、われわれ日本人にとっては、それはほとんど不可能であろう。・・・」

「さらに、そういう広大なスペイン世界帝国の王者であり、同時に神聖ローマ帝国の皇帝をもかねていた国王の一人が、ウィーンのハブスプルグ家から来ていて、王位についたはじめの頃はスペイン語も話せなかったとなると、そういう国家、政治というものを、われわれはどう理解したらよいのか。」
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(つづく)

ゴヤ〈2〉マドリード・砂漠と緑 (朝日文芸文庫)





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