2013年8月21日水曜日

明治37年(1904)2月4日~6日 対ロシア開戦決定(閣議、御前会議) 日本連合艦隊、佐世保発進 小村外相、ロシア公使に国交断絶通告 ロシア駐在大使、ロシア外相に最後通告手交

京都 建仁寺 2013-08-13
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明治37年(1904)
2月4日
・対ロシア開戦決定
午前中、閣議
午後2時25分~4時30分、御前会議。
出席者:枢密院議長伊藤博文、枢密顧問官山縣有朋元帥、参謀総長大山巌元帥、枢密顧問官松方正義、枢密顧問官井上馨(以上、元老)、首相桂太郎大将、海相山本権兵衛中将、蔵相曾禰荒助、外相小村寿太郎、陸相寺内正毅中将。
対露交渉中止・国交断絶を決定。

午後8時、山本海相、竹敷・佐世保・呉軍港に対しロシア艦隊が敵意を示すときは「直ニ之ヲ撃破スベシ」と下命。
午後9時30分、参謀本部、第12師団長井上光中将に韓国派遣部隊の派遣下命。

夜、枢相伊藤博文、子爵金子堅太郎にアメリカの日本支援工作のため渡米要請。
金子は一晩の猶予をもらって考えるが、米国説得の自信は持てない。伊藤は金子に、「今度の戦争は、陸海軍ともに成功の見込みはない。日本は国を賭して戦うわけで、勝敗は眼中にはない。露軍が大挙して九州海岸に来襲することとなれば、自分も卒伍に列し、武器をとって奮闘するつもりだ」と説いてアメリカ行きを納得させる。
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2月4日
・肺結核予防令公布。
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2月5日
・韓国臨時派遣隊(第23旅団長木越安綱少将指揮「コロク隊」2,252人、佐世保東方東浦で輸送船に乗込み。

午前11時、山本海相・伊東軍令部長・伊集院次長ら参内、「大海令第一号」裁可。
(既に軍令部参謀山下源太郎大佐に持参させ、第三艦隊参謀長中村静嘉大佐と東郷聯合艦隊司令長官に、封密命令として手交済み)
「露国ノ行動ハ我ニ敵意ヲ表スルモノト認メ、帝国艦隊ヲシテ左ノ行動ヲ収(と)ラシメラル。
一、聯合艦隊司令長官並ニ第三艦隊司令長官ハ、東洋ニ在ル露国艦隊ノ全滅ヲ計ルベシ。
二、聯合艦隊司令長官ハ速ニ発進シ、先ヅ黄海方面ニ在ル露国艦隊ヲ撃破スベシ……。
三、第三艦隊司令長官ハ、速ニ鎮海湾ヲ占領シ、先ヅ朝鮮海峡ヲ警戒スベシ」

午後1時30分、山本海相、東郷司令長官(58)・第3艦隊司令長官片岡七郎中将に、午後5時に密封命令の開封指示。
更に、海相は、各鎮守府司令長官・要港部司令官に作戦命令発出を伝え、佐世保と韓国南西岸の八口浦、対馬と韓国・鎮海湾を結ぶ海底電線敷設を指示。

軍令部長伊東大将、東郷・片岡両司令長官に対し、「其ノ行動及目的等ハ内外ニ対シ極メテ秘密ニ保ツ」よう注意を与え、京城の海軍武官吉田増次郎少佐に「義州府電信線」「元山津以北電信線」の切断を命じた。

午後2時、外相小村寿太郎は栗野慎一郎駐露公使に対して「日露交渉の断絶および帝国の独立行動に関し露国政府に通告するの公文訓令」(最後通告、国交断絶通告)を発し、ロシアからの引き上げを指示。
6日、公使はこれを直ちにロシア政府に伝えた。
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2月5日
・この日、「朝日新聞」は従軍のために佐世保軍港に待機させていた2記者(上野、吉村)に対する乗船不許可通告を海軍省から受ける。
海軍は、どの新聞社にも従軍記者の乗船を許可しない方針で、陸軍は、報道各社に対して、一軍につき記者1名の従軍を許すのみだった(陸軍は四軍編成で戦争に臨んだ)。

しかし、現実には従軍費用もかかるので、思うように記者を派遣できない新聞社も多かった。
「読売新聞」は「記者多数特派」を紙面で予告したものの、現実には全軍合わせて1名しか記者を派遣できなかった。
「時事新報」は江森泰三、「中央新聞」は岡田雄一郎、「東京日日新聞」は岡本綺堂を従軍記者として派遣した。
「中外商業新報」(「日本経済新聞」の前身)は特派員を出せず、海外新聞の記事から客観的情報を収集し、経済問題と絡めた紙面を構成した。

大資本の「朝日」は、記者を派遣できない地方新聞の枠を借りて一軍当たり複数の記者や写真技師を送り込み、当局もこれを黙認した。
「朝日」は、正式に許可を受けた第一陣特派員として、「大阪朝日」から鳥居素川と小林竜洲が第一軍に従軍。素川は5月半ば、「東京朝日」の小西海南と交代して帰国。
第二軍へは「東京朝日」より上野靺鞨、弓削田秋江が、第三軍へは「東京朝日」から半井桃水、「大阪朝日」から大村琴花が、第四軍へは「大阪朝日」の吉村胆南と「東京朝日」の熊谷飛熊夢が従軍した。
さらに「朝日」は、その後の戦局の進展により、順次、各軍に従軍記者を増派した。彼らの活動によって「朝日」は部数を大いに伸ばすことになる。

また、画家の久保田金僊(きんせん)のように自費で従軍する者もいた(彼もまもなく「朝日」と契約し、戦地から戦場画を送るようになる)。
写実主義を唱える田山花袋も、まもなく博文館から従軍記者として派遣される。
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2月5日
・美濃部亮吉、東京に誕生。
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2月6日
・仁川港。
巡洋艦「千代田」(艦長村上格一大佐)はロシア艦「ワリヤーグ」「コレーツ」に挟まれて停泊。
翌27日深夜、「千代田」は仁川を離れ、第4戦隊に合流。
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2月6日
・午前1時、佐世保の連合艦隊旗艦「三笠」に司令官集合信号。
連合艦隊司令長官東郷平八郎中将より勅語・「大海命第一号」・海相訓示を朗読、作戦命令「聨隊機密一〇二号」下命。

海相訓示
「乃(すなは)チ帝国ハ、其ノ韓国ニ於ル利益ノ自衛卜満州ニ於ル既得権利ノ擁護トヲ全(まつと)フセンガ為メ、今ヤ断然自由行動ヲ取ルノ止ムヲ得ずルこ至レリ」

「聨隊機密一〇二号」
「聯合艦隊ハ上命ニ基キ、明六日当港ヲ発シ、可成(なるべく)行動ヲ隠蔽シテ急速黄海ニ進出シ、旅順及ビ仁川方面ノ敵ヲ撃破スルト同時ニ、韓国京城占領ノ目的ヲ有スル陸軍兵ヲ仁川若クハ牙山付近ヨリ揚陸セシメントス」
「仁川方面ニ於ル作戦ノ計画実施ニ就テハ、凡テ(第四戦隊)瓜生司令官ニ一任ス」

連合艦隊の本来編成
第1艦隊:第1、第3戦隊、第1、第2、第3駆逐隊、第1、第14(水雷)艇隊。
第2艦隊:第2、第4戦隊、第4、第5駆逐隊、第9、第20(水雷)艇隊。

第1、第20(水雷)艇隊を韓国西岸警戒に充て、残りを「旅順口部隊」「仁川部隊」に分ける。
旅順口部隊:
第1、第2、第3戦隊、第1、第2、第3、第4、第5駆逐隊、仮装水雷母艦「春日丸」「日光丸」、給炭輸送船「金川丸」
仁川部隊:
第4戦隊(「浪速」「明石」「高千穂」「新高」)、巡洋艦「浅間」(第2戦隊)、第9、第14(水雷)艇隊、陸兵輸送船「小樽丸」「大連丸」「平壌丸」

午前9時、出羽重遠少将の第3戦隊を先頭に日本連合艦隊、佐世保発進。
釜山沖でロシア義勇艦隊会社所属汽船エカテリノスラフ拿捕。
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2月6日
・午後4時、小村外相、ロシア公使ローゼンの来訪を求め、日露交渉打ち切り、国交断絶を通告。日本退去を要求。ここに両国は「自由行動」つまり事実上の交戦状態に入った。
ローゼン公使は、7日に日本を去る予定であったが、遅れて22日横浜港発のフランス船で帰国。
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2月6日
・ロシアの日本権益保護を米に依頼することを、高平小五郎駐米公使に訓令。
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2月6日
・政府筋の意を体して外交交渉での平和解決を主張し続けた「東京日日」、「帝国の国是」で、「事情己むを得ざるあらば我は寧ろ利を戦争の上に収むるの計をとらざるべからざるなり」と主戦論に転じる。
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2月6日
・午後4時(日本時間午後11時)、ロシア駐在日本公使栗野慎一郎、外務大臣ラムズドルフに最後通告書、公使館撤去の公文手交。
即日、栗野公使・公使館員、ペテルブルクを離れる。
この通告書は、国交断絶と、「自ら其の侵迫を受けたる地位を鞏固(きようこ)にし且防衛する為め最良と思惟する独立の行動を採ることの権利を保留す」(武力行使をふくむ行動の自由の権利を行使す)ることを宣言。事実上の戦争状態宣言。
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2月6日
・米メリーランド州、南部諸州にならって黒人の公民権剥奪。黒人に対する暴力が継続。
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