2016年8月12日金曜日

天才たちの芸術革命 フィレンツェ ”ルネサンス”物語 (その3終 ; ミケランジェロ Vs. レオナルド Vs. ラファエロ)  (美の巨人たち2016-06-16、25)

天才たちの芸術革命 フィレンツェ ”ルネサンス”物語
(その3 ; ミケランジェロ Vs. レオナルド Vs. ラファエロ) 
(美の巨人たち2016-06-16、25)
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■レオナルド・ダ・ヴィンチ作 1497年 『最後の晩餐』
サヴォナローラ時代のフィレンツェでボッティチェリが忘れられた存在になってゆくのと反対に、
ミラノのレオナルドは円熟期を迎えていた。

■ミケランジェロ・ブオナローティ作 1498-99 『ピエタ』
サヴォナローラの時代には、ヴェネツィア、ボローニャ、ローマに移住

■レオナルド(1452-1519) Vs ミケランジェロ(1475-1564)
ピエロ・ソデリーニ時代のフィレンツェ

ヴェッキオ宮殿レオ10世の間の絵に描かれたレオナルドとミケランジェロ

レストラン「イル・ペンネッロ」の絵にもレオナルドとミケランジェロが描かれている
この店はアルベルティネッリというルネサンスの画家が、
画家仲間の交流の場として16世紀初頭に始めたもので、
レオナルドやミケランジェロもヴェッキオ宮殿で仕事をしていたので、
ここを訪れたという言い伝えがある

■ミケランジェロ・ブオナローティ作 1504年 『ダヴィデ像』
レオナルドは、ダヴィデ像の設置場所を決める委員会のメンバ
レオナルドは、屋内の設置を提案するが、
ミケランジェロはこれに猛反発
結果的には、ミケランジェロの主張通りヴェッキオ宮殿の前に設置される

■ヴェッキオ宮殿「五百人広間」の絵
レオナルドとミケランジェロに依頼
レオナルドは独自の油絵具を開発するが、これに失敗
ミケランジェロは下絵の途中で、新たに依頼された仕事のためにヴァチカンへに向かう

結局、レオナルドは壁に下絵を描き、
ミケランジェロは下絵を描かず、デッサンだけを残して、
「五百人広間」の絵は頓挫する
(のちに、ヴァザーリが壁画を描く)


■三巨匠の登場
レオナルド、ミケランジェロにラファエロが加わる

■レオナルド・ダ・ヴィンチ作 1503年頃 『モナ・リザ』

ラファエロの「モナ・リザ」のスケッチ
「モナ・リザ」はジョコンド家の祝福のために描かれた
ラファエロはレオナルドに気に入られていたので
「モナ・リザ」を見て感動し、模写した

「モナ・リザ」を光学的な新しい画像処理の方法で1000以上の層に分解したところ、
「モナ・リザ」の下に描かれた3人目の女性の肖像が現れた

■ルネサンスの三巨匠がフィレンツェで同時に聖母子を描いていた
ラファエロ・サンツィオ作 1505-06 『ひわの聖母』

レオナルド・ダ・ヴィンチ作 1508作 『聖アンナと聖母子』
ラファエロの『ひわの聖母子』は理想的な三角形の構図が特徴的
(聖母 イエス ヨハネの信頼関係 調和と安定を表している)
それは、レオナルドの『聖アンナと聖母子』の三角形と同じ
ラファエロは間違いなくレオナルドから学んだ
レオナルドは『聖アンナと聖母子』の下絵をフィレンツェの教会で公開した
ラファエロは恐らくそれを見た

ミケランジェロ・ブオナローティ作 1506-08 『聖家族』
ミケランジェロの聖母は身体をねじらせ視線を上に向けている
これは天井へ向かうイエスの未来を表している

ラファエロは、この動きを幼いイエスに取り入れ
三角形の構図の安定感だけでなく、イエスの未来を表現した
ドーニ家でラファエロは『聖家族』を見た

そして、
レオナルドは再びミラノへ、
ミケランジェロとラファエロははローマへと旅立つ。







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