2016年8月19日金曜日

バドミントン日本代表を変えた“シャトルコックの皇帝”朴柱奉をご存知だろうか (慎武宏 ライター/S-KOREA編集長) / “世界一の連係”が導いた劇的勝利 タカマツペア、バド史上初の金メダル(平野貴也)  ; 「・・・本当に朴(柱奉ヘッドコーチ)さんとテイさん(中島慶コーチ)が日本のバドミントン界にいなければ、今の私たちはない。代表に初めて入った時のコーチがテイさんじゃなければ、私たちは代表に入っていないと思う。・・・」


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その名は朴柱奉(パク・ジュボン)。1964年生まれの52歳で、韓国ではかなりの有名人である。現役時代はシングルス公式戦103連勝、国際大会の優勝67回という前人未到の記録を打ち立て、1992年バルセロナ五輪では男子ダブルスで金メダルを獲得。韓国では“シャトルコックの皇帝”、“バドミントンの神”とも言われている。

しかも、その名は世界にも轟き、バドミントンが盛んなマレーシアやインドネシアでは今もサイン攻めになるほどの絶大な人気を集めている。韓国では彼の名を冠した『PJBスポーツ』というバドミントン・ブランドもあるほどなのだ。

そんな朴柱奉がバドミントン日本代表のヘッドコーチに就任したのは2004年11月のとこ。2008年北京五輪では末綱聡子&前田美順ペアがベスト4進出、2012年ロンドン五輪では藤井瑞希&垣岩令佳ペアが銀メダルを獲得。着実に結果を残してきた。

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「黄金の連係」を引き出したコーチたち

 黄金の連係力。まだ大きな成果を挙げていない時代に、その力を見抜いて成長を信じたのが、世界のダブルスを知る2人の指導者だった。松友は、その名前を挙げて感謝を示した。

「日本代表に入って勝てなかったときから、ずっとテイさん(中島慶コーチ)は、いつか私たちを勝たせたいという思いで、たくさん練習させられ……させて下さった(笑)。本当に朴(柱奉ヘッドコーチ)さんとテイさんが日本のバドミントン界にいなければ、今の私たちはない。代表に初めて入った時のコーチがテイさんじゃなければ、私たちは代表に入っていないと思う。本当に感謝しているし、お世話になったテイさん、朴さんがベンチに入った試合で勝てて本当に良かった」

 勝った瞬間、選手が驚くほどの速さでコートに飛び出した朴ヘッドコーチと女子ダブルス担当の中島コーチのことだった。

 朴ヘッドコーチは韓国人で1992年バルセロナ五輪の男子ダブルス金メダリスト。男子複でも混合複でも勝ちまくった「ダブルスの神様」だ。中島コーチは元の名前を丁其慶といい、中国代表として男子の団体戦であるトマス杯優勝に貢献したメンバーの一人で、ダブルスの選手だった。中島コーチは、高橋、松友が金メダルを取る姿を想像できていたのかという質問に「最初から、そのつもりだった。(注目したのは)コンビネーション。ダブルスは、簡単じゃない。時間が必要。うちのヘッドコーチだって、パートナーをチェンジしていれば、私が勝てたかもしれない」と笑い、現役時代に超えられなかった朴ヘッドコーチとの戦いを例に挙げて、連係の重要性を説いた。

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