2024年6月23日日曜日

【沖縄戦、79年前の今日】 1945年6月23日 『第32軍の終焉』 掃討作戦 / 牛島司令官の最期 / 学徒への斬り込み命令 / 本当の勇気 / 生と死の淵 / 6月22日 『アメリカ世(ゆ)の始まり』 アメリカ世(ゆ) / 米軍記録 摩文仁司令部壕の最期 / 司令部壕、最後の晩餐 / 死者の畑 / アダンの陰に / 6月21日 『米軍の勝利宣言』 摩文仁の占領 / 沖縄の少年兵 / 包囲の摩文仁司令部壕と送別の宴 / シーガーアブの土 / 追われる女子学徒 / 「うつろな目の少女」/ 日本兵に殺される / 6月20日 『方面軍からの感状』 摩文仁に到達 / 残虐と寛大 / 「本土のための戦略持久戦」に感謝状 / 金武の住民移送 / 背後から日本兵に殺される / 6月19日 『無敵皇軍参謀たちの最後の姿』 参謀たちの脱出 / 復讐という名の住民虐殺 / ひめゆり解散という名の追い出し / 女子学徒の処刑 / 摩文仁の死の道 / 「沖縄戦デジタルアーカイブ」では、戦争体験者の足跡・戦没者の分布と、記録写真を閲覧できます      

 

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大手町の森は素敵ですが、だから神宮外苑、日比谷公園と葛西臨海公園の何千本の樹木を伐採してもいいわけではないです。 尚、大手町の森を作ったのは地権者で、小池知事じゃありません。彼女がこのようにして功績を自分のものとするのは誠実でない。 こんな投稿はあまりにも恥知らずですね。(ロッシェル・カップ)

2024年6月22日土曜日

8年前の記者会見。「良い成績だったよ」=「首席卒業」。  記者「カイロ大学を首席で卒業されたという経緯について」 小池知事「『良い成績だったよ』と言われたことは事実でございますので、喜んでその旨をその当時書き込んだ」 / 舛添要一氏は「首席卒業なんてすごいね!」と小池氏に言ったら「社会学部の学生は私1人だったから首席でありビリでもあるのよ」と返され「そんなこともあるのかと思った」と言ってましたよ。   

岸田首相のプレゼンシート。まったくタマシイが入ってない。聞いている方が馬鹿にされてるみたいでムカつく。早く退場して下さい。

 

大杉栄とその時代年表(169) 1895(明治28)年10月16日~25日 三浦梧楼ら事件関係者(48人)全員日本召喚、広島刑務所収監 送還者名簿に「領事官補堀口九万一、従者与謝野鉄幹」あり 子規、松山を出立、大阪・奈良を経て帰京 台湾の組織的抵抗終結 第1回時代祭     

 

妙國寺蘇鉄之図。寛延3年(1750年)

大杉栄とその時代年表(168) 1895(明治28)年10月15日~31日 一葉日記 「文学界」同人評(眉山、孤蝶、禿木、秋骨、上田敏) 文名が上がるに伴う不安 しかしもはや引き返すことはできないという自覚 より続く

1895(明治28)年

10月16日

台湾、第2旅団、鳳山を占領

10月16日

愛媛県尋常中学校住田昇校長休職を命ぜられ辞任。横地石太郎教頭、校長事務取扱いになる。

4年生の今井嘉幸が首謀者といわれ、住田昇校長排斥のストライキ起る。漱石は、生徒たちの態度に不快を覚える。

10月17日

政府、三浦公使の解任・召喚、小村の後任公使任命を決める。

10月18日

朝鮮、三浦梧楼ら事件関係者(48人)全員日本召喚命令。~22日。広島刑務所未決監の収監。

翌明治29年1月14日、第5師団軍法会議で楠瀬中佐以下全員無罪。

20日広島地裁の予審で全員免訴。

25日帰京。「沿道到る処、多人数群して、万歳万歳の声を浴せ掛け」られる(三浦談)。

杉村濬書記官は、広島の法廷で、この行動は「大鳥、井上両公使ノ所為卜同一ニシテ、其ノ手段ハ遙ニ昨年七月ノ挙ヨリ穏和ナリシ」と主張、今回の事件を「過失卜為シ、若クハ罪戻卜認メナバ、何故ニ昨年ノ挙ヲ是認シタルヤ」と開き直り、「政府ハ既ニ昨年ノ挙ヲ是認シタル己上ハ、後任(三浦梧楼)公使ガ其例ニ倣ツテ行ヒタル本年ノ挙モ亦是ヲ貴ムルヲ得ザルモノト確信」すると論じる。

事変は、朝鮮に対する「戦争」は継続中との認識のもとに出先機関が引き起こしたものであるが、日本政府指導者も共通の認識にたつ。事変後急派された井上馨大使は、小村寿太郎公使と連名で「我兵ヲ王宮ニ入ルルハ安寧秩序ヲ維持スル必要手段」三浦公使らの行動を擁護し、もし、彼の行動を否定するならば、「我兵ヲ此ノ国ニ駐屯セシムルハ何ノ為ナルヤ」と問い、「甚ダ了解ニ苦シム」と述べる。日本がこの態度を改めるには、国際世論の圧力と朝鮮民族の抵抗の激化が必要。

送還者名簿に「領事官補堀口九万一、従者与謝野鉄幹」あり。

鉄幹は事件当時不在で、広島で簡単な取調べのあと釈放(関係者の家族と同じ程度の扱い)。この年4月渡韓(日本語学校、乙未義塾教師として)。22歳。領事館に仮住まいして堀口と親しくなる。鉄幹はその後2度渡韓。明治30年の3回目は、欧州留学の資金稼ぎのため民間人には禁じれている朝鮮人参売買に手を出し、散々な目にあう。晶子に出会うのは明治33年。

関係者のその後:

三浦梧楼:枢密顧問官。

堀口九万一:ブラジル公使など歴任。

安達謙蔵:内務大臣、逓信大臣。

柴四郎:前後7回代議士当選。

小早川秀雄:九州日日新聞社長。

楠瀬幸彦:陸軍大臣。

岡本柳之助:明治45年上海で客死。

堺益太郎(巡査):統監府警保局警視として旅順監獄で安重根を取調べ。安を親切に取り扱い、安に「安応七(重根の別名)歴史」を書かせたと言われる。

10月19日

台湾民主国大将軍劉永福、ドイツ商船に乗って厦門(アモイ)に逃亡。兵は四散する。

10月19日

西園寺公望外相臨時代理、陸奥外相に「朝鮮一件」は「一大獄」となると思うと書く(陸奥宗光宛西園寺公望書状、10月19日)。実際には、三浦の免官のみ。

10月19日

子規、この日朝9時、西予丸で松山を出立、宇品に向う。広島、大阪、奈良を経て帰京。(21日須磨保養院、22日大阪、26日奈良、29日再び大阪、東京に向かう)


大阪での句

朝寒や蘇鉄見に行く妙国寺

妙国寺は堺にある日蓮宗の寺で、「本能寺の変」の時に徳川家康が滞在し、森鴎外『堺事件』の現場でもある。フランスの水兵と堺警備の土佐藩士が衝突し、10人を超えるフランス側の死者を出したため、幕府がフランスに賠償金を払うとともに、土佐藩士に切腹を命じた。フランスの立会人がこれを見るにしのびず、11人で切腹は中止された。樹齢千百年という蘇鉄も切腹を見ていた。

10月20日(推定)

柳原極堂が漱石を訪問。漱石は「嫁をとるんだ」という、「夫りや宜いな」と云うと、「寫眞結婚だ」と云った。(柳原極堂「寫眞結婚だ」 『渋柿』漱石忌記念号

大正六年十二月十二日)

10月21日

台湾、第2師団、台南に入城。29日、安平入り。

台湾の組織的抵抗終結

10月22日

子規、22日に大阪に突いた頃から左腰骨に強い痛みを感じ歩行困難となる。


「それから東京へ帰る時分に、君払つて呉れ玉へといつて澄まして帰つて行った。僕もこれには驚いた。其上まだ金を貸せといふ。何でも十円かそこら持つて行つたと覚えてゐる。それから婦りに奈良へ寄つて其処から手紙をよこして、恩借(おんしやく)の金子は当地に於て正に遣ひ果し候とか何とか書いてゐた。恐らく一晩で使つてしまつたものであらう」(『正岡子規』)


10月25日

外相臨時代理西園寺公望、列強に対し、将来日本は朝鮮を撤退し、内政に干渉しないと通告。遼東還付も終結せず、台湾平定も完了しないこの時点で、朝鮮でも列強の疑惑を惹起するのは得策でないという判断。

朝鮮の内政に「無干渉ノ方針ヲ執ル」と声明し、朝鮮が「単独ニ秩序ヲ維持シ、外国人ヲ保護シ待ルニ至ル」場合、「駐屯セル軍隊ヲ召還スべシ」と宣言。

朝鮮における侵略政策の挫折と台湾の作戦終了により、大本営はようやく翌1896年3月に大本営を復員。完全な意味で平時に復す。

10月25日

京都、第1回時代祭り


つづく


小池百合子氏 アラビア語披露する動画を公開→即削除で波紋…再アップで追記された「一文」(女性自身) / 小池がアラビア語を話すポスト。 アラビア語の専門家からレベルの低さを指摘され削除された。 / 「学歴詐称」批判への反撃として小池百合子がポストしたキャスターや大臣時代のアラビア語発話の動画。少しして小池が削除。理由は簡単。アラビア語専門家の飯山あかり氏に完膚なきまでにその低レベルを暴露されたからだ。発音、文法全てデタラメ。飯山氏の印象ではカタカナをそのまま読んでいるよう!

記者は排除、ママたちは仕込み(さくらママ) 都知事選初日に狭い選挙事務所で小池知事は第一声 先着順で取材できた報道陣は30人程度 大勢が取材に参加できず排除 赤ちゃんを抱えた支援者のママたちと記念撮影してたけど、事務所スタッフは名簿で出席を確認 事務所側は動員を呼びかけたことを認めました さくらママ — 日刊ゲンダイ ニュース記者 

2024年6月21日金曜日

税金、どれだけ投入したのか? ⇒ 「公有地に建てられた“晴海フラッグ”が何故投資マネーが横行する舞台になってしまったのか。そのあたり東京都としても検証が必要」(NHK午後LIVE) / 蓮舫さんが晴海フラッグ、オリンピック選手村跡地の問題に光を当てたのは超絶に重要! / 晴海フラッグの分譲マンション 法人が多数購入 なぜ?7回落選した夫婦“ファミリー向けと聞いていたのに”(NHK) / 晴海フラッグの投資目的取得 都「販売に関与できない」と説明(NHK) / 元選手村「晴海フラッグ」 3割以上の部屋で居住実態確認できず(NHK) / 晴海フラッグ 法人所有4分の1以上の街区も 投資目的の実態は(NHK):「部屋の所有者を登記簿から調べたところ、全体の4分の1以上が法人だったことがわかりました。その多くは投資や不動産業で、中には38戸を所有しているところもあり、元選手村が、投資対象となっていた実態が明らかになりました。」    



 

「待機児童数を減らした」と小池百合子は言うが、それは数を小さく見せたいために政府が定義を途中で変更し、東京都もそれに従ったからで、従来の定義通りなら25年前と比べて「6倍」にも増えている。(当議会での質疑応答、動画)

 

イスラエル軍報道官が異例の政府批判(毎日);「ハマスとは『思想』であり、人々の心に根付いているものだ。壊滅できると約束する人は国民を欺いている」(イスラエル軍のハガリ報道官)

 

「小池さんは空虚な独裁者」「利害関係がない限り人がどんどん離れていく」 都議が暴露する小池都知事の「ダーティーな本性」(デイリー新潮); 「完全なうそつき」 「権力のポジションに上り詰めたいだけの、空虚な独裁者」

大杉栄とその時代年表(168) 1895(明治28)年10月15日~31日 一葉日記 「文学界」同人評(眉山、孤蝶、禿木、秋骨、上田敏) 文名が上がるに伴う不安 しかしもはや引き返すことはできないという自覚  

 

山田美妙

大杉栄とその時代年表(167) 1895(明治28)年10月8日~15日 一葉の文名が上がり大西祝や依田学海が会いたいと言ってると告げられる 松山で子規の送別会 一葉随筆「雁がね」「虫の声」 漱石に兄直矩より見合い写真が送られてくる より続く

1895(明治28)年

10月15日

~31日。この間、関如来の来訪4回。用事があって来るのもあるが、ないのに来るときもあった。角雑誌の「にごりえ」の評を郵便で寄越す。頼まれていた縁組の件で、写真を下さいと言えば、すぐに送って寄越す。武骨に見えて子供っぽいかわいらしいところがある。


「木強(ぼくきやう)の男とふと見ゆめれど、物なるゝまゝに、おきな子のやうなる所うつくし。」


「文学界」同人について;

このころかち眉山と如来がしばしば来訪するようになる。反面、禿木とは疎遠になっている。秋骨もよく来訪したが、母と邦子が嫌うので「いかがはせん」と日記に記している。上田敏もよく来訪している。

〇川上眉山は頻りに来る。今月に入って4,5回は来ている。一度は如来と連れだって来たが、その次の時、二人が偶然はちあわせになった。二人とも話がしどろもどろになり、恥ずかしがっていたのがおかしい。


「我れにこゝろなければ、何ともおもひたらねど、二人の面(おも)やうのをかしき、物がたりのしどなさ、おもひがけず落あひしを恥あへるさま、「男も猶、ものつゝみはなす成けり」とをかしかりき。」

(。私は特別な感情を抱いていた訳ではないので、何とも思っていなかったが、二人の顔つきのおかしさ、話しぶりのしどけなさ、思いがけずかち合ったのを恥ずかしがる様子など、男もやはり気兼ねはするのだなと可笑しかった。)


〇彦根中学に勤め始めた孤蝶からの手紙について。今月に入ってから手紙は三通、長いものでは巻紙6枚を重ねて2枚切手の大封じである。一度は名所古跡の写真が2枚、紫式部の源氏の間(石山寺にある、紫式部が「源氏物語」を起筆したと言われる場所)などというものを送ってきた。いつもの細やかでつつみない言葉、自分の恋人に送るようなことがかいてあるのもおかしく、誠実な人なので自然と励ますような言葉も見られるようだ。心美しい人であるよ


「此月に入りてより文三通、長きは巻紙六枚をかさねて二枚切手の大封じなり。一たびは名所古址の写真二葉、紫式部源氏の間などいへるをおくりこし給へり。例のこまかにつつみなき言の葉、わが恋人にやるやうの事かきてあるもをかしく、誠ある人なれば、おのづからはげますやうのことの葉などもみゆめり。こころうつくしき人かな。」

〇禿木とは今月一度も会っていない。細々とした手紙は来るが、孤蝶と一葉との間にあらぬ仲があるのではと疑って、少し妬まし気なことも書いてあって煩わしいので、返事はしなかった。向こうから二度ほど訪ねてきたが、妹邦子の取り計らいで帰した。才能はあるのだが、みっともないところがあるのが情けない。


「平田ぬしには此月たえて逢はず。文こまごまとおこしつれど、孤蝶ぬしとの間に物うたがひを入れて、少しねたまし気などの事書てありしもうるさければ、返しはやらず成りにき。みづから二度ほど訪ひ来しかど、国子の取はからひて、門よりかへしぬ。才子なれども憎くき気のあるぞ口をしき。」


〇戸川秋骨も何度私を訪ねただろうか。大体毎週土曜の夜に来て、来れば11時を過ぎないで帰ることなどない。母も妹もこと人を嫌う。ある伴、眉山と来て語ってるうちに、興奮しだした時の恐ろしかったこと。「どうしよう、どうしよう、この家を離れがたい」と打ちふるえるのに、眉山も呆れながら、辛うじて一緒に連れ出した。翌朝早くに詫びる手紙をよこしてこれまで通りのつきあいを求めてきたが、気味の悪い哲学者だ

秋骨自身はユーモアのように心得て振舞っていることでも、一葉に快感を与えなかったようである。


「さる夜、川上君と共に来て、物がたりのうちにふるひ出(い)でぬる時などの恐ろしかりし事よ。「我れはいかにするとも、此家の立はなれがたきかな。いかにせん、いかにせん」とて、身をもみぬ。みづから、「こは怪し、怪し」といひっゝ、あと先(さき)見廻しつゝ打ふるふに、川上ぬしもたゞあきれにあきれて、からく伴(ともな)ひ出て送りかへしぬ。「其夜、なき寐入(ねい)りにふしたり」とて、あくる朝まだきに文おこしぬ。うちにさまざまありけれど、「猶親しき物にせさせ給はらずや。いかにも中空(なかぞら)に取あつかひ胎給ふ亊のうらめしき」など、書つらねありき。あなうたての哲学者よな」

〇優美なのは上田敏で、この人も最近頻りにやってくるが、全般に学問の雰囲気を漂わせて、洒落の気配など無いが、学生なのでその方が良いだろう。『桐一葉』の評を書くのを嫌がってあれこれ言い訳を言っているのも、高ぶってはおらず慕わしく思われる。とは言いながら心では世に立とうとしている人かもしれない。侮りがたくもある。


「されども、此人のは一景色(ひとけしき)ことなりて、万(よろづ)に学問のにほひある、酒落のけはひなき人なれども、青年の学生なればいとよしかし。「桐一葉」の評かく事をうがりて、かにかくといひわけなどいひ居(を)るも、たかぶらずしてなつかしう見えぬ。されども、心はいかならん。かく言ひ、かく見せて、世にたゝんの人なりや知りがたし。あなどりがたうもあるかな。」

〇考えるのも悲しいのは、争うの激しい世の交わったことだ。、、、だけどもどうしよう。舟は流れの上に乗った。隠れた岩に砕けない限り、引き返すことは難しいのではなかろうか。

桃水眉山など名の売れた作家たちでも実は金銭的には苦しく、また、嵯峨の屋美妙らの例から、人気の波や私生活の問題でも作家の苦しむことを知り、この頃から日記にしばしば不安を吐露している。自作の高い評価、またそれにより、文壇で名をなしていた年長の依田学海らから面会を請われるのも不安を煽った。


「さがのや」:

嵯峨の屋おむろ矢崎鎮四郎:明治22年(26歳)~明治24年頃、盛名はせる。昭和22年(84歳)没。

「山田の美妙」:

美妙山田武太郎。明治20年(19歳)「花の茨、茨の花」の完全口語体小説で世間を驚倒させる。明治21年「夏木立」の言文一致小説集で「東洋のシェイクスピア」とも呼ばれる。全盛期はここまで。明治28年暮、中島歌子の歌熟で一葉の友田沢稲舟と結婚。4ヶ月で破局。稲舟は明治29年9月10日没(22歳)。美妙は世間の攻撃にさらされる。明治43年(42歳)リンパ腺ガンで没。

「おそろしき世の波かぜに、これより我身のただよはんなれや。おもふもかなしきは、やうやうをさな子のさかいをはなれて、争ひしげき世に交(まじ)る成けり。「きのふは何がしの雑誌にかく書れぬ」「今日は此大家(たいか)のしかじか評せり」など、唯(ただ)春の花の栄(は)えある名計(ばかり)うる如くみゆる物から、浅ましきは其そこにひそめる所のさまぐ成けり。「わか松、小金井、花圃(くわほ)の三女史が先んずるあれども、おくれて出たる此人をもて、女流の一といふをはゞからず。たゝへても猶たゝへつべきは、此人が才筆」などいふもあり。「紫清さりてことし幾百年、とつてかはるべきはそれ君ぞ」などいふもあり。あるはとつ国の女文豪がおさなだちに比べ、今世に名高き秀才の際(きは)にならべぬ。何事ぞ、おととしの此ころは、大音寺前に一文ぐわしならべて、乞食を相手に朝夕を暮しつる身也。学は誰れか伝へし、文をば又いかにして学ぶべき。草端(そうたん)の一蛍(いつけい)、よしや一時(いつとき)の光りをはなつとも、空(むな)しき名のみ、仇(あだ)なるこゑのみ。我れに比べて学才のきは、なみなみならざりし、さがのやが末のはかなき事、山田の美妙が数寄(すき)の体(てい)、あはれ、あはれ、安き世の好みに投じて、この争ひに立まじる身、いか許(ばかり)かは浅ましからざらん。されども如何(いかが)はせん。舟は流れの上に乗りぬ。かくれ岩にくだけざらんほどは、引きもどす事かたかるべきか。」

(恐ろしい世間の波風に、これから私は漂うのであろうか。考えても悲しいのは、やっと子供の境界から離れて、争いのはげしい世界と交わることである。。昨日は或る雑誌にこう書かれたとか、今日はこの大家がこう批評したなどと、表面はまるで美しい春の花のように名誉だけを貰っているように見えるが、実はその底にひそんでいる色々な事が辛く苦しいのです。

「若松賎子、小金井喜美子、三宅花圃の三女史が既に世に出ているが、遅れて出たこの人を女流文学者の中の第一の人と言うことに遠慮はいらない。褒めても褒めても褒めきれないのはこの人の才筆」

というのもある。また、

「紫式部や清少納言がこの世から消えて既に数百年、今とって代るべき人は、この人より他にはない」

というのもある。或いは私を外国の女流文豪の幼少の頃と比べて褒めたり、或いは現代の秀才の仲間に入れて褒めたりする。何ということだろう。思えば一昨年の今頃は、大音寺前の通りに安い菓子を並べて、乞食同然の人々を相手に朝夕を暮していた身分である。学問は誰かについてまなんだというのか、文章もまたどうして学んだというのか。草の葉末の一匹の蛍のように、たとえ一時の光を放ったとしても、それは内実の伴わない虚名のみ、実効のない世間の声にすぎない。自分に比べて学問や才能のひと通りでなかった嵯峨の屋お室の末路のみじめなこと、山田美妙の不遇の有様、ああ、ああ、安直な世の噂好におもねって、この争いに参加した身が、なんとも情ない身の上でないことがあろうか。けれどもどうしようがあろうか。舟は流れの上に乗ってしまった。隠れた岩に当って砕けない限り、引き返すことは困難ではなかろうか。)

名声の不安に懐える一葉であるが、もはや引き返す途のないことを自覚してもいる。


つづく

NHK党のポスター枠「販売」いいの? 都知事選に大量擁立の立花孝志党首 法の抜け穴突く「荒稼ぎ作戦」(東京) / 都知事選候補者に警告 わいせつポスター掲示◆警視庁(時事) ← 何故、名前を出さない?

▼差別者は何も分かっていない(韓国学校/朝鮮学校)

2024年6月20日木曜日

オッペンハイマー “涙流し謝った” 通訳証言の映像見つかる(NHK);「原爆の開発を指揮した理論物理学者、ロバート・オッペンハイマーが、終戦の19年後に被爆者とアメリカで面会し、この際、「涙を流して謝った」と、立ち会った通訳が証言している映像が広島市で見つかりました」 / 「原爆の父」被爆者に涙して謝罪 通訳の証言映像発見、広島(共同通信)    

「このまま黙って死んだら私に悔いが残る」カイロ時代の友人が明かした小池百合子都知事“疑惑の大学生活”【実名告白】(文春オンライン) / 「『女帝 小池百合子』で描かれた北原百代さんの証言は極めて真実性が高いと思います。小池さんが、この本の出版元や著者の石井妙子さんを訴えないのは、裁判で真実性が認定されることを恐れているからです。でなければ、とっくに提訴しているはずです」(山口一臣) / 百合子さんの顔写真が大きく載っている記事を読み始め、私は驚きました。「カイロ大学文学部社会学科を日本人女性として初めて卒業した」 「そういうことにしちゃったの?」 あなたは、「うん」と、屈託なく言いましたね。     



 

蓮舫「テレビ局報道番組から小池都知事と私の討論会企画への出演依頼をいただきますが、知事側から多忙を理由に断られ企画が成り立たないとの話を聞きます。」 / 「これからもTV番組が企画した討論会にぜひ一緒に出ていただけないでしょうか?」と蓮舫。なぜかイヤそーな小池百合子。

まぁ、嫌な女でした ⇒ 週刊文春6月13日号の上沼恵美子氏のコラムに、同氏の番組にゲスト出演した小池百合子との初対面の様子が書かれている。「悪用しないでね」と名刺を渡され、TV局の上層部が挨拶に来ると「遅いのよ!もっと早く挨拶に来なさいよ」と偉そうだったとのこと。「まぁ、嫌な女でした」と総括しています😆。

下品な自民党 ⇒ 裏金の自民・細田氏が不信任案の討論中にヤジ 「日本酒はいいのか」(朝日); 自民党の裏金壺議員・細田健一 「お前の所も酒配ったりしてるだろ!」 「酒ェ配ったのはどうすんだ!」 「オイ!答えてェみろ!」 「答えられなかったらヤメろ!!」 「演説中止!!中止しろオイ!」 

万博のイメージ、どんどん悪くなる ⇒ 【物議】維新所属の大阪・箕面市長「万博行くなよ」「出入り禁止や!」 市議会で共産市議の発言にヤジ(読売テレビ) / 「万博行くなよ 出入り禁止や」箕面市長が見解示す「議会では不規則発言で上品ではないので以後気をつける、撤回・謝罪はしない」(MBS) / 「万博行くなよ。出入り禁止や」大阪・箕面市長がやじ 市議会で(毎日)     

 

玉川徹氏、都知事選主要候補を取材も小池氏には断られる「厳しい事聞かないから受けて欲しかった」(デイリー)

「私って攻撃的かしら?」蓮舫氏と専門家語る「もの言う女性」批判の裏にある女性蔑視(女性自身)

大杉栄とその時代年表(167) 1895(明治28)年10月8日~15日 一葉の文名が上がり大西祝や依田学海が会いたいと言ってると告げられる 松山で子規の送別会 一葉随筆「雁がね」「虫の声」 漱石に兄直矩より見合い写真が送られてくる  

 


大杉栄とその時代年表(166) 1895(明治28)年10月8日 乙末事変(閔妃殺害事件)そのⅢ 〈裁判〉 〈新聞関係者の事件への加担;朝鮮における日本人経営の近代新聞発行の経緯概要〉 〈閔妃暗殺事件直後の外交官堀口九萬一の書簡〉 より続く

1895(明治28)年

10月8日

漱石の菊池謙二郎宛て手紙では、山口高等学校から参事官宛に招聘の交渉があり、辞退したところ、また別の方法で招聘するつもりだからといって来たことを述べる。

同日、京城事変起り、共感を示す。

10月10日 漱石、子規の「名所読みこみ句会」に出席。

10月8日

朝から雨やまず。明日は萩の舎の月次会なので、道は悪いが銭湯にゆく。帰ると車夫が関如来の使いで昨日貸した傘を返しに来た。今夜再び上田敏を訪ねるみちすがらこちらをお返しする。上田の後に谷中の大野酒竹の庵に用事があるので、手紙にて失礼。今朝、依田学海が「にごりえ」を上出来の作と称えて、是非一度お会いしたいと言っていたので、一度訪ねるとよいなどと書いてあり、中には「月曜附録」のこともあった。最後には、縁談のこと、心よりよろしくお願い申しあげますなどと書いていた。真剣な書きぶりに皆で笑う。

朝鮮の王宮に突入した日本公使館守備隊、公使館警察官、日本人壮士らが、閔妃を殺害した、乙未事変起きる。

10月8日

ファン・ドモンゴ・ペロン、ブエノスアイレスに誕生。

10月9日

一葉、午前から萩の舎月次会。伊東夏子から、大西祝が是非会いたいと言ってるらしいという旨伝えられるが、こうしたのも一時の人気ではないかと空恐ろしくなる。

夜、中町の金清堂に原稿用紙を買いに行く。安井哲子が岩手から貰ったという大きな林檎を持ってくる。夜、手紙を2通。一つは関如来へ、「月曜附録」のことなどについて。もう一つは、孤蝶へ、長く音信不通なのでご機嫌伺い。夜も大層更けたので、その他は特になく就寝。関如来より原稿の再催促。

10月10日

朝鮮、「廃后の詔勅」、官報に発表。

内外の反撃強く、11日、「廃庶人の閔氏に嬪号を特賜する」と発表。

各国公使の反論強く、26日、「廃后の詔勅」取消し。

10月10日

台湾、混成第4旅団 (旅団長:貞愛親王) 布袋嘴より上陸

10月11日、第2師団 (師団長:乃木中将) 枋寮より上陸

10月10日

一葉に、大嶋みどり子が歌を詠んでくれと頼みに来る。その他は安井哲子と野々宮菊子らが稽古に来たのみ。田中みの子から2通と本願寺から1通の手紙。

10月11日

一葉に宛てて、この頃、孤蝶から写真を同封した手紙が来る。

10月12日

朝鮮、第4次金弘集内閣成立。反閔氏・反ロシア派。

10月12日

松山二番町の花廼家で子規の送別会。


「・・・・・送別会には子規、漱石を含め、十八人が出席した。小万という芸妓がひとりだけ呼ばれた。


十八人女とりまく夜寒哉   子規


小万は、この年三月十六日、松山にやってきた子規のために旧友らが催した従軍行送別会にも呼ばれていた。そのとき参じた十五人のうちのひとりから、「新派」すなわち「日本派」俳句の真髄はなにかと問われた子規は、以下の一句をしめした。


僧や俗や梅活けて発句十五人


「俗」「発句」、それから十五人の連なる「座」が、主たる条件としてそこに盛られていた。」(関川夏央、前掲書)


漱石、子規を送る五句を作る。


疾く帰れ母一人ます菊の庵

秋の雲只むらむらと別れ哉

見つゝ行け旅に病むとも秋の不二

この夕野分に向て分れけり

お立ちやるかお立ちやれ新酒菊の花


子規は、席上で漱石の雅号を詠み込んだ俳句を作る。「石女(うまずめ)の蕣(あさがお)の花にうがひかな」。別に、「行く我にとゞまる汝に秋二つ」も贈る。

10月14日

一葉、『読売新聞』月曜付録に随筆「雁がね」「虫の声」を掲載。

樋口一葉『あきあわせ』(青空文庫)の中の2編


10月中旬

漱石に兄直矩より見合い写真が送られてくる。


「十月中旬、漱石のもとに兄夏目直矩から見合い写真が送られてきていた。貴族院書記官長中根重一の娘、鏡子の写真である。漱石の十歳下、明治十年生まれの満十八歳とあった。

福山藩士族であった中根重一は、大学南校でドイツ語とドイツ法を学んだ。新潟開港場の病院でドイツ人院長の通訳をつとめたのち、行政官に転じた。中根重一の父、鏡子の祖父にあたる人が牛込矢来町に住んでおり、囲碁仲間のひとりが以前、牛込郵便局で直矩の同僚で、彼らの雑談からこの縁談は起こった。

中根重一が調べてみると、漱石の評判はよい。写真交換へと進んで、漱石自身大いに乗り気になった。早くも十月二十日頃には、下宿を訪ねてきた柳原極堂に、「嫁をとるんだ、写真結婚だ」と自慢している。」(関川夏央、前掲書)

10月15日

朝鮮、弁理大使任命小村寿太郎(外務省政務局長)、横浜地裁検事正安藤謙介、仁川領事官補山座円次郎、海軍大佐伊集院五郎、陸軍中佐田村怡与造、海軍少佐安原金次、陸軍少佐渡辺鉄太郎、同原田輝太郎の調査団、漢城到着。

17日、小村は西園寺へ「この事件の使嗾者は三浦公使にて、大院君と同公使との間を周旋したるは岡本柳之助と察せらる」と報告。


つづく

2024年6月19日水曜日

大雨の中、銀座の三州屋さんで同級生交歓。昼呑み。2024-06-18

 6月18日(火、昨日)雨

昨日は、大雨の中、銀座の三州屋さんで同級生交歓。昼呑み。

当初、私の希望で浅草の神谷バーに行く計画だったが、なんとなんと、昨日行ってみたところ「火曜定休」とのこと。お店のイメージからして、いつでも開いてるととんだ勘違いをしてしまった。

なので、次善の選択として、銀座の三州屋さんとなった次第。

雨のせいか、客足も少ない感じで、ホールのお姉さま方も些かもてあまし状況のように見えた。

いつもながらの大衆的な料理ばかり。













「いかにもウソっぽい」3選出馬の小池都知事「無痛分娩費用助成」「保育料無償第1子から」に“まさかの”子育て世代から猛批判 (FLASH);「どうしていままでやってくれなかったの?」

都庁のプロジェクションマッピングについては小池氏以外の全員が反対した(東京都知事選4候補の共同記者会見6/19) / 事業費48億円の東京都プロジェクションマッピング 「アンビリーバブルの3乗だ」 丸山知事が批判、都知事選で議論望む|山陰中央新報デジタル ← 島根県知事丸山達也さん / 蓮舫さん「国の日本中の子どもの貧困対策の予算が34億。プロジェクションマッピングは2年間で48億」(『2024年6月2日 蓮舫 始動』)    

 




 

蓮舫氏「一旦立ち止まることは 都知事選の争点」 小池氏「争点にはならない」 蓮舫氏「争点にしないということであればこの後知事名で(保全計画提出を)再要請して頂けると」 / 蓮舫氏「外苑再開発立ち止まる」 都知事選争点との考え(共同) / (YouTube)都知事選に立候補の蓮舫氏が会見 神宮外苑再開発「一度立ち止まるべき」(2024年6月14日) / 「人口減少していく東京で緑を切るような開発が本当に必要なのかを問いたい」 蓮舫参院議員が外国特派員協会で会見(ビデオニュース・ドットコム)  / プロジェクションマッピング に2年間、関連予算を含めて45億円 その事業をちょっと見直しただけでも、食料支援の援助を都が差し伸べることができる こういう見直しも、私が行いたい行政改革です / 連合は小池支持でも 連合組合員は蓮舫支持多し 「私は支援者を排除いたしません」と    




 

わざわざ都庁にいるのに、記者が別室でのオンライン参加なんて、何で? よっぽどフリーランスからの質問が命取りなんだろうな。 / 「子育て・教育にお金がかからない東京へ」 小池百合子知事が公約発表 オンライン会見は40分 東京都知事選(東京); 質問できたのは僅か5人!40分で終了! / 「よほどフリーランスの記者の質問を受けたくなかった」 and/or 「よほど学歴詐称に触れられたくなかったんだろう」

【詳報】安倍派裏金のキックバック復活は「ある幹部の要望だった…」 元会計責任者が法廷で語った一部始終(東京) / 「安倍派のキックバック継続を2022年7月に“ある幹部から求められ”翌8月に塩谷、下村、西村、世耕が集まり“還付”しようと決まった。」   

虚偽の学歴記載の疑い、小池都知事を刑事告発 元都顧問の弁護士(朝日) / 小池百合子都知事を元側近が「虚偽学歴」と刑事告発 エジプト人研究者は「追試でカイロ大を卒業した」と反論(東京) ← 追試!(これは新たなヘリクツ) / 「小池百合子都知事を今朝、公職選挙法違反容疑で刑事告発しました」 元側近・小島敏郎氏が語る“7つの重大証拠”(文春オンライン) / 小島氏の告発理由「小池氏はカイロ大卒と言う経歴を50年近く世間に流布し、議会で質問されても答弁拒否、意図的に放置して来た。よって、選挙公報履歴に記載されるか否か不明の現段階でも公職選挙法違反に問えると判断し刑事告発を決断した」   

 



 

IMD調査の世界競争力、首位はシンガポール 日本は過去最低38位 - 日本経済新聞 ;「日本は38位と3年連続で過去最低を更新した。企業の生産性や効率の低さなどへの評価が落ち込んだことが主な理由となった。」

大杉栄とその時代年表(166) 1895(明治28)年10月8日 乙末事変(閔妃殺害事件)そのⅢ 〈裁判〉 〈新聞関係者の事件への加担;朝鮮における日本人経営の近代新聞発行の経緯概要〉 〈閔妃暗殺事件直後の外交官堀口九萬一の書簡〉   

 


大杉栄とその時代年表(165) 1895(明治28)年10月8日 乙末事変(閔妃殺害事件)そのⅡ 〈海外の報道〉 〈イザベラ・バード『朝鮮紀行』に描かれた閔妃、国王(高宗)、大院君及び閔妃暗殺事件の顛末〉 より続く

1895(明治28)年

10月8日 

乙末事変(閔妃殺害事件)そのⅢ

〈裁判〉

小村寿太郎は、三浦梧楼公使、杉村公使館員、岡本朝鮮政府顧問など被疑者40数名を帰国させ、日本で裁判を受けさせることになった。他に関与した軍人は広島の第5師団で軍法会議にかけられることになった。

10月17日に三浦梧楼は解任・召喚、翌18日に三浦、安達を含む約50名近くに退去命令が下され、三浦ら関係者は広島地方裁判所に起訴された。

朝鮮では日本に対する不信の増大を背景に大院君と親日派は力を失い、訓錬隊は解散となり、閔妃廃妃の詔勅も撤回された。12月1日、閔妃の死が正式に発表され、葬儀が執り行われた。同時にその死因は訓錬隊と日本公使館、そして日本人壮士の王宮襲撃にあったことが発表され、その処罰がなされることになった。金弘集政府は事件の収束を早めようと裁判を急ぎ、朝鮮王朝法部は謀反事件の犯人として朴鉄、李周会、尹錫禹の3名を逮捕し、12月29日に死刑判決が出された。彼らはいずれも計画には参加していないと主張したが、実行に加わったことを自白したため、有罪とされた。日本人実行犯に対しては、日朝修好条規が日本人に治外法権を認めている不平等条約であったので、日本人を裁く事はできなかった。

朝鮮で朝鮮人3人の犯行と確定したことを受け、1896年1月20日、広島地方裁判所の予審において三浦前公使以下は事件への関与は認定されたものの、閔妃殺害の実行に関しては証拠不十分として免訴となり、広島の軍法会議でも全員無罪となった。領事裁判権の時代だったので漢城の日本人に対する領事裁判も行われたが、取り調べる側の領事にも王宮侵入に加わった者がいるありさまだった。

出獄の日、三浦は「アノ邊の有志者の歓迎会に招かれた。それから汽車で帰ったが、沿道至る処、多人数群集して、萬歳々々の声を浴びせかけるらいな亊であった」と回顧し、自身の犯罪意識はなかったように見える。

〈新聞関係者の事件への加担;朝鮮における日本人経営の近代新聞発行の経緯概要〉

1881年(明治14年)12月、朝鮮で初めて釜山在住日本人のための新聞『朝鮮新報』発行(「在釜山商法会議所」、大石徳夫、3回/月)。

1890年(明治23年)1月28日、仁川で『仁川・京城隔週商報』(2回/月)が発行。これは、翌91年9月1日に『朝鮮旬報』と改題、92年4月1日、『朝鮮新報』(先の『朝鮮新報』とは別)とした。同紙は日清戦争中は休刊したが、戦後、青山佳恵によって『朝鮮新報』として復刊。

日清戦争に際しては、日本の新聞記者が朝鮮各地に足を運んでいる。なかでも、『国民日報』の菊池謙譲は漢城に滞在して取材し、熊本国権党機関誌『九州日日新聞』の佐々木正之は取材の傍ら日本軍の通訳をも務めていた。

1892年10月に釜山に渡った「国権党」の安達謙蔵は、釜山総領事室田義文の依頼で、同年11月27日に釜山商業会議所会頭榊茂夫(郵支店長)や宮本龍(会議所書記長)らの協力で400円を借りて同年12月に『朝鮮時報』を発刊した。これは、のちに『釜山商況』『東亜貿易新聞』と改題し、その後廃刊、復刊のあと廃刊した。

『九州日日新聞』の高木正雄は、穂積寅五郎が仁川で発行していた『新朝鮮』の編輯事務役を引き受けた。

当時朝鮮には熊本国権党所属の記者が多く、国権党の前身「紫溟会(しめいかい)」の会員らであった。紫溟会は、1881年9月1日、幕末維新期の学校党、実学党、敬神党が合体した結社で、右翼的な性格を持ち、規約には主権在君の反民権論を明確にしていた。紫溟会は、『紫溟雑誌』(1882年3月1日創刊)・『紫溟新報』(1882年8月7日創刊)を発行していたが、『日本新聞』(1881年10月創刊、82年1月27日『不知火新聞』と改題)と統合し、1888年10月9日『九州日日新聞』と改題した。また、「紫溟会」は1880年「国権党」へ組織を変え、「国権党」の記者らは朝鮮などで外務省の機密費を受け取って新聞を創刊し、日本の大陸支配の広報的役割を果たした。

一方、熊本「国権党」の安達謙蔵は、井上馨が朝鮮公使として着任した際、面談の席で朝鮮人を啓発するために「朝鮮諺文(おんもん)による新聞を発行する要ありと力説」した。井上はこれに共感し、一等書記官杉村濬(ふかし)に新聞発行に必要な検討を支持した。1891年12月1日、井上は外相陸奥宗光に朝鮮における新聞発行の費用を要請した。この要請に対して、12月7日、外務省機密費1,200円が送られてきて、新聞発刊を急ぐことになった。1895年2月17日、安達謙蔵と佐々木正之は、朝鮮語と日本語で旧駐韓日本公使館の機関誌役を担う『漢城新報』を発行するに至った。

『漢城新報』はタブロイド2倍判で1~2面は朝鮮語、3~4面は日本語を使って隔日発行、主筆国友重章、編集長小早川秀雄。日本外務省は1895年3月から毎月130円、7月からは170円、翌年7月からは300円の補助金を支給し、『漢城新報』は日本外務省の機関誌的役割を担った。

その後、これらの経済的援助が一因となり、社長安達謙蔵、主筆国友重章、編集長小早川秀雄、佐々木正之以下の社員全員、釜山語学校出身の鈴木順見、『国民新聞』特派員菊池謙譲、『日本新聞』特派員山田烈聖、『報知新聞』通信員吉田友吉が加担して、日本公使三浦梧楼とともに閔妃暗殺事件を引き起こすことになる。

この事件は、知識人層の記者らが殺人を緻密に計画した前代未聞のインテリ集団による大事件であった。王宮で夫人らを殺害する際、居合わせた外国人に英語で王妃の居場所を問う場面もあり、その始末も巧妙であった。

〈閔妃暗殺事件直後の外交官堀口九萬一の書簡〉

2021年(令和3年)11月、堀口が親友である新潟県中通村(現長岡市)の漢学者武石貞松宛に送った、1894年11月17日付から事件直後の95年10月18日付の8通の書簡が見つかった。

95年10月9日付の6通目には現地での行動が細かく書かれており、王宮に侵入したもののうち、「進入は予の担任たり。塀を越え(中略)、漸く奥御殿に達し、王妃を弑し申候」(原文はひらがなとカタカナ交じりの旧字体。以下同)と王宮の奥に入り王妃を殺したことや、「存外容易にして、却てあっけに取られ申候」という感想が記されていた。


堀口九萬一;

閔妃暗殺事件に関与した廉で三浦梧楼公使・杉村濬一等書記官らとともに帰国・非職処分となり、容疑者の一人として予審取調を受けた。翌1896年(明治29年)1月の予審結果は証拠不十分で全員免訴とされ、2月に復職。1925年(大正14年)3月末、依願免官。以後、講演・執筆活動に専念。


*「外交官「王妃殺した」と手紙に 126年前の閔妃暗殺事件で新資料」(朝日新聞2021年11月16日)


つづく


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