2026年6月17日水曜日

大杉栄とその時代年表(827) 1909(明治42)年3月1日~8日 「昼飯をくつて電車で数寄屋橋まで、初めて瀧山町の朝日新聞社に出社した、 手が白く且つ大なりき非凡なる人といはるる男に会ひしに 佐藤氏に面会し二三氏に紹介される、広い広い編輯局に沢山の人がゐる、一団づつ、方々に卓子と椅子がある、そして四方で電話をかける声がしつきりなしに広い室内に溢れる、(略)その中で予は木村といふ爺さんと並んで校正をやるのだ。校正長の加藤といふ人が来た、目の玉が妙に動く人だ、(略)社会部の主任渋川玄耳といふ人は、髯のない青い顔に眼鏡をかけてゐた。 五時頃初版の校正がすんで、帰つてもよいといふ、電車で帰つた、」(啄木日記)

 

渋川玄耳(渋川柳次郎)

大杉栄とその時代年表(826) 1909(明治42)年2月16日~28日 「二月二十四日 水曜 記憶すべき日、 夜七時頃、おそくなつた夕飯に不平を起しながら晩餐をくつてると朝日の佐藤眞一氏から手紙、とる手おそしと開いてみると二十五円外に夜勤一夜一円づつ、都合三十円以上で東朝の校正に入らぬかとの文面、早速承諾の旨を返事出して、北原へかけつけると、大によろこんでくれて黒ビールのお祝、十時頃陶然として帰つて来た、 これで予の東京生活の基礎が出来た! 暗き十ケ月の後の今夜のビールはうまかつた。 (略)」

1909(明治42)年

3月

伊藤統監、韓国併合に同意。桂・小村外相と実施方針協議。

3月

樺太大泊港開港。

3月

新田融、長野明科製材所に機械職工として雇用。

3月

北原白秋「邪宗門」(「易風社」)

3月

永井荷風 『曇天』(「帝国史学」)、「監獄署の裏」(「早稲田文学」)。

この月、『ふらんす物語』を博文館より刊行したが届出と同時に発売禁止となる。

3月

西陣染織試験場竣工。

1916年9月、京都市立染織試験場となる。

3月

仏、郵便労働者、大ストライキ。

5月~、第2波。

3月1日

森永チョコレート発売

3月1日

石川啄木(23)、同郷の佐藤北江の世話で「東京朝日新聞」校正係に勤める。


「三月一日 月曜

九時少し前起きる、

嚢中四十五銭、これではならぬとアート エンド モーラリチーを一円三十銭に売り、ツボへ感謝の電報を打ち名刺の台紙を購ふ、

昼飯をくつて電車で数寄屋橋まで、初めて瀧山町の朝日新聞社に出社した、

手が白く且つ大なりき非凡なる人といはるる男に会ひしに 佐藤氏に面会し二三氏に紹介される、広い広い編輯局に沢山の人がゐる、一団づつ、方々に卓子と椅子がある、そして四方で電話をかける声がしつきりなしに広い室内に溢れる、――つかれた、無理に張上げた声だ、――その中で予は木村といふ爺さんと並んで校正をやるのだ。校正長の加藤といふ人が来た、目の玉が妙に動く人だ、――校正は予を合せて五人、四人は四人ともモウ相応の年をした爺さんで、一人は耳が少し遠い、合間合間に漢詩の本を出して読んでゐた、モ一人の経済の方の校正は俺はモリ(ソバ)なんか喰はぬと言つてゐた。

社会部の主任渋川玄耳といふ人は、髯のない青い顔に眼鏡をかけてゐた。

五時頃初版の校正がすんで、帰つてもよいといふ、電車で帰つた、そして飯を金田一君と共に食つて、そして湯に入つた、八時頃太田君が島村君をつれて来て、十一時頃まで話して行つた、

[摘要欄]本日より朝日社に出社、」(啄木日記)

(註)

・「ツボ」は坪仁子(釧路の小奴)。先月末、20円の電為替を送ってもらっていた。

この20円のうちから、オスカーワイルド論(アート エンド モーラリチー)を3円50銭で買ったが、この日これを1円30銭で売って現金化している。


3月1日

幸徳秋水、妻千代子を離別(4日付で婚姻解消)。千代子は名古屋の姉のもとに出発。この日、秋水は出てゆく妻を横浜駅まで見送る。

千代子の姉の夫松本安蔵は名古屋控訴院判事で、幸徳の社会運動に干渉。困惑する千代子を見て心を重くしていた矢先、赤旗事件公判直後頃から、秋水・須賀子の間に恋愛感情が生じる。

3月2日

魯迅、周作人共訳『域外小説集』第1冊刊行。

3月2日

憲政本党常議員会が27日に犬養毅院内総理を除名したのを対し、代議士会が犬養毅信任決議。

3月2日

京都商業会議所、舞鶴港の特別輸出入港指定を政府に建議。軍部の反対により実現せず。

3月2日

日本銀行金沢出張所開設。

3月2日

(漱石)

「三月二日(火)、朝、皆川正禧(第七高等学校)から、ざぼんの砂糖潰送ってくる。「凡て春めきたり。雨に香あり。」「冬去つて漸く生き返る。何處かへ行って一日遊び暮らしたし」(「日記」)

三月三日(水)、節句。春風吹き、長閑な感じ。うぐいす鳴く頃だが、町内には梅は一本もない。イギリスに留学する小松原隆二を新橋停車場に送る。副島松一(推定)にも逢う。帰途、読売新聞社(京橋区銀座一丁目一番地、現・中央区銀座一丁目七番)の建築完成間近なのを眺め、丸善(日本橋区通三丁目十四番、現・中央区日本橋二丁目、三丁目の一部)に立ち寄り、フランスの小説(ブールジェとバザンのもの)イギリス語訳を三、四冊買う。皆川正禧(第七福等学校)から贈られたざぼん(缶詰)を少しずつ食べる。この頃、葡萄酒飲む。田中君子からずわい蟹(越前)二匹送られる。皆川正禧宛手紙に、「此一週間程少々心地が閑適で生命が延びつゝある。それに春風が何よりの薬だ。鶯が時々鳴く、あれは好いものだ。西洋人は知らないものだ。」と書き、ざぼんの礼を述べる。

三月四日(木)、木曜会。慶応義塾大学(芝区三田四国町二丁目三番地、現・港区三田二丁目十五番四十五号)から講演を依頼されたが手紙で断る。小宮豊隆泊る。

三月五日(金)、『永日小品』の最後として、何か書いてほしいと鳥居赫雄(素川)から注文があったので、「變化」送る。実際には、『大阪朝日新聞』に「變化」の後に「クレイグ先生」を載せ最後にしている。西村誠三郎(濤蔭)、船と海を描いた水彩(模写)を額に入れて届けてくれる。榎本吉某、塩原昌之助の代理として金の無心に来る。「榎本某それがしなるもの來る。懸合事也」(「日記」)


(榎本某)夏目漱石は、情義としてはともかく、塩原昌之助の権利としては、金銭の求めに応ずるつもりはない。塩原昌之助は、明治三十七年頃、明治四十一年頃、それから三、四年経ってからの三度訪ねて来ただけで、二回めは五十円、三回めに百円を貰ったと塩原家に下宿していた関荘一郎は述べている。この言葉をどこまで信用してよいか分らぬが、一回めに訪ねたのは、『道草』の冒頭の現実感からも信用できるがと思う。但し、『道草』だけからは、明治三十六年のほうが妥当かもしれぬ。」(荒正人、前掲書)


3月2日

セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ領有権撤回拒否のため墺・セルビア間で戦争勃発危機。英独露諸国など列強、セルビアに圧力をかけ墺に対して譲歩させ、墺・セルビア間のボスニア危機調停工作を始め緊張緩和(~3月31日)。

3月2日

バタヴィア、領事館開館。

3月3日

富士生命保険株式会社創立(東京)、資本金50万円。

3月3日

鉄幹(36)と晶子(31)に3男麟、誕生。

3月3日

この日付け啄木の宮崎郁雨(大四郎)宛手紙。

吉井勇の圧迫から脱したこと、平野万里を蹴ったことなどを記した後に、

「第二戦終って四十一年は暮れた。是より先き、僕は非常な勢ひで太田正雄君(木下杢太郎) と接近してゐた。太田はエライ男だよ」

と記す。

3月3日

モスクワに領事館開館。

3月3日

全国織物業者、神田錦輝館で織物消費税全廃大会開催。

3月3日

アグラム、クロアチアのセルビア人に大逆罪裁判(~10月5日)。

3月4日

ウィリアム・ハワード・タフト(共和党)、27代大統領に就任(~1913年)。

3月6日

大岡昇平、東京市牛込区(現、新宿区)新小川町に父貞三郎、母つるの長男として生まれる。父貞三郎は和歌山市近郊の農家の三男。前年上京し、兜町で株式仲買店に勤める。つるとの間には大岡の5歳上の姉がいて、後に弟2人生まれる。父の仕事の関係で家庭の経済状況には浮き沈みがあり、1912(明治45)年春に麻布区笄町(現、港区南青山)に転居し、その後も数回渋谷近辺で転居を繰り返す。

3月7日

(漱石)

「三月七日(日)、小宮豊隆来る。ドイツ語の教材用にも andreev (アンドレーエフ)のドイツ語訳 ""Die Geschucht von Sieben Gehenkten"" (『ジーベン・ゲへンクテン』)を持参する。(推定)小宮豊隆と共に謡をうたう。小宮豊隆の誕生日なので、赤飯に尾頭付きで祝う。相馬由也宛手紙で、読売新聞社新築落成記念号に祝辞述べる。

三月八日(月)、「榎木某又懸合ノ爲ニ來ル。」(「日記」)」(荒正人、前掲書)


3月7日

「三月七日 日曜 曇 暖

前夜の雨でまた暖かくなつた。今日は入社以来初めての休み、別に休日はきまつてゐないが、申合せて一週に一日の平均で休むのだ。

・・・・・久振で与謝野氏へゆくと、晶子さんが三日に産して生れたのは男の児、産後の肥立が悪くて熱が出てるとのこと、与謝野氏は寂しさうにまた不安さうにして、晶子さんの代りの歌の選をしてゐた。予は頭がくらくなつて辞した。

(略)


三月八日 月曜

スバル三号とどいた。森先生の(半日)を読む。予は思つた、大した作では無論ないかも知れぬ。然し恐ろしい作だ――先生がその家庭を、その奥さんをかう書かれたその態度!

・・・・・

社では何事もなかつたが、だんだん慣れるにつれて面白くなつた

帰つてくると電車の中で日澤君にあつた。森先生からハガキが来てゐた。――(御書状拝見とにかくパンの木御発見被遊候由珍重珍重、先月の「足跡」処々の評に不拘好き出来と存候、先日上田敏にも相話候事に候。新聞のシゴトの許す限り著作にご努力所祈に御座候)――

金田一君と語つた。どうせ世界は人類の生息にたへなくなる――その時のことを語つた。結局人間はつまらぬもの。人工避妊法の進歩は実際十九世紀文明の最大功績で、そして最も皮肉な人類の反逆だ。そして英雄とは人間の或る緊張した心状態の比較的長いもの――天才は注意力の長い人と心理はいふ――英雄天才との差異は、素質の相違でなくてその状態の時間の問題だ――

予は人生全体に波をつたへるやうなことを発見したい。文学! それも狭い、絶対の価値といふものがないとすれば、人は、ああ!

枕の上で深更までに風葉の(春潮)をよんだ。

(略)」(啄木日記)


3月8日

度量衡法改正公布(尺貫法・メートル法に加えてヤード・ポンド法も公認)

3月8日

ベトナム維新会ファン・ボイ・チャウ、日本政府の圧力で離日。


つづく

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