2009年2月2日月曜日

1871年3月 ジャコバンの見果てぬ夢か・・(8)

3月28日
・仏、グレーヴ広場、国民軍中央委員会、コミューン成立宣言。
選挙結果とコミューン議員選出についての発表。
市庁舎で最初のコミューン会議、司会は最長老議員シャルル・ベレー。
国民軍とその中央委員会の、祖国及び共和国に対する功績についての決定採択。
国民軍中央委員会、コミューンへの権力移諸についてパリ住民へアピール。
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市庁舎の正面入口には女神「共和国」の胸像が、赤いスカーフを首に巻き赤い旗にとり囲まれている。市庁舎の屋根にも赤旗が翻り、グレーヴ広場の台の側にも赤旗・三色旗がぎっしりと立っている。台の前に着剣をした国民軍兵士が整列し、「ラ・マルセイエーズ」「出陣の歌」が起こる。祝砲が響き、大革命のときの流行帽フリージア帽が波を打つ。やがて中央委員会委員や選出されたコミューン議員が壇上に登り、中央委員会代表ランヴィエが、コミューン成立を宣言。
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社説「祭り」(「人民の叫び」30日付)。
「コミューンが宜言された。
コミューンは、勝ち誇り、最高の権威をもち、武器を手にして、投票箱から誕生した。パリの人民に選ばれた議員たちが市庁舎の古い建物に入っていった。この建物はサンテールの太鼓と一月二二日の銃声を聞いたのだ。市庁舎前の広場には国家の名誉とパリの尊厳のために犠牲となった人々が流した血が、この祭りの日に勝ちほこって進む大隊の足下に舞い上る埃で消されたばかりである。・・・
コミューンは革命的で愛国的な平和で陽気な、祭りの一日に宣言される。・・・それは九二年の人々が眺めた日々に価する日であり、また帝政の二〇年と敗北と裏切りの六ヵ月を慰める。・・・
武器を手に立ちあがったパリの人民は、このコミューンを歓呼して迎えた。コミューンは、パリの人民を開城の屈辱とプロシアの勝利という侮辱から救い出した。コミューンはかつてパリを勝利に導いたごとく、やがてパリに自由をあたえるだろう。・・・
コミューンが宣言された。
今日は思想と共和国の結婚の祭典だ。
明日は、市民兵諸君、昨夜歓呼で迎えられて結婚したコミューンに子供を生ませるため、常に誇らかに、自由を保持しつつ、仕事場や、帳場にある諸君の持場に帰らなければならない。
勝利の詩の後には、労働の散文がやってくる。」
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中央委員会の声明。
「本日、われわれは、最も雄大な人民集会をもつことができた、われわれの眼をこのように見はらせ、われわれの心をこのように感動させたものはない。
パリはその革命に挨拶と歓呼を送った。パリは歴史に新しい頁を開き、その力強い名前を書きこんだ。
・・・二十万の自由人がその自由を宣言し、新制度を布告した。われわれの周囲を徘徊しているヴェルサイユのスパイどもは、帰ってその主人に報告するがいい、祖国のために死ぬことを誓いつつその主権を取戻した人民の偉大なる姿を。
・・・帝政の前に二十年間無力だったフランスは、自由と勤勉とによって過去の専制と無力からよみがえらなければならぬ。本日選ばれた人々は全力をあげて諸君の自由を保証し、これを永久的なものたらしめるであろう。
・・・信頼をもって諸君のコミューンの周囲に結集せよ、なさねばならぬ改革に協力することによって、その事業を容易ならしめよ、そのときこそ諸君は、確実に次の目標である世界共和国の理想に達することができよう。」。偉大な勝利の日、偉大な幻想の日。
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コミューン内部でも「パリ・コミューン」について3つの解釈が共存。
①コミューンは、市政の独立・自由の表現であるという考えで、政府・議会の介入を拒み自治性を確立するという点で、パリ・ブルジョワの長年の夢の実現。
②コミューンを1792、93年の革命的独裁の継続として捉える理解で、プランキストやジャコバン派が抱くコミューンの理想像。
③インターナショナルの連邦主義者たちの考えで、コミューンを労働者階級の渇望に応ずる新しい社会秩序の基盤として意味付ける。
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・パリ、証券取引所、再開。
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・アルジェリア、フランス住民の民主的部分の代表者達、「もっとも断固としてパリ・コミューンに参加する」と声明。
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・マルセイユに到着したパリの国民軍中央委員会代表団の発意に基づき、反革命勢力を攻撃開始。
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・サン・テティエンヌ。政府軍、市役所占拠。コミューン崩壊。
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・ルアン。ドイツ政府代表とティエール政府全権と協定締結。
ティエール政府がヴェルサイユおよびセイヌ・エ・オアズ県における軍隊増強(4⇒8万)、臨時に、国民議会によって樹立された政府の権力と秩序とが、パリに完全に回復されるまでの間許可する。
ヴェルサイユ軍補充の為、ドイツからフランス軍捕虜の送還再開。
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・ロンドン。インタナショナル総評議会、マルクス、評議会員セライエがパリ支部連合評議会の手紙の件でパリに派遣された、総評議会代表団が22日のウェリントン・ミュージック・ホールの集会に出席し、「パリの労働者たちの現在の闘争にたいする共感」の決議が、満場一致で採択されたことを報告。
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・ブリュッセル、平和条約締結について、フランスとドイツの交渉開始。ドイツ代表団は、フランスの国内情勢を利用して、暫定平和条約の条件改悪を目論む。
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・モスクワ、チャイコフスキー「弦楽四重奏曲第1番第2楽章(アンダンテ・カンタービレ)」初演。
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3月29日
・仏、パリ・コミューン最初の評議会。議長は最年長のベレー。若干の決議。議会の非公開(これは抗議を呼び、議会と、人民、衛兵大隊、地区、地区集会、クラブなどとの連帯が弱まる)、毎週、執行部を選挙すること(最初の選挙では、議長ルフランセ、書記リゴーとフェレ、補佐ベルジュレとデュヴァル。その結果、指導的役割はプランキ派とブルードン派が分け合うことになる)、コミューンが行なう公共事業を定める布告、など。
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・パリ・コミューン評議会において、アシは中央委員会の名において、同委員会が保有する権限をコミューンに譲渡する(中央委員会は消滅するのではなく、組織を残したままで、国民衛兵を指揮する事を望む)。ウードが、選出された議会を公式に「パリ・コミューン」と呼ぶ提案、可決。
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・パリ・コミューン評議会、旧各省に対応する9委員会に分割。財政・軍事・労働・教育・保安など。
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①軍事委員会。国民軍の訓練・武装、被服、軍に関する法令起草、保安委員会との協力によるコミューン防衛強化を任務とする。既にコミューン成立に重大な成果を収めている国民軍連盟中央委員会との権限分担という複雑な問題を抱える。中央委員会は任務完了宣言したものの、ヴェルサイユとの軍事的緊張の高まりの中で、なお存続する。
パンディ、ウード、ベルジュレ、デュヴァル、シャルトン、フルーランス、ランヴィエが委員。⇒改造後ドゥレクリューズ、トリドン、アヴリアル、ランヴィエ、アルノルド。
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②保安委員会。警察、公安を任務とし、委員はリゴー、フェレ、アシー、クールネ、ウーデ、シャレン、ジェラルダン。⇒改造後クールネ、ヴェルモレル、フェレ、上フンケ、A・デュポン。
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③司法委員会。裁判を民主的社会制度にする任務をもち、司法諸制度・諸手続きを法令によって規則化する段階ま進める必要がある。この委員会は「臨時」の性格を帯び、実際に司法権に関しては、コミューンがとった法的な処置が、全体として司法権であるという事態が起こる。
委員はプロト、ランク、メイエ、ヴェルモレル、ルドロワ、バビック。⇒改造後ガンボン、ドゥリュール、クレマンス、ランジュヴァン、デュラン。
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④財務委員会。パリ市の予算監査、家賃問題、支払期日問題、フランス銀行、予めコミューンによって許され査証された資金の各委員会への分配等に責任をもつ。
委員はジュールド、ヴァルラン、Ⅴ・クレマン、レジュール、ペスレー。⇒改造後べスレ、ピリオレ、Ⅴ・クレマン、ルフランセ、F・ピア。
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⑤糧食委員会。首都の糧食の調達、新立法を待つ間の入市税取りたて。
委員はドゥルール、シャンピー、オスタン、J・B・クレマン、パリゼル、E・クレマン、H・フォルテュネ。⇒改造後ヴァルラン、パリゼル、E・クレマン、Art・アルヌー、シャンピー。
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⑥労働・工業・交易委員会。コミューンの公益事業、労働者と雇用主との関係、商法改正、職業教育等の問題を扱う。労働とサラリーを均衡させる手段を探りながら、国家的産業を発達させ、パリを生産の一大中心地にする義務がある。さらに社会主義的理論の普及につとめながら社会革命の道を開拓する重大な任務を負う。委員には連邦主義者が多い。
マロン、フランケル、ティズ、デュポン、アヴリアル、ロワゾー・パンソン、ジェラルダン、ピユジェ。⇒改造後ティズ、マロン、セライリエ、ロンゲ、シャレン。
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○「労働および交換委員会」(委員長レオ・フランケル)の任務:
「コミューンの社会事業ならびに男女労働者の労働事情に関連して実行すべき諸種の方策を研究し、商業取引規則、関税率等を再検討し、諸種の直接税および間接税を改正し、労働および交換の統計的研究を行なう」。この委員会の発起に基づき公布された労働立法の例。罰金その他の名目により、労賃より控除を行なうことを禁じる、コミューンの請負事業における労働者の最低賃銀を定める、入札は労働者の生産協同組合に優先権を認める、パン焼労働者の夜業を禁止。
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⑦公共事業委員会。市行政の監督し、郵便、電報、道路行政、鉄道、福祉の責任を負う。
委員はビリオレ、マルトゥレ、モルティエ、ラストゥール。⇒改造後オスタン・ヴェジニエ、ラストゥール、Ant・アルノー、ポティエ。
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⑧教育委員会。教育改革に関わり、教育を無料化・義務化、宗教から切り離し、リセにおける奨学金付与を容易化、労働者階級の子弟に高等教育への道を開く等の問題の検討。
委員は教育関係者が多く、ヴァイアンを中心に、ヴァレス、グーピル、ルフェーヴル、ウルベン、A・ルロワ、ヴェルデュル、ドウメ、ロシネ、ミオ。⇒改造後クールベ、ヴェルデュール、ミオ、ヴァレス、J・B・クレマン。
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⑨渉外関係委員会。対外関係を扱う。特にフランス各地のコミューンとの連盟を目指し、またプロシアなどの外国とも友好関係を結ぶ活動。
委員はP・グルーセ、ランク、ドゥレクリューズ、U・パラン、Art・アルヌー、Ant・アルノー、Ch・ジェラルダン。⇒改造後メイエ、Ch・ジェラルダン、アムールー、ジョアナール、ウルベン。
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・パリ・コミューン評議会、執行委員会設置。コミューンの布告や他委員会の決定を執行させる任務。様々な対立の為4月20日に改選。
 
メンバは、ウード、トリドン、ヴァイアン、ルフランセ、デュヴァル、F・ピア、ベルジュレ、リゴー、モルティエ、パラン、バンディが選出されるが、様々な対立により、4月20日に改組。
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・コミューンの最初の呼び掛け。
コミューンの任務とその最初の諸法令(徴兵を廃止し常備軍を武装人民に変えること、家賃支払延期について、質入れ品物の売却停止について、ヴェルサイユ政府の命令・指示の無効宣言など)について。
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徴兵・旧軍隊廃止。1866年、第1インタナショナルのジュネーヴ大会で提起された民主的変革綱領の最重要項目。軍隊は、人民から遊離し、勤労者の利益に反対、支配階級の特権を擁護し、革命的行動を弾圧し、略奪戦争を遂行する為に利用される。コミューンは反人民的な常備軍を廃止し、それを全人民の武装(勤労者からなる国民軍)によって取り替える。
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貧民は、質物の無償受け出しを要求。財政委員ジュールドは財政への影響大のため反対。5月6日応急措置。
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「現存する唯一の権力であるパリ・コミューンは、以下のごとく布告する。
一、種々の公務の従業員は以後、ヴェルサイユあるいはその同調者から発せられる命令および通達を無効とみなすこと。
二、この政令に従わない官吏あるいは従業員は直ちに解雇されるであろう。
コミューンを代表して 議長 ルフランセ。 補佐 ラン、ヴァイヤン。」
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貼り出された宣言。
「諸君が後を追おうとさえしなかった犯罪者どもが、今日、諸君の寛大さを悪用して、市の城門附近に王政的陰謀の策源地を組織しようとしている。彼らは内戦を起そうとしている。彼らはあらゆる買収運動を行なっている。彼らはあらゆる共犯者と手をにざる。彼らは外国の援助さえあえて哀願するほどである。われわれはこの憎むべき策謀を、フランスと世界の審判に訴える・・・」
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・チラールとコミューンの数人の議員(グルーセ、ジュールド、リゴー)との間に激しい対立。チラールは議場を去り数日後に辞職。
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・国民軍、5つの保険会社の店舗を占拠、これら会社の帳簿・金庫を封印。
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・政治的展望の薄明りの中を出来るだけ遠く見通そうとするロンゲの論説(「官報」29日付)。
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「コミューンの権限。
われわれがこの文章を書いているこの時に、中央委員会は、事実上は別として法律上はその地位をコミューンに譲っているだろう。
中央委員会は、必要に迫られて付託された異状な委託をなし遂げたので、みずからその特殊な任務に立ち帰えるだろう。その任務こそ中央委員会の存在理由であり、それが権力によって暴力的に否認されたので、都市の武装した代表として都市と共に戦って勝利をおさめるか、または滅びることをよぎなくされた。
政府の専横に対して正当かつ合法的に蜂起した市政の自由の表現である中央委員会の唯一の使命は、委員会がかちとった根源的な権利が奪い取られるのを万難を排して防ぐことであった。投票の翌日に、中央委員会はその義務を完了したということができる。
選出されたコミューンについていえば、・・・何よりもまずその委託の性格を決定し、その権限を定めなければならないであろう。フランスのために国民議会にあたえられる、かくも広範で、かくも錯綜した憲法制定の権力を、コミューンは自分自身のために、すなわちコミューンはその表現にすぎない都市のために行使しなければならないであろう。
さらに、われわれの選出議員の最初の仕事は、彼らの憲章、かつて中世のわれわれの祖先たちが彼らのコミューンと呼んだあの証書の、討議と起草になるであろう。この仕事がおわれば、市の自治についての法令を、それがいかなるものであるにせよ、中央権力に承認させ保証させる手段を考えなければならないであろう。・・・
権力の侵害に対しては、パリ・コミューンは、自ら侵害をもって応えるには及ばないであろう。フランスのすでに解放された他のコミューンと連合して、パリ・コミューンはその名において、またリヨンやマルセーユの、そしてやがてはおそらく十大都市の名において、それらコミューンを国家に結びつけるべき契約条項を検討し、それらのコミューンが署名に応じる最終的な協定を作成しなければならないであろう。
この最終的な協定はどのようなものになるだろうか。第一に・・・自治、すなわち回復された市町村の主権の保証が含まれねばならないだろう。
第二に、それはコミューンと国家的統一体の代表者たちとの自由な交流関係を確立しなければならない。
最後に、それは議会に対し・・・将来において都市の代表が農村の代表のなかに吸収され、溺れてしまうようなことが二度とおこらない・・・ような選挙法の発布を強制しなければならないだろう。」
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・インタナショナルパリ支部連合評議会、コミューンとの連絡委員会の選出。インタナショナル定期大会の5月15日パリ開催を決定。
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・マルセイユ。国民軍集会、パリの模範にならい、国民軍連盟結成を決定。
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・ヴェルサイユ。ティエール、オルレアン派副提督ゲイドン伯爵をアルジェリアの総督に任命。
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・ブタペシュト。ルーマニア人の新聞「アルピナ」、パリで「革命家たちが、その敵どもにたいして、民主主義と共和制を強化確保する目的をたてている」という報道を掲載。
to be continued

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