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前に一度引用した一文です。
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「慶応二年には、幕府が一般に海外渡航を許した。この年岸田吟香が、ヘボンとともに上海に渡っている。ヘボン、米国長老教会の宣教師で医師、安政六年(一八五九)来日、のち明治学院最初の総理となる。ヘボン式ローマ字の創始者である。このヘボンの和英辞書編纂の助手となったのが岸田吟香で、稿が完成した一八六六年、その印刷のため上海に渡ったのである。このときは約九ヵ月で帰国するが、のち『東京日日』の主筆として、福地桜痴、成島柳北らとともに活躍、一八七七年(明治十)東京日日を辞すると、銀座に楽善堂という薬店を開業、ヘボンから処方を教わった眼薬精綺水の販売を始め、一八八〇年、英租界河南路に葦堂支店を開設した。上海の楽善堂は、薬・雑貨のほか、中国の古典の小型活字版を出版して好評を博し、年に三万冊の売り上げをみたという。
いっぽう岸田はこれによって得た資金で、多くの「支那浪人」や軍人を食客として養い、漢口・長沙など各地には、これらによる楽善堂支店・出張所が開設され、日本の中国進出の触角あるいは尖兵ともなった。岸田は東亜同文会、東亜同文書院の創設にも関わっている。画家の岸田劉生の父としても知られる。」(丸山昇「上海物語」(講談社学術文庫)。
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ヘボンの律義さが印象的。
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