明治17(1884)年11月1日~ 坂本宗作らの遊撃隊の活動
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今回は、11月3日以前の困民軍遊撃隊の活動について。
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①作本宗作隊
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・坂本宗作(乙隊の伝令使)は、上吉田村~巣掛峠に向う主力と別れ、別働隊50~60名を率い2日午前2時、日尾村入り。各村々の駆出しのためこの頃200名となる。
日尾村和田の聯合戸長役場で人足駆出しと公証簿の焼き捨て(この日午前5時頃参加した「酉番」は4日の石間の戦いで群馬の警部を斬り、後死刑になる)。高利貸し焼討ちせず、鍵を出させて土蔵を開ける。次の藤倉村も同様。日尾村聯合からは100名ほどが出て、ゲリラ隊は300に膨れ上がり、昼頃、本隊の後を追って大宮入り。
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戸長役場では筆生の関口俊平(製糸工場日尾盟社社長、51)が宿直。彼は、村の重立ちを集め、こうなったら一命にはかえ難いから要求通りにする方針を定める。
戸長も、蜂起目的についてある程度共感し、「近頃は追々不景気ヲ来シ、百姓困窮ニ相成り、如何ニモ難渋ニ付、先ソノ高利貸ヲナスモノノ家ヲ破壊シ、夫ヲ防ギニ来ル者ヲ打払ヒ、百姓ハ楽ニナル」と言うので、この村では役場が農民に出ろという形になる。
戸長役場に対する人足の要求は、3ヶ条。
「一、聯合村中、一戸ニ付一人ノ人足ヲ差出スべシ。
一、右人足ハイヅレモ刀剣銃器ヲ携フルヲ要ス、所有ナキ者ハ何カ凶器ヲ携フベシ。
一、白木綿ヲ以テ票示ヲナスべシ。」。
公証薄焼き捨ても、白刃をきらめかせての脅迫であり、関口はこれも見逃す。
次に、関口の隣家の高利貸に案内しろと言われ、行ってみると主人はいない。しかし、1,000円近い貸金証書は近所の人が差出したので関口は放火をお許し願いたいと交渉、農民が土蔵打ち毀しを始めたので、女房から鍵を借りて開けさせる。
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・約300に膨れ上がった坂本宗作隊は、2日午後、小鹿野町に入り、前夜本隊が打毀した高利貸の加藤恒吉(常盤屋)・柴崎佐平(山二)の家を襲う。
その後、この隊は小鹿坂峠を越えて、大宮郷の本隊に合流。
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「午後二時、西方ヨリ暴徒二、三百名、北ノ方巣掛峠ヲ越テ二百余名、各猟銃・刀槍及竹槍等ヲ携へ、小鹿野町へ繰込ミ、柴崎佐平・加藤恒吉ノ宅ヲ再ビ毀シ、倉庫ヲ開キ、雑品ヲ道路ニ焼ク、勢甚ダ猖獗ナリ、男子ヲ見レバ脅迫シ、賊ノ隊伍へ加へントス、故ニ人民若トナク老トナク遁逃シテ家々皆婦女子ナリ、暴賊其機ニ乗ジ横恣極マルナシ」(「小鹿野町へ暴徒乱入ノ状況」)
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②高岸善吉隊。
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高岸善吉(乙隊、下吉田村小隊長)は、小鹿野町襲撃後、飯田村小隊長の犬木寿作と共に、数10名を率い飯田村~三山村に進み、商店2軒を打毀す。
この時、打毀された1軒の主人は精神に異常をきたし、戸長役場の用事で通りかかった無関係の村民を、刀で刺殺(「秩父暴動雑録」)。
その後、更に志賀坂峠の手前の河原沢村まで進み、ここでは2軒から20円ずつを奪い、同じ道を引き返し、往きに呼びかけておいた犬木寿作の飯田村(戸長役場を通じて呼掛け挙村参加となる)で200名ほどを加え、本隊の後を追って大宮郷に向う。
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③今井幸三郎隊
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今井幸三郎(36、秩父郡三山村、飯田村聯合戸長役場で高岸善吉隊に加わる)は、河原沢村で人足狩り出しを行い、反転して小鹿野町に入る。
ここで高岸善吉の指示で150人を率い、薄村・小森村・贅川村で狩り出し、白久村では現金20円と刀剣1振を掠奪、大滝村で酒食を出させ20円を奪う。大滝村で3日の夜明けとなるが、手勢に与える糧食が得られず、「衆飢餓ヲ訴へ」離散となる。
取り残された今井幸三郎は山中を放浪するが、6日藤倉村で見張番に発見され、憲兵に引渡される(「今井幸三郎裁判言渡書」)。
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④宮川寅五郎隊
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1日夜小鹿野町襲撃後、②の高岸善吉・大木寿作等と三山村に行き、ここで隊を二分。
宮川寅五郎・犬木寿作らは、薄村戸長役場に押しかけ「村吏ヲ斬殺ス」と脅かして村民募集と炊きだしを迫る。
2日朝、小森村に進み109円70銭を強奪、続いて同村戸長役場で村民募集を迫る。次に贅川村に進み、磯田忠吉を脅して刀4本・小銃2挺を奪う。
上田野村戸長役場では村民募集を迫り、午後5時頃大宮郷に引揚げる。掠奪した金員のうち80円を田代栄助に、5円を犬木寿作に渡す。
ここで、寅五郎は田代栄助から4円40銭を貰い、この夜土地の事情に明るい堀口幸助の案内で再び荒川上流に向い、上田野村の高利貸三上重左衛門方に押しかけ、抜刀して貸金証書と軍用金の差し出しを迫る。
重左衛門は「手元ニ所持セズ、家族ノ出先ヨリ持参スベシ」と言うので、組合の者3名を重左衛門に随行させ、4名を人質とするが、同人は戻らず。
寅五郎は、「自由党屯所宮川寅五郎」と書いた旗を作り、これを押し立ててその夜は大宮郷に引き揚げる。
翌3日も、寅五郎は三上方に上るが、大宮郷からの使いが「田代栄助等皆野村ニ進発シ、指揮スル者無之、速ニ来会セヨ」と伝えると、周囲の者は態度を一変して寅五郎に反くようになり、午後7時頃、寅五郎は戸長三上薗次らに捕えられる。
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宮川寅五郎:
浜松生れ、無籍の目稼業、40歳。この年9月以降、上吉田村に流寓、加藤織平らの勧めで困民党の運動に加わり、蜂起の際は「軍用金徴収方」。
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「★秩父蜂起インデックス」をご参照下さい
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次回より、11月3日以降の困民軍崩壊過程に移ります。
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