今回は、もっとも「べた」な神田を・・・。
(納得いかないのですが、正しくは、湯島聖堂は神田ではなく、文京区にあるということらしい。)
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大石学「坂の町・江戸を歩く」(PHP新書)より
「・・・。文京区湯島一丁目の昌平坂は、湯島聖堂の南脇を神田川土手沿いに昌平橋に下る坂である。坂の名前は、元禄四年(一六九一)正月に儒者林羅山の家塾が忍岡から湯島のこの地に移転し、昌平學と呼ばれることに先立ち、「元禄三年十二月十六日、聖堂の下前後の坂を今より昌平坂と唱ふべきよし」、「(元禄三年)十二月二十二日、昌平坂大聖殿上棟、是まで忍ケ岡にありしが、今年この所へうつし給ふ、この前の坂を昌平坂と改めらる」と、移転の直前に定まったという。
昌平とは、中国山東省曲阜県にある孔子の生地である。寛政九年(一七九七)に、林家の家塾が幕府直営の学問所(昌平坂学問所)となり、聖堂の再建にともなってもとの昌平坂が聖堂の敷地に取り込まれたため、現在の昌平坂にこの名が移った。
「三度目に昌平坂の下夕へ越し」は、中国の故事「孟母三遷」(孟子の母が教育のために三度転居した話)にかけたものである。神田川に架かる昌平橋は、もと一口橋といっていたものが、昌平橋に改められたことから、「字は昌平本名は芋洗い」「昌平は唐名和名は芋洗い」(『俳風柳多留』)など、二つの橋の名前を詠んだ句も生まれた。」
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この本の別の個所では、「相生坂」と「昌平坂」の違いの説明も丁寧に書かれています。
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「★東京インデックス」をご参照下さい
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坂の町・江戸東京を歩く (PHP新書)
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