2010年11月23日火曜日

樋口一葉日記抄 一葉21歳 明治26年(1893)11月23日~12月1日 「女子の脳はいとよはきもの哉。・・・」 創作への気迫   

明治26年(1893)11月23日
竜泉寺町で雑貨・駄菓子を商う一葉一家。この時、一葉21歳
「文学界」星野天知からの依頼の原稿と格闘する。
11月23日、24日は殆ど寝ずに原稿用紙に向かうが、書けないままに朝を迎える。
25日、僅かの睡眠で早朝に起床し、雪でも降ったかと思われる深い霜のなかを買い出しに行き、帰ってからようやく清書を終える。
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「一葉日記」から(適宜改行を施す)
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「二十三日 星野子より『文学界』の投稿うながし来る。いまだまとまらずして、今宵は夜すがら起居たり。」
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「二十四日 終日つとめて猶ならず、又夜と共にす。
女子(オナゴ)の脳はいとよはきもの哉
二日二夜がほど露ねぶらざりけるに、まなこはいともさえて、気はいよいよ澄行ものから、筆とりて何事をかかん。
おもふことはたゞ雲の中を分くる様に、あやしう一つ処をのみ行かへるよ。
「いかで明るまでにつゞり終らばや。これならずんば死すともやめじ」と只案じに案ず。
かくて二更(*夜10時)のかねの声も聞えぬ。気はいよいよ澄ゆきぬ。
さし入る月のかげは霜にけぶりて、もうもう朧(ロウ)々たるけしき、誠に深夜の風情身にせまりて、まなこはいとどさえゆきぬ。
かくても文辞は筆にのぼらず。
とかくして一番どりの声もきこえぬ。大路ゆく車の音きこえ初ぬ。
こゝろはいよいよせはしく成て、あれよりこれに移り、これよりあれにうつり、筆はさらに動かんともせず。
かくて明けゆく夜半もしるく、向ひなる家、となりなどにて戸あくる音、水くむなどきこえ初るままに、唯雲の中に引入るゝ如く成て、ねるとしもなくしばしふしたり。」(「塵中日記」明治26年11月24日)。
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この作品が完成しないならば、たとえ死んでも書くことはやめまい、という創作への意欲。
「女子の脳はいとよはきもの哉。・・・」は、弱音ではなく、自己を叱咤する気迫であろう。 
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11月25日
「琴の音」成稿。
11月30日刊行の「文学界」11号に間に合わせる強行仕事であったが、結局12月30日発行の『文学界』第12号に掲載。
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「二十五日、はれ。霜いとふかき朝にて、ふとみれば初雪ふりたる様也。
ねぶりけるは一時計(ヒトトイバカリ)成けん。
今朝は又金杉に菓子おろしにゆく。
寒さものに似ざりき。
しばしにても魂をやすめたればにや、今日は筆の安らかに取れて、午前の内に清書も終りぬ。
郵書になして星野子におくりしは、一時頃成しか。午後、禿木子にはがき出す。・・・」
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(眠ったのほほんの僅かの時間だったのでしょう。今朝はまた金杉町に菓子の買出しに行く。何とも言えないほど寒い。しばらくでも心を休めたためでしょうか、今日は筆が軽く動いて午前中に清書も終わった。)

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11月26日
「二十六日 晴れ。寒し。今朝、洲崎弁天町、火あり。夜の三時頃よりと聞えしかは、過半はやけうせしなるべし。・・・」
(*深川洲崎遊郭の大火。大半が焼ける。明治10年にも大火、21年に再建されていた)
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12月1日
「十二月一日 晴れ。『文学界』十一号来る。花圃女が文章、めづらしくみえたり。山の井勾当がことを書しなるが、文辞いたく老成になりて、こゝ疵とみゆる処もなく、とゝのひゆきぬ。今の世に多からぬ女文学者の中、この人などやときは木のたぐひにぞ、後のよまで伝はりぬべきなめり。おのづから家の筋、人ざまなどもうちあひて。
孤蝶子が「さかわ川」、無声(*藤村)が「哀縁」など、をかしき物なり。
「哀縁」はおきて、「さかわ川」はいん文といふべき物にもあらず、五七の調にてうたふべき様にもあり、浄るりに似て散文躰にもあり、今一息と見えたり。

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いひふるしたるみじか歌の、月花をはなれて、今のよの開けゆく文物にともなひ難きあまり、新体などいふも出くめり。
もとよりざえかしこく、学ひろき人々がものすのなめれど、猶わかう人が手になれるは、好みにかたより、すきにへんして、あやしうこと様のものになれるもあり、ふる人の指さしわらふもげにと覚ゆることなき忙しもあらず。
さりとて、みそひと文字の古体にしたがひて、汽車汽船の便あるよに、ひとりうしぐるまゆるゆるとのみあるべきにあらず
いかで天地の自然をもとゝして、変化の理にしたがひ、風雲のとらへがたき、人事のさまざまなる、三寸の筆の上に呼出してしがな。
さはいへ、かくおもふは我人共の顧ひなるべけれど、そは天才といふ人の世に出ざるかぎり、成りたつまじきものなるにや。
俗中に風流あり、風流のうちに大俗あり。
新たい詩歌の俗の様に覚えて、かのみぢか歌のみやびやかに聞ゆるは、ならはしのみのしかるにあらず、人の心に入て人の誠をうたひ、しかも開けゆくよの観念にともなはざれは也
詞はひたすら俗をまねぴたりとも、気いん高からは、おのづから調たかく聞えぬべし。
さても学び易くしてうたひがたきは、猶この道の奥にぞある。
此夜、号外来る。議長不信任問題上奏案の可決なしたるよし。」

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文学界に掲載の作品を批評し、ついで新体詩のことに触れる。
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(俗世間の中に風流があり、風流の中に俗がある。
新体詩が俗のように見えて短歌が優雅に聞こえるのは、長い習慣のためばかりではない。
現代の詩歌がつまらないのは、人の心の中に入ってその真実の心を歌っていないからであり、また開けゆく時代の感情に一致していないからだ。
たとえ言葉は世俗的なものであっても心に気品高いものがあれば、その作品の調べは格調高いものになる。
本当に学びやすくして作り難いというものはこの詩歌の道であり、その奥深い所は究め難いものです。
夜、号外が来る。衆議院議長星亨不信任の上奏案が可決されたとのこと。)
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「☆樋口一葉インデックス」 をご参照下さい。
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