日本橋から始めた日本橋川の溯上も、今回で終わります。
神田川との分岐点(飯田橋・水道橋間)まで来ました。
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前回にご紹介した新川橋の少し下流の神田側に下のような大きな看板がありました。
この看板によると、微生物を川に投入する方法で日本橋川の浄化を進めるプロジェクトのようだ。
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平成13年12月竣工の、あいあいはし、という。
新川橋の一つ上流にある。
Goo地図の明治時代版では新板橋という名の橋があった。
次の新三崎橋は平成14年1月竣工となっている。
この辺りの再開発の一環で架け替えたものと想像できる。
しかも、名前も「i-i bashi」。
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この辺りの上下流
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神田側の反対側では桜並木が続き、もう少し行くと、ナントカ・ガーデンみたいな名の複合施設、洒落たオープンカフェがありそうな、そんな一帯に近づく。
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讃岐高松藩上屋敷の土蔵跡の看板
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淀んだままの、見捨てられた川。
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もうすぐそこが日本橋川・神田川の分岐点。
手前から、新三崎橋、JR山手線鉄橋、三崎橋(下の写真では見えない)と続き、分岐点に至る。
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新三崎橋
この橋自体は平成14年1月竣工だが、明治時代の地図にも新三崎橋の名前で、この場所に橋が見える。
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山手線の鉄橋の向こうに三崎橋
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分岐点
上が飯田橋方面、下が水道橋方面。
水は停滞したまま(のように見える)。
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この辺り一帯の説明。
神田川開鑿、平川の外堀化などについて説明してある。
麹町台地、駿河台台地に挟まれた地域であるため、神田川開鑿前までは、すぐに水の溢れる地域だったという。
更に小石川の台地から流れてくる水もここに集まったと思われる。
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取り敢えず、日本橋川を、日本橋から神田川との分岐点まで溯上してきた。
高速が川を覆い、陽を浴びることのない川。
流れのない川。
景色のない川。
見捨てられた川・・・、であった。
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下は、神田川が、飯田橋近くで高速に覆われ始める地点。
覆われた地域ばかりを溯上して来た身には、高速からの解放に思える。
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次は、日本橋川が両国橋近くで隅田川に合流するところまで、下って行くことを計画したい。
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「★東京インデックス」 をご参照下さい。
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