2010年11月14日日曜日

天文24年(1555)10月~12月 厳島合戦(陶晴賢破れる) 太原雪斎(60)歿 武野紹鷗(54)歿 信長、下四郡を手中にする [信長22歳]

天文24年(1555)10月1日
・厳島合戦
安芸厳島で、毛利軍(毛利元就は子隆元・小早川隆景・吉川元春らを率い)、暴風雨の中を奇襲で陶晴賢(35)を破る。陶晴賢は島内大江浦で自害。
5日、利元就、厳島を引き上げ対岸の安芸桜尾城(廿日市)に凱旋。
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村上水軍(能島、来島、因島):村上師清の子の村上氏分割相続。
①嫡男義顕(よしあき)が伊予能島(のしま、越智郡宮窪町)、
②顕忠(あきただ)が伊予来島(くるしま、今治市)、
③顕長(あきなが)が備後の因島(いんのしま、因島市)に拠点を置き、
能島村上氏来島村上氏因島村上氏の祖となる。
③因島村上氏は警固衆として早くから各地の大名に助力し、次第に三原(広島県三原市)の小早川隆景(毛利元就三男)に接近後、従属。
②来島村上氏は伊予守護河野氏の家臣となり河野水軍を取り纏める。
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厳島合戦では三島村上氏に対して毛利・陶氏双方から援軍依頼。
因島村上氏は早々に毛利氏につく。
能島村上氏当主村上武吉(たけよし)は、毛利氏使者小早川水軍武将浦宗勝に、来島村上氏の村上通康の意向を訊いてから方針を決める旨返事。戦後、毛利氏から恩賞を与えられていることなどから、因島村上武吉に来島水軍を委託した模様。
その後、河野氏が毛利氏と盟約を結び、来島村上水軍は毛利氏の防長攻略戦に協力、大内義長の九州逃亡阻止に功あり、来島村上通康は周防大島(屋代島)を与えられ能島村上氏と分け合う。
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10月1日
・信長(22)、花井三河守政勝に278貰文の知行を与える。
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10月2日
'・武野紹鷗(54)の最後の茶会。宗久・山上宗二が招かれる。この年閏10月没。
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10月4日
'・厳島彌山(びざん)龍ヶ窟に籠もり抵抗していた陶晴賢重臣弘中隆兼、討ち取られる。
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10月8日
・毛利軍、周防岩国に進出、防長制圧に乗り出す。
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10月13日
'・美濃斎藤道三の長男斎藤義龍、弟たちを欺くため仮病を装い床につく。
22日、弟孫四郎と喜平次を稲葉山城に呼び寄せ謀殺。
隠居道三、城下を焼き北方山県郡山中大桑城に立て籠る。
翌弘治2(1556)年4月、決戦。
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10月15日
・今川義元の斡旋により長尾景虎と武田晴信が和睦。
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10月16日
・イングランド、新教徒の弾圧開始。リドリー(ロンドン主教)ラティマー(ウスター主教)火刑。
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10月23
・「弘治」に改元
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10月25
・神聖ローマ帝国カール5世、息子フェリペ(翌年、フェリペ2世)にネーデルラント支配権を譲る。
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10月26
・三好長慶、金蓮寺に敷地を安堵(「金蓮寺文書」)。
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10月28
・周防伊賀地で百姓蜂起。小早川隆景、これを鎮圧。
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閏10月10
・今川家軍師・臨済寺住持の太原雪斎(60)、葉梨長慶寺で歿
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閏10月15
第2次川中島の戦い、終る
武田晴信が依頼し今川義元の調停で武田・長尾和議成立。両軍撤兵。
条件は、武田氏の旭山城破却と越後に逃れた北信国衆・地侍の本領復帰。その背景には、将軍義輝の意向と信玄の信濃守護職獲得の動き。
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閏10月29
・千利休(34)の師・武野紹鷗(54)、歿
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この年(改元前の天文24年)10月2日、宗久・山上宗二を招いた茶会が最後。
利休は、4月1日、亭主として催した朝会に、万代屋(モズヤ)宗安・今井宗久・宗好ら共に紹鷗を招き、秘蔵の牧谿自画賛・高麗茶碗をもってもてなしたのが、終の別れの茶会となる。
「紹鷗ハ五十四二テ遠行、茶湯ハ正風体盛リニ死去也、物ニタトへハ、吉野ノ花盛ヲ過テ、夏モ過、秋ノ月、紅葉ニ似り」(「山上宗二記」)。
今や紹鷗に代り、茶湯の新しい時代は、利休・宗久・宗及たちに移ることになる。
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11月
・毛利氏、宇賀島一揆を鎮圧。
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11月6日
・武田晴信の側室(勝頼生母)諏方氏、没。
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11月10日
・ユグノー、リオデジャネイロ湾岸にフランス植民地を建設。
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11月13日
・吉川軍、益田傘下の三隅隆兼の支城・鐘尾城(かねのおじょう)を攻撃。
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11月23日
・鎌倉葛ヶ谷で北条家の庇護下にあった古河公方足利義氏、北条氏康の後見で元服、上総・常陸・安房宛の吉書を作成。
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11月26日
・織田信長の叔父・信光、那古屋城で家臣の坂井孫八郎に殺害。孫八郎は信長追手に殺害。
信長、下四郡を手中にする
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11月27日
・上杉景勝、越後坂戸城主(越後魚沼郡上田荘)長尾政景次男として誕生。 母は謙信の姉・仙桃院(景勝は謙信の甥)。
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12月14日
・三好長慶、意北軒と三淵晴員の相論を裁許し、下地を意北軒に安堵(「大徳寺文書」)。
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12月22日
・千利休、津田宗達の会に招かれる(宗達の子が宗及)。
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12月28日
・信長、坂井利貞へ河尻与三郎の知行地の15貫文と斎藤分の4貫文、計19貫文を知行として扶助(「坂井遺芳」「参州岡崎領古文書」)。
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「★信長インデックス」をご参照下さい
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