2012年12月6日木曜日

1764年(宝暦14/明和元)1月 モーツアルト、ヴェルサイユ宮殿晩餐会に招待され演奏 【モーツアルト8歳】

東京 北の丸公園 2012-11-29
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1764年(宝暦14/明和元)
この年
・三浦明次、真島郡高田(勝山町)2万3千石を与えられ、初代勝山藩主となる。真島郡92ヶ村。
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手島堵庵(48)、三条御幸町に講席を設け、大衆教化を始める
手島堵庵:
石田梅岩の弟子、同じく梅岩の弟子中沢道二と共に、梅岩の教えを江戸にまで広めた。
富小路四条の富裕な町人の出、18歳で梅岩の門に入り、21歳のときには、師の『都鄙問答』の校合にあたった。

手島堵庵は、近江屋源右衝門としての町人生活から隠居し、心学の道一筋に生きようと決心。
門前張り札には。
一、御講釈定例の日、三日、十三日、二十十三日、午後二時から、ときによって場所をかえることがありますが、そのときそのときに通知いたします。
一、服装は自由、男女とも手習や謡・裁縫の稽古にゆかれるときと同じような平常着のままでおいでください。羽織着用にはおよびません。
一、聴衆の席は男女別々、女子の席には簾(すだれ)をかけておきますから、ご遠慮なくおいでください。
一、席料も謝礼もいっさいいただきません。
一、冗談口をたたきながらのご入場は禁じています。静かに出入りして、幼い者はいたわり、順番に先の方へつめて、心をこめて聞いてください。
一、火の用心を願います。
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・小浜藩町人学者木崎惕窓、「拾椎雑話」28巻(地誌)を完成。
宝暦7年(1757)~町内・領内を巡回、古老から聞取りするなどして完成。
惕窓:
元禄2年(1689)生まれ。元文元年(1736)~宝暦元年、小浜の町年寄を勤める。木崎家初代は、近江の佐々木六角定頼の次男常珍と伝え、戦乱を避けて若狭遠敷郡木崎村に住し木崎を姓とするという。
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八戸藩飢饉(宝暦12年(1762)より4年間の飢饉の状況)『八戸藩史料』
明和元年(1764)は、「三月下旬より七月上旬まで旱魃、其上に八月三日大風」にて、高2万石のうち1万1,354石8斗が不熟。
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・折衷学派の井上金峨が「経義折衷」を著す。
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・福山藩、領内10ヶ所に綿の運上書(税を扱う役所)を設置し、綿の統制を再び強める。
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・ハンガリー、トランシルヴァニアにおけるセーケイ人の反乱。
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・イタリア人ベッカリアが、リヴォルノで「犯罪と刑罰」を匿名出版。
刑法の抜本的改革、拷問廃止、裁判公開、判決理由の付記、「社会に有益な」刑罰の創設、死刑廃止を要求。
1766年、ヴォルテールが「犯罪と刑罰に関する著作の注釈」を出版し、べッカリアの著作をフランスに広める。
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・ジェズイット派のフランスからの追放。17世紀半ばに始まるカトリック内部分裂(ジェズイット派とジャンセニスト派の対立)。
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・フランス探検家ルイス・アントワーヌ・デ・ブーゲンビル、東フォークランド島に最初の永久居留地建設。サン・マロの島と名づける(スペイン名マルビナスの語源)。その後、フランスの漁業基地となる。
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・イギリス議会、北米全植民地での紙幣発行を禁止。既に推定2200万㌦の非合法紙幣が流通しており、効果なし。
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ハーグリーヴズ、ジェニー紡績機発明
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1月
・幕府、以前に出された倹約令を再確認し、それを強化する方針を出す。
これまで、作事方・小普請方・賄方・細工所などへ渡されていた現物支給の用紙・筆墨・蝋燭・石灰・灯油・晒布(さらし)が、その部署での自弁となる。
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1月1日
・モーツアルト(8)、ヴェルサイユ宮殿晩餐会に招待。ルイ15世謁見。多くの貴族や音楽家たちと知り合う。
8日、パリに戻る。ド・テッセ伯夫人の為の作品2の第2曲「ソナタ  ト長調」(K9)を作曲。

この日、モーツァルト一家は王の食事会に招待された。ヴォルフガングは王妃マリー・レクザンスカの横に、レオポルトは国王の傍らに、そしてナンネルは王太子とアデライド王女の間に席を取った。ドイツ語を話す王妃自らが通訳を買って出て、食事会が行われた。
食事会の終わりにルイ15世がモーツァルトがオルガンを弾くのを聴きたいと希望したため、演奏の場が早速翌日に予定された。
しかし、国王は翌日まで待つことができず、立ち上がるとそのまま王室礼拝堂へと向かったのである。皆がその後を追った。幼いモーツァルトは一回、そしてもう一回とオルガンの鍵盤をゆっくり弾いて長く音を出した後、溢れ出るように音のハーモニーを奏で、ルイ15世を仰天させた。

「でもフランス人諸氏にとってまったく格別のことに思えたのは、元旦の晩に催された夜食会で、私ども一同のために、国王のテーブルに席をしつらえて下さったばかりでなく、わがヴォルフガング氏はずっと王妃のおそばに立ち、この御方とたえずお話をし、この御方のお相手をし、またその御手に時折口づけて、テーブルから与えて下さった食物をおそばで頂戴するという御愛顧を賜わったことです」(1764年2月1日付、レオボルトのマリーア・テレーゼ・ハーゲナウアー宛の手紙)。
元旦の奏楽で姉弟が1,200リーヴルの報酬を得たことが、宮廷の出納簿に記載されている。

モーツァルト一行はヴェルサイユに16日間滞在した。
レオポルトは、王室礼拝堂の音楽には良い面とそうでない面があると評価した。聖歌隊は素晴らしいと称賛する一方、声楽に関しては冷ややか過ぎる、フランス的過ぎると考えたのである。
ヴェルサイユを発つ際には、ルイ15世の指示によりムニュ・プレジールから1200リーヴルが与えられ、モーツァルト一家はそれまで受け取ったたくさんの贈り物とともに、1月8日、ヴェルサイユを出発。
モーツァルトはその後3月に、感謝の証として、パリで発表された彼の初めての2つのクラヴサン・ソナタをヴィクトワール王女に捧げる。

フランスの音楽に関するレオポルトの評価。
「当地では、イタリア音楽とフランス音楽とがたえず戦争をしています。フランス音楽はまったくなんの値打ちもありません。でも今ではひどく変わり始めており、フランス人たちは、今やはなはだしくぐらつき始めていて、十年から十五年も経つと、フランス趣味は、多分、完全になくなってしまうでしょう。作品出版の点では、ドイツ人たちが主役を演じています。そのなかで、クラヴィーアではショーベルト氏、エッカルト氏、ホーナウアー氏が、ハープではホーホブルッカー氏とマイヤー氏がたいへんもてはやされています。フランス人のクラヴィーア奏者ルグラン氏は自分の趣味をすっかり捨ててしまっていて、彼のソナタは私どもの趣味にのっとっています。ショーベルト氏、エッカルト氏、ルグラン氏、それにホーホブルッカー氏は、彼らの銅版印刷したソナタをすべて私どものところへ持ってきて下さり、子供たちに贈呈してくれました。」
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1月6日
・加賀藩、富突とよばれる宝くじの領内での興行を許可。
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1月12日
本居宣長(35)、手沢本「古事記」(寛永版本)を度会延佳本で校合
この月18日、年始開講で「日本書紀」(「神代紀」)講釈を開始(8の日の夜を定日とし明和3年(1766)3月10日に終業)。
「古事記伝」執筆着手はこの頃と考えられる(完成は1798年6月13日、69歳)。

「此の記の優れる事をいはむには、先ず上代に書籍と云物なくして、たゞ人の口に言伝へたらむ事は、必ず書紀の文の如くには非ずて、此の記の詞のごとくにぞ有りけむ。彼はもはら漢に似るを旨として、其の文章をかざれるを、此れは漢にかゝはらず、古の語言を失はぬを主とせり。抑も意と事と言とは、みな相称へる物にして、上代は、意も事も言も上代、後代は、意も事も言も後代、漢国は、意も事も言も漢国なるを、書紀は、後代の意をもて、上代の事を記し、漢国の言を以て、皇国の意を記されたる故に、あひかなはざること多かるを、此の記は、いささかもさかしらを加へずて、古より云伝たるまゝに記されたれば、その意も事も言も相称て、皆上代の実なり。是もはら古の語言を主としたるが故ぞかし。すべて意も事も、言を以て伝るものなれば、書はその記せる言辞ぞ主には有りける。又書紀は、漢文章を思はれたるゆゑに、皇国の古言の文は、失たるが多きを、此の記は、古言のままなるが故に、上代の言の文も、いと美麗しきものをや。(中略)抑も皇国に古き国史といふ物、外に伝はらざれば、其の体と例に引くは、漢のなるべければ、その体備れりといふも、漢のに似たるをよろこぶなり。もし漢に辺つらふ心しなくば、彼に似ずとて何事かはあらむ。すべて万の事、漢を主として、よさあしさを定むる、世のならひこそいとをこなれ、爰に吾が岡部大人、東国の遠朝廷の御許にして、古学をいざなひ賜へるによりて、千年にもおほく余るまで、久しく心の底に染着たる、漢籍意のきたなきことを、且々もさとれる人いできて、此の記の尊きことを、世人も知初たるは、学の道には、神代よりたぐひもなき、彼の大人の功になむありける。宣長はた此の御蔭に頼て、此の意を悟り初て、年月を経るまにまに、いよよ益々からぶみごころの穢汚きことをさとり、上代の清らかなる正実をなむ、熟らに見得てしあれば、此の記を以て、あるが中の最上たる史典を定めて、書紀をば、是が次に立る物ぞ、かりそめにも皇大御国の学問に心ざしなむ徒は、ゆめ此の意をなおもひ誤りそ」
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1月14日
・幕府、大坂の町人の出願をうけ、金銭延売買会所の設置を許可。
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1月14日
・尼崎藩、岡村十左衛門が、岡村銀札のにせ札流通に対し、尼崎など5ヶ所の引替所を休ませて調査すると藩に届ける。
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1月16日
・幕府、朝鮮通信使の江戸到着が近づいたため、大学頭林家の例にならい、対話希望者へ詩作贈答を許し、政治向きの筆談を禁じる。
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1月19日
・尼崎藩、江戸へ向かう朝鮮信使の一行を兵庫津で接待。
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1月19日
・イギリス、前年に国王を誹謗した下院議員ジョン・ウィルクス、議会から追放。
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