2012年12月18日火曜日

「続ける意志を強く持ち続けることが問われている」(加藤登紀子)

琉球新報
続ける意志問われる 加藤登紀子
2012年12月18日            

 「ひとりでもひとりじゃない/命結(ぬちゆい)にむすばれて/どこまでもいつまでも/までえのいのち咲かそ」(「命結」)

 8日、沖縄市のミュージックタウン音市場で開かれた「ほろ酔いコンサート」で、加藤登紀子の声が響いた。「命結」は東日本大震災後の2011年9月に発売したアルバムの表題曲。被災者へのエールを、加藤は沖縄と東北の言葉をつないで作品にした。「までえ」は東北の言葉「真手」で「ふたつの手でゆっくり、ていねいに」という意味だ。
 「沖縄からいただいた言葉の中で『命(ぬち)』と『結(ゆい)』が大好きで、いつかこの言葉で曲を作りたいと思っていた」。震災2カ月後に福島県飯舘村を訪れ、目に見えない放射線におびえ、美しい古里を後にしなければならない人々と語り合った。「寒さの厳しい東北に、沖縄の温かい言葉を届けたい」と「命結」を歌った。
 「戦後、三線と泡盛があったから沖縄の人は負けなかったと聞いている。悲しい歴史も歌にすることで、聞く人が自分の人生を重ねて歌い継ぐ。沖縄から学ぶものは大きい」。加藤と沖縄との関わりは1970年に「西武門哀歌」を歌ってから。名護市辺野古でのピースミュージックフェスタなどで頻繁に沖縄を訪れ、歌を届けてきた。

 シャンソンを起点にデビューして48年。「個人の世界、私であり続けることの大切さを歌った。60年代の空気を表していた」。しかし高度経済成長、都市化の中で地域のコミュニティーは崩壊したとも言われる。
 「私たちが望んだのはこんな社会ではない。命のつながり、やわらかな結び付きの中で私たちは生きている」との思いが「命結」につながった。「40年以上をかけて温めてきた私のひとつのフィールドを表す作品になった」と語る。

 一方で原発事故に関し、第五福竜丸被爆事件後の反核機運の高まりやチェルノブイリ原発事故後に若者たちが取り組んだ反核運動「アトミックカフェ・フェスティバル」などを挙げ「原子力の平和利用が叫ばれたり、興行的に失敗したりして運動は挫折した。大きな動きがあった時ほど何かの力が加わり、運動はしぼんでいく」と指摘する。
 震災から1年を経たことし、加藤らはフジロックフェスティバルの中で「アトミックカフェ・フェス」を復活させ、坂本龍一らと出演した。メッセージを発信し続けながらも、被災者たちが抱く「被災地の外で風化が急速に進んでいる」との危機感も共有する。「続ける意志を強く持ち続けることが問われている」。(宮城隆尋)

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