2015年6月5日金曜日

慰安婦問題 識者と考える (『朝日新聞』2015-06-02) : 荻上チキ 小野沢あかね 東郷和彦 尹明淑 

慰安婦問題 識者と考える (『朝日新聞』2015-06-02)

今年は戦後70年、日韓国交正常化50年の節目にあたります。しかし、慰安婦問題などが壁となって日韓関係は混迷を深めており、米国なども事態を憂慮しています。解決の糸口をどこに見いだすことができるのか。若手評論家・荻上チキさんの司会で、日本の大学教授、韓国の研究者、元外交官に参加いただき、それぞれの立場から語り合ってもらいました。

荻上チキ:1981年生まれ。評論家、電子マガジン「シノドス」編集長。パーソナリティーを務める「荻上チキ・Session22」(TBSラジオ)で慰安婦問題を何度も取り上げた。

小野沢あかね:1963年生まれ。琉球大学法文学部助教授を経て立教大学文学部教授(日本近現代史・女性史)。著書に「近代日本社会と公娼制度」、共著「日本人と『慰安婦』」

東郷和彦:1945年生まれ。京都産業大学教授。外務省条約局長、オランダ大使など歴任。北方領土交渉を担当。著書に「歴史と外交」「歴史認識を問い直す」など。

尹明淑(ユン・ミョンスク):1961年生まれ。忠南大学国家戦略研究所専任研究員。一橋大学大学院博士課程修了。専門は日韓関係史。日本での著書に「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」など。

 荻上チキ 慰安婦問題は、国内外の情勢や世論が変わる一方で、論点自体は同じところでぐるぐる回っているような印象もあります。改めていま、慰安婦問題の何が焦点だと考えますか。

小野沢あかね 慰安婦制度の最大の問題は、日本軍が設置、管理し、利用した慰安所で女性の意思に反した性行為の強要があったということです。民間業者による慰安婦の徴集も、日本軍の指示によるものだったことが明らかです。だから、軍の責任は免れない

また「当時の日本には公娼制度があった。慰安婦は公娼であり性奴隷ではない」として責任を回避しようとする論法があるのは問題です。慰安婦は公娼ではないし、当時の公娼自体が人身売買された性奴隷に等しかったからです。当時の多くの人々が「公娼制度は奴隷制度だ」と発言しています。国際連盟も公娼廃止が必要としており、日本政府も廃止を考えていたのです。そもそも「売春婦なら慰安婦にされていい」という発想には人権認識が欠如しています。

荻上 日本国内と国外とでは慰安婦問題への認識がずいぶん違うようですが。

東郷和彦 国内では、首根っこをつかんでトラックに乗せたか否かといった「狭義の強制性」に関心が集中し、強制連行がなければ問題ないという見方があります。

一方、海外では慰安婦制度は女性の人権の問題として「絶対許せない」という国際世論があり、正当化する発言には全く理解を得られない。国際刑事裁判所の規程では戦時性暴力は、ジェノサイド(大量虐殺)と同等の「人道に対する罪」の一つとなっていて、慰安婦制度もその文脈でとらえられかねない。国際社会の厳しい視線を理解し対応しないと、日本の孤立化は進むと思います。

尹明淑 慰安婦制度の国家責任は戦時の性暴力被害のほか、植民地支配の責任が問われるべきです。占領地と違い、朝鮮半島などの植民地では軍人が銃剣を突きつけて女性を連れて行く必要がなかった。軍に選ばれた業者などが就業詐欺や人身売買で女性を集められたのは、まさに植民地だったからです。

米国の戦後処理の責任もあります。インドネシアでオランダ人女性を慰安婦にした日本兵らは処罰されましたが、米国主導の東京裁判やサンフランシスコ講和条約など、戦後処理の過程でアジア人女性を慰安婦にしたケースは処罰されなかった。これら植民地支配と戦後処理の責任まで問うことが、慰安婦問題の解決だと思います。

さらに、この間題の犯罪性は戦時中にととまりません。戦後、日本政府は占領軍向けに特殊慰安施設協会(RAA)を設置し、韓国でも韓国(朝鮮)戦争中は韓国軍慰安隊、1960~70年代に米軍慰安婦がいました。これらは日本の慰安所制度が形を変えて引き継がれたものだと言えます。

荻上 慰安婦問題は最近では、日韓関係の外交的争点としてのみ認識されがちですが、植民地主義や性暴力からの決別という観点や、いかなる人道的対応を諸国家に求めるかといった視野の広がりが必要だと。

東郷 慰安婦問題を国同士の政治問題ではなくするという意味での解決は可能だと思います。できるところからトゲを抜いていくべきで、いきなり植民地主義や戦後処理に議論を広げるのは反対です。植民地主義の議論は欧米を含めてまだ進んでいません。

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荻上 93年の河野談話発表以降、慰安婦問題をめぐる研究はどうなっているのでしょう。

小野沢 河野談話後も500点以上の資料が研究者により見つかっています。軍や警察など日本の公文書、台湾総督府、米国、オランダの公文書、戦犯裁判資料が含まれ、日本軍が暴力や詐欺で慰安婦を強要した事実がわかる公文書も出てきています。被害者や日本兵の証言も豊富にあります。

 2013年に韓国の国家記録院で、朝鮮総督府や軍が残した資料を調査しましたが、資料自体がほとんど残っていませんでした。数年前、大阪市長が「韓国サイドに証拠があると言うなら出してもらいたい」といった発言をしましたが、資料がないから証明できないという話ではない。むしろ日本政府が資料を廃棄した責任こそ問われるべきだと思います。

東郷 最近、日韓両国で出版された朴裕河氏(韓国世宗大教授)の著書「帝国の慰安婦」などを含め、いろいろな検証がされるのはいいことだと思うんです。

 朴さんの本をめぐっては様々な意見があります。例えば国家より朝鮮人業者の責任を強調しており、植民地での徴集業者の仕組みをよく分かっていない。日本でリベラル派がこの本を支持することは問題だと思います。

荻上 性奴隷という言葉をどう見ますか。国連や米国で言われる「sex slave」と、日本国内で受け取られる「性奴隷」というニュアンスが乖離しているように感じます。将兵らとピクニックなどの娯楽を楽しみ、奴隷ではないという人もいます。

小野沢 自由を奪われ性行為を強要された慰安婦の実態は、26年にできた奴隷条約の「奴隷」の定義に当てはまるというのが国連などでの常識となっています。たとえピクニックなどをすることがあったとしても、慰安婦をやめる自由がなければ性奴隷です。

東郷 苦しんだ人に謝り、こういうことは二度としない、というのが河野談話に表現された日本人の感覚かと思います。さりとて「性奴隷」とか「レイプセンター」という言葉には賛成できません。その視点で議論を貫こうとされれば、問題の解決を非常に難しくするのではないでしょうか。

小野沢 安倍首相は最近、慰安婦について「人身売買の犠牲(者)」と発言しました。軍による暴力連行でなく人身売買なら日本政府の責任にならないと考える人がいますが、それは間違いです。

慰安婦にする目的で女性を人身売買して国外移送することは、刑法226条や21年の「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」に違反していました。ところが日本政府は禁止するどころか、軍の指示を受けた業者による人身売買を認めていたのですから重大な犯罪です。首相はその犯罪を世界に向けて認めたことになります。一方、首相は人身売買以外に暴力や詐欺で慰安婦を強要された被害者を無視しています。

◇          ◇

荻上 慰安婦のような制度はほかの国にもあるのに、なぜ日本だけが謝り続けなければいけないのかといった反応もあります。

 まず、よその国に国家による性暴力があるからといって、自国の犯罪が無くなるとか、相殺されることはありません。河野談話や村山談話を否定する政治家の発言が続くと、日本に対する不信感が強くなります。

東郷 河野談話でおわびをしても、日本国内でそれと違う意見が出てくるのは、言論の自由があるからと、日本人の中のトラウマが解決できていないからです。多くの日本人が何とかしようと思い、河野談話を出し、アジア女性基金で「償い事業」をしましたが、韓国には受け入れられなかった。

韓国で元慰安婦の生存者は五十数人しか残っていない。安倍首相は訪米の際、「女性たちは人身売買で筆舌に尽くせない思いをした。河野談話を継承し、見直さない」と述べた。これを出発点に、解決のための「もう一歩」があり得るのではないでしょうか。元慰安婦に誠意を込めて思いを伝える。女性基金の「償い金」は民間の募金だったが、今後は政府の予算で出す、という考え方です。

 被害者が生きているうちに何とかしてあげたいとの思いから、いろいろな提案がされるのはよくわかります。基金を作るときも被害者が生きているうちにといわれました。でも、なぜ多くの被害者が反対する基金を急いだのか。慰安婦問題の解決は、お金だけの問題ではないと思います。何より真相究明を続けるべきだし、被害や謝罪を否定するような発言は処罰されるべきです。また教育は大切です。これらの過程を経て真の謝罪ができ、被害者の名誉回復ができるのだと思います。韓国人被害者は日韓市民の連帯を心から願っているはずです。

小野沢 「日本の国益のために」とか「韓国との政治・経済的関係を円滑化するためにその障害となっている慰安婦問題に早く政治的決着をつける」ということでは解決にならないと思います。

「慰安婦」問題の解決とは、被害者が納得し、その尊厳が回復されることです。加えて、世界中で今日も起きている戦時性暴力は詐されない犯罪であるとの認識を深め、その被害をなくすという長期的課題に役立つものである必要があります。本当に女性の人権問題と考えるのなら、日本政府は韓国だけでなくアジアをはじめとする国々に多数存在する被害者に対して、ひるがえらない正確な事実認定と公式謝罪を行い、法的責任を果たすことが必要です。

 慰安婦問題の解決を最も難しくしたのは65年の日韓請求権協定だと思います。協定はサンフランシスコ講和条約に沿って結ばれれ、財産権と請求権のやりとりだけで、人道に反する犯罪はもちろん、植民地支配の清算もできていない。当時は米国による強い圧力があって正常化が急がされたと言われます。いままだ慰安婦問題の解決で同じような過ちを繰り返してはいけないと思います。

東郷 この70年間、日韓は戦争や植民地の問題に取り組み、その時点ごとに解決を進めてきた。その一つが、65年の日韓国交正常化に伴う一連の協定です。

ただし、請求権協定で、請求権問題は完全かつ最終的に解決され、法的責任は認められないのが日本の立場。韓国側に法的責任を認めろと言われると、できることができなくなってしまう。日本が「もう一歩」の行動をとろうとしても、和解に結びつけるには韓国側の理解と行動が必須です。

外交の鉄則は相手の意見を理解し、100点を求めないということ。相互理解を深め、お互いに51点、つまり半分以上譲ることが大切なのではないでしょうか。

荻上 東郷さんは外交面から現実的な解決にどう落とし込めるかという観点でしょうし、尹さんの立場からは植民地支配などの問題と切り分けるべきでないということですね。広く人権問題として位置づけられるからこそ、一市民として、あるべき理想を語る姿勢は手放すべきではないのでしょう。

 朝日新聞は昨年末、「慰安婦となった女性の多様な実態と謙虚に向き合い、読者にわかりやすく伝える取り組みをより一層進め、多角的な報道を続けます」との考えを表明しました。
 朝日新聞は「朝鮮人女性を強制連行した」とする政吉田清治氏の証言を虚偽と判断して記事を取り消し、おわびしました。取り消しが遅れたことへの反省から、慰安婦報道の検証を第三者委員会に依頼し、委員会からは、意見の分かれる論争的なテーマについては、「継続的報道の重要性を再確認する必要がある」と報告書で指摘されました。
 戦時中、慰安所が作られ女性が慰安婦にさせられた背景に何があったのか。元慰安婦の救済をどう考えるか。朝日新聞は取材斑を立ち上げ、慰安婦問題をめぐる国内外の動きや研究成果などを探っています。これからもさまざまな立場の意見を紹介し、この問題を考える材料を伝えていきます。     (取材班)

日韓条約
14年にわたる交渉の末、1965年6月22日に国交樹立のため調印した基本条約と「請求権協定」などの総称。請求権協定で日本は韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力を約束。請求権問題に関しては「完全かつ最終的に解決された」と記した。
一方で協定は、解釈をめぐる紛争があれば日韓間で協議をし、解決できない場合、第三国を交えた「仲裁委員会」へ付託することも認めた。韓国政府は05年から、国交正常化交渉で協議されなかったとして、慰安婦問題など三つの課題は協定の対象外だと主張している。韓国憲法裁判所は11年、慰安婦問題が協定の対象外かどうかを韓国政府が日本側と交渉しないことを違憲とする決定を出した。

河野洋平官房長官談話
日本政府は1991年12月から、関係省庁の資料を調べたり、元慰安婦や元軍人らに聞き取りをしたりして、93年8月に調査結果をまとめ、当時の河野洋平官房長官が談話を発表した。「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営された」「設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と認め、意思に反して集められた女性が多かっだとした。
「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と結論付け、すべての元慰安婦への謝罪と反省を表明。そうした気持ちを日本として表す方法を真剣に検討する方針や、歴史研究・教育を通じて将来にわたり記憶にとどめる決意も盛り込んだ。

村山談話と女性基金
戦後50年の1995年8月15日、自民党・社会党・さきがけの連立政権を率いた村山富市首相が「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題した談話を発表。日本が第2次大戦中にアジア諸国で侵略や植民地支配を行ったことを認め、「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。
「アジア女性基金」は村山政権が慰安婦問題の解決をめざして95年7月に設置した。政府は道義的責任を認め、首相のおわびの手紙とともに償い金200万円、医療・福祉支援として120万~300万円を支給した。韓国では公式謝罪と国家賠償を果たすべきだとの反発が強く、名乗り出た女性約240人のうち受け取ったのは約60人にとどまった。

公娼制度と人身売買
明治政府は1872(明治5)、年、「芸娼妓(げいしょうぎ)解放令」を出し、売春をさせるために女性を売買することを禁じた。しかし、貸座敷(かしぎしき)業者から部屋を借りた娼妓が自分の意思で客を取るという名目で、業者が借金を負わせた女性に売春をさせる仕組みを許した。警察が娼妓や業者を管理し、国家が売春を公認する形となり、公娼と呼ばれた。貧しい家庭の親が借金と引き換えに女性を業者に差し出す事実上の人身売買が続いた。
旧内務省の記録によれば、1935年末時点で全国に4万5800人の娼妓がいて、貸座敷業者は9500。戦後も警察容認の売春地区「赤線」が残ったが、57~58年の売春防止法施行で、なくなった。

慰安婦問題の主な経緯(肩書は当時)

1991年8月 韓国で元慰安婦が初めて名乗り出る
12月  元慰安婦が日本政府を提訴。政府が調査開始。
1993年8月  河野洋平官房長官が談話を発表(河野談話)。
95年7月  政府主導で民間のアジア女性基金が発足。
8月  村山富市首相が談話を発表(村山談話)。
2007年3月  アジア女性基金が解散。
7月  米下院、慰安婦問題で対日謝罪要求決議を採択。
   11年8月  元慰安婦らへの個人補償をめぐり、韓国政府が日本政府と交渉しないことを、
韓国憲法裁判所が違憲と判断
   14年6月  政府が河野談話作成過程の検証結果を公表
   15年4月  安倍晋三首相が米国での講演後の質疑応答で、慰安婦問題について
                「人身売買の犠牲となって筆舌に尽くしがたい思いをした方々のことを思うと、
                 今も私は胸が痛い」と語る
5月  米国の日本研究者や歴史学者ら187人が、慰安婦問題などの解決で
                 安倍晋三首相の「大胆な行動」に期待を表明する声明を発表




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