2015年9月29日火曜日

今こそ種田山頭火 悲しみと寂しさを抱え、さまよい続けた俳人。その弱きは現代人の孤独を支える。 泥沼の日々を放浪 惑い詠む 弱さをさらけ出せる「強さ」 (『朝日新聞』)  

『朝日新聞』2015-09-28

 <分け入っても分け入っても青い山>の句とともに、種田山頭火が「解くすべもない惑ひを背負うて、行乞(ぎょうこつ)流転の旅に出た」のは1926(大正15)年の春だった。43歳で俗世間を離れ、托鉢姿で各地を放浪し、句を書き留めた。

 旅立ちから11年も経った37(昭和12)年5月の日記には「やりきれなくて街へ出かけて酔ふ」「無にはなれるが、空にはなかなかなれない」。

 <濁れる水の流れつつ澄む>

 <酔うてこほろぎと寝てゐたよ>

 「浮草のやうに、あの岸からこの岸へ、みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ」(「行乞記」)

 <うしろ姿のしぐれてゆくか>








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