2015年9月25日金曜日

2015年「安保」のことば 「わたし」が主語になった (高橋源一郎 『朝日新聞』2015-09-24論壇時評) : 「実は、民主主義には、単なる政治システムではなく、、「内面」も「価値観」も変えてしまう文化運動の側面もあるのだ。そのことに、人々は気づき始めているのではないだろうか。」

 「安保関連法案」が参議院で採決された夜、わたしのいた国会南門のあたりも人が溢れだしていた。スピーカーから、遠く離れた場所で行われているシュプレヒコールとスピーチが交互に流れ、人びとは、姿が見えない話し手たちのことばに、静かに耳をかたむけ、時折、コールに唱和していた。

 近くに、わたしと同じように、黙ってひとりで佇んでいる、制服の女子高生がいた。彼女は、少しくびをかしげ、スピーチのことばに聴き入っているように見えた。ひとりで、なぜここに来て、なにを考えているのだろうか。わたしには、彼女の姿が好ましいものに見えた。

 1960年、そして70年を中心に、かって二度、「安保」という名のついた大きな社会運動が起こった。その象徴的な運動の場所が国会前だった。それから半世紀ほどの時が過ぎて、やはり「安保」という名がついた法制への反対運動が、同じ場所で起こった。過去の二度の反「安保」運動との違いの一つは、徹底した非暴力性だろう。そして、もう一つは、「ことば」がなにより重視されたことだろう。そのことばには、古い政治のことばも、簡単には説明できない、新しいことばも交じっていたが。

①大澤茉実「SEALDsの周辺から 保守性のなかの革新性」(現代思想10月臨時増刊号「総特集 安保法案を問う」)

 この運動を大きく動かすことになった学生団体・SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)に参加した、ある女性は、こう述懐している(①)。

 「昨年の一二月、私は布団のなかからSNSを通してSASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会=SEALDsの前身)の存在を知った。眠れない夜更けにスクロールしたフェイスブックで、普段政治の話をしない友人が投稿した政治的な動画に興味を持った。しかし、私はその動画の中でSASPLのメンバーが言う、『日常の幸せ』がわからなかった。・・・『この当たり前の日常を守りたい』などと片時も思ったことはなかった。はやく、誰か、この日常をぶち壊してくれ、と願いながら、頭から布団をかぶり、ここではないどこかを夢想した」
  
 この社会から突き放され、苦しみ、もがく、同世代の女の子たちと知り合うようになった彼女は、やがて、SEALDsに参加し、こう考えるようになる。

 「彼らのなかに飛び込んで、はじめて気づいたのば、SEALDsは個人の集まりであるということだ。そこでは、沖縄出身の子も、東北から来た子も、在日の子も、『わたし』として法案に反対する理由を語っていた」

 政治の世界では珍しい、「わたし」を主語とする、新しいことばを持った運動。その運動に魅かれてゆく、ひとりの人間の心の動きが正確に刻みこまれだ文章が、そこにあった。

②鶴見俊輔『随想 暮らしの流儀をつくる』(太郎次郎社エディタス刊)

 「安保法制」に反対する運動が巨大化したのは、その「法制」を制定しようとする人たちの言動に、民主主義とは相容れぬものを感じ、、不安になったからだ。

 55年前の第一次安保闘争時、無党派の組織「声なき声の会」に加わった鶴見俊輔は、こう書いている(②)。

 「私にとって、声なき声は、一九六〇年五月に岸信介首相が日米安保条約を強行採決したことへの抗議としてはじまった。安保条約そのものへの反対というだけでは十分の動機ではない。十五年戦争の指導者だった人が、ふたたび戦争体制となりやすいものを、民衆の意見をゆっくりきくこともなしに、決定するということへの抗議だ」

 時の権力が、「民衆の意見をゆっくりきくこと」がなくなったとき、それに反対する運動は静かに始まるのである。

③丸山真男『自由について 七つの問答』(SURE刊)

 同じ、第一次安保闘争の理論的指導者でもあった、偉大な政治学者・丸山真男は、「デモクラシーの政治ってのは、(ふだん政治に参加しない主権者の)パート参加で初めて成り立つ」とした(③)。「主権者」である民衆が、自分たちの意見が無視されていると感じたとき、一時的に預けていた「主権」を取り戻し、自ら直接「参加」しようとする、その「パート」参加の「理念」こそ、民主主義の
根幹だとしたのである。

 2015年の反「安保」運動は、人びとの、「民主主義」を回復させようという願いを根拠にしていた。それは、鶴見や丸山が見た運動とよく似ている。しかし、同時に、そこには、過去にはなかった、なにか新しいものが含まれているようにわたしには思えた。

④五野井郁夫「議会主義と民主主義の政治」(現代思想10月臨時増刊号「総特集 安保法案を問う」)

 今回の運動に触れながら、玉野井郁夫は1968年「パリ五月革命」との共通性を示唆している(④)。その「体制転換なき革命」とも呼ばれる運動は「必ずしも政権を取らず、体制転換もせず、けれども決定的にその後の人々のものの考え方には影響を与え」だ。

 それは、政治運動というより文化運動であった。そして、優れた劇を観終わったとき、観客が、観る前とでは世界がすっかり変わってしまったと感じるように、その参加者の「内面」も「価値観」も変えてしまうような運動だった。五野井は「選挙制度が必ずしも民意を反映」しない社会状況でこそ、そんな運動が真価を発揮するとしだ。

 実は、民主主義には、単なる政治システムではなく、、「内面」も「価値観」も変えてしまう文化運動の側面もあるのだ。そのことに、人々は気づき始めているのではないだろうか。

 新しい運動の「ことば」に耳をかたむけていた女の子の姿を見ながら、わたしは、そんなことを考えていた。



0 件のコメント: