大杉栄とその時代年表(744) 1907(明治40)年8月1日~3日 大韓帝国の軍隊解散 武装解除を拒んだ将兵の一部は丁未義兵など各地で蜂起 民間人も参加して武力による抗日運動(義兵闘争)が続く
1907(明治40)年
8月4日
(漱石)
「八月四日(日)、高浜虚子宛手紙に、西村誠三郎(濤蔭)なる人物から長編小説『絲櫻』を預り、八月十日(土)頃までに読んで、『ホトゝギス』に紹介して欲しいと頼まれたが、『虞美人草』執筆のため、その暇ないので読まずに高浜虚子に送るか、高浜虚子が松山市から帰るまで預っておくがを西村誠三郎に問い合せているところである。その事情だけを伝えておくと書き送る。
八月五日 (月)、『東亜の光』(東亜の光協会機関誌)の中で小林一郎は、夏目漱石の名前が出るにつれて、非難する人たちも増えてきたけれども、文学者はもう少し雅量がなくてはならぬと云い、漱石を賞める者が少なくなってきたのは、一般から作家として承認されてきたためだと思うという。『虞美人草』が長くなるので、八月に旅行したかったが、無理と思うようになる。夕食後(推定)、散歩する。
八月六日(火)、蒸し暑い。蝉の声を嫌な気分に思う。小宮豊隆(福岡県京都耶犀川村、現・福岡県京都郡犀川町)宛手紙に、「君謡を稽古してゐるか。僕は近々再興する積だ。一所に謡はう。」と書く。『虞美人草』は、八月末に書き上げると思うから、九月初めに上京するようにとも伝える。戸川秋骨の「郊外生活」(三)「猫の俳味」(署名秋骨)に、漱石が引き合いに出ているのを見て、面目を施したような感じがする。」(荒正人、前掲書)
8月4日
仏艦隊、反仏暴動に対しカサブランカを砲撃。
8月5日
韓国、江原道原州鎮衛隊(大隊長代理金徳済と特務将校閔肯鎬率いる)、江華部隊の決起に呼応して蜂起。民間人も決起し義兵化。兵1500余。警察分署・郵便局・郡庁・日本人住居を襲撃、原州掌握。蜂起部隊、開港地・元山に迫る。
8月5日
幸徳秋水「革命奇談神愁鬼哭」(隆文館)。「平民新聞」連載、レオ・ドイッチ「シベリアにおける十六年」が原著。
8月5日
この日付け漱石の鈴木三重吉宛て手紙
「日々暑いことだ。さて旅行の儀は延引また延引、今月の半頃ならばと思っているが、一方では段々考えて見ると例の小説がどうも百回以上になりそうだ。短かく切り上げるのは容易だが自然に背く〔と〕調子がとれなくなる。如何に漱石が威張っても自然の法則に背く訳には参らん。従って自然がソレ自身をコンシュームして結末がつくまでは書かなければならない。するとことによると君と同伴行脚の栄を辱うする訳に参らんかも知れぬ。旅行も大事だが『虞美人草』は胃病よりも大事だからその辺はどうか御勘弁を願いたい。トルストイ、イプセン、ツルゲネフ、などは怖い事更になけれどただ自然の法則は怖い。もし自然の法則に背けば『虞美人草』は成立せず。従って誰がどういってもゾラが自然派でフローベルが何とか派でもその他の人が何とか蚊とかいってもどうしても自然の命令に従って『虞美人草』をかいてしまわねばならぬ。万一八月下旬に自然から御許が出たら早速端書をあげる。それまでは吉原の美人でも見てインスピレーションを起していたまえ。もし自然の進行が長引けば此年一杯でも原稿紙に向っていなければならない。ああ苦しいかな」
8月5日
MOMOTARO(Ⅰ~Ⅴ)(『日本エスペラント』)。なお『日本エスペラント』(2巻5号)は、大杉入獄のため、エスペラント語学校をやむなく閉鎖したと報じる。
8月5日
石井菊太郎通商局長ハワイにて米ストラウス商労務長官と移民問題を協議。
8月7日
韓国、高宗・純宗、英親王(11、李垠)を皇位継承者・皇太子とする。伊藤統監は英親王の日本留学(人質)を画策。
8月7日
横綱常陸山一行、東京発渡米
8月8日
(漱石)
「八月八日(木)、昼間から何人か来客がある。夜、松根豊次郎(東洋城)泊り、『虞美人草』の執筆できぬ。
八月九日(金)、『虞美人草』執範休止する。森田草平に遊びに来るように手紙出す。」(荒正人、前掲書)
8月9日
韓国、鶴原定吉を宮内府次官、木内重四郎を内部次官、俵孫一を学部次官に任命。
8月9日
啄木(21)、2日~4日、野辺地に滞在の母カツを迎えに行き、この日より函館で同居。続いて妹光子も。5人家族となる。
18日、代用教員のまま、宮崎郁雨の紹介で「函館日日新聞」遊軍記者となる(「月曜文壇」、「日日歌壇」を起こし、評論「辻講釈」を連載)。
25日、函館大火。市内の大半を焼く(12,395戸焼失)。啄木一家は焼失を免れるが、弥生尋常小学校・函館日日新聞社とも焼失。啄木の小説「面影」を含む『紅苜蓿』8号の原稿も焼失。
8月10日
韓国、永原鎮衛隊江華島分遣隊蜂起に対して日本軍が江華島上陸。
11日、制圧。首魁柳明啓は捕えられ銃殺。
8月10日
東京の玉川電気鉄道会社、渋谷−玉川間全通。
8月11日
大杉栄、堺利彦に手紙を出す。
8月12日
淡谷のり子、誕生。
8月15日
韓国、朴汝成の挙兵。
8月15日
第1次日露協約公示。
8月15日
(漱石)
「八月十五日(木)、トルストイの『シェークスピア論』(ドイツ語訳)を買い、二、三ページ読み、小宮豊隆宛手紙に、感想を伝える。」(荒正人、前掲書)
この日付け漱石の小宮豊隆宛の手紙
「漱石は沙翁(=シェークスピア)を繰り返す気もなし語学者になる気もないが、この両人の根気だけはもらいたい。小説をじ然と発展させて行くうちにはなかなか面倒になってくる。これで見るとヂッケンスやスコットがむやみにかき散らした根気は敬服の至だ。彼らの作物は文体において漱石ほど意を用いていない。ある点において侮るべきものである。しかしあれだけ多量かくのは容易なことではない。僕も八十位まで非常な根気のいい人と生れ変って大作物をつづけ様に出して死にたい」
8月中旬
(漱石)
「八月中旬(推定)、風呂屋で長谷川辰之助(二葉亭四迷)に逢う。」(荒正人、前掲書)
つづく

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