歌川国芳『讃岐院眷属(さぬきのいんけんぞく)をして為朝をすくふ図』 江戸の大スペクタクル画
(美の巨人たち2016-05-14)
■歌川国芳
国芳は紺屋の家に生まれた。
長谷川等伯、鈴木其一も生家は紺屋。
■武者絵(歴史上や伝説上の英雄・武将を描く)
浮世絵の中でも武者絵で人気を博した
■水野忠邦の天保の改革(1841)により、質素・倹約が奨励され、
役者絵や美人画は禁止された。
■しかし、禁をかいくぐって、役者絵は「むだ絵」というスタイルで流布していた
■そんな中でも、当時一番の人気を博したのが、
歌川国芳の武者絵『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』である
曲亭馬琴『椿説弓張月』に想を得た、源為朝の英雄伝説
国芳の目標は常に人々を驚かせるような絵を見せることであった
驚きは、同じ物を続けていると飽きる
いつも新しい形を見せないといけないと考えた
■鰐鮫の採用
「因幡の白ウサギ」や「北斎漫画」に出てくる鰐鮫を採用
難破して為朝の家臣たちが亡くなる
その家臣たちの魂が乗り移っている生き物として
凄まじい情念がこの鰐鮫に現される
■海外の絵画事情を吸収
例えばジョン・ニューホフ『東西海陸紀行』(1682)などの絵を取り入れている
■異時同時図
三つのシーンは、右から順に時の流れ
これを同時に描いている
右:船が難破し、為朝の妻・白縫姫が人身御供として身を投げる
中:為朝の子・舜天丸が溺れるのを忠臣・喜平治が抱きかかえ、
これを鰐鮫が自分の背に乗せ救う
左:もはやこれまでと自殺しようとする為朝を烏(からす)天狗がその自害を制す
■眷属、烏(からす)天狗
色のない烏天狗であるが、
神様(讃岐院)の使いであり、世の中に居ない者なので、
波うちの白や為朝の白の肌色とは違う色をつけて
骨線(こつせん)で存在感を出す工夫をしている
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