1904(明治37)年
5月16日
大日本宗教家大会。仏・キリスト・神・儒各派代表戦勝祈願。国策支持を決議。
(仏教派)石川素童、大内青巒、南条文雄、村上専精、前田慧雲、島地黙雷、関太渓、菅了法、境野哲、その他
(キリスト教派)井深梶之助、本多庸一、小崎弘道、江原素六、海老名弾正、その他
(神道派)千家尊弘、平田盛胤、その他
(儒教派)井上哲次郎、柿崎正治、その他
大会宣言
「日露の交戦は日本帝国の安全と東洋永遠の平和とを図り、世界の文明、正義、人道のために起れるものにして毫(ごう)も宗教の別、人種の異同・に関する所なし。……ここに相会し各自公正の信念を訴え、相ともに奮ってこの交戦の真相を宇内に表明し、以て速かに光栄ある平和の克復を見んことを望む。」
この頃の宗教家の状況
一世の師表を以て任ずる松村介石の雑誌『警世』は「五十万の陸兵、三十万トンの船艦、吾人が平生膏血を絞りて工面しおくは何のためぞ」と叫ぶ。
山路愛山の雑誌『独立評論』は「ベテルプルグに筒向けて」とうたい、「恨みを報ゆるときは今」と意気ごむ『進軍曲』を掲げる血眼ぶり。
5月16日
(漱石)
「五月十六日(月)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「英文学概説」を講議する。
五月十七日(火)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで King Lear を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。
五月十九日(木)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで King Lear を講義する。」(荒正人、前掲書)
5月17日
砲艦「赤城」、砲艦「大島」に衝突。「大島」沈没。旅順港外では、駆逐艦「暁」触雷沈没。12日以降、戦艦2・巡洋艦1を含む艦艇7隻を喪失。東郷司令長官は「艦隊行動ヲ当分延期ス」と示達。
5月17日
仏、ジャン・ギャバン、誕生。
5月18日
韓国、露韓条約と豆満江・鴨緑江岸におけるロシアの森林伐採権特許を破棄。
5月18日
モロッコでペルディカリス事件。英米艦隊がタンジールに。
5月19日
独立第10師団、大孤山に上陸
5月20日
永井龍夫、東京に誕生。
5月20日
中国人労働規定がプレトリア(南アフリカ)で発令。
5月21日
カンボジアでシソワット王即位。
5月22日
清国、蘇報事件、結審。章炳麟は監禁3年、鄒容は2年に。
5月22日
職業写真師上野彦馬(66)、没。坂本龍馬・後藤象二郎・伊藤博文などを撮影。
5月23日
第2軍の配備
第4師団(小川又次中将)は金州北方の十三里台子駅の西側
第1師団(伏見宮貞愛中将)は同駅の東側
第3師団(大島義昌中将)は第1師団の南東から大寚口北西岸に至る地域
5月23日
第2回国庫債券発行規定公布。1億円を予定。利率5分。
5月23日
(漱石)
「五月二十三日(月)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。
五月二十四日(火)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで King Lear を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。
五月二十六日(木)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで King Lear を講義する。」(荒正人、前掲書)
5月24日
清国、赤十字会開設。
5月25日
午前0時頃、第2軍3師団(第4、1、3師団)、南山攻撃の運動開始。
午前3時30分、南山砲台射程外地帯に達する。
午後8時30分、第4師団第19旅団(安東少将)、金州城夜襲、失敗。第8連隊第1大隊長藤岡銑次郎少佐、暗夜の同士討ちで没。
5月25日
第3軍司令官乃木希典中将ら司令部員37名、参内。
27日、乃木中将、広島に向う。
29日、東京で待機の第3軍参謀津野田是重大尉に「第3軍戦闘序列」など公布。津野田は広島に向う。
30日、乃木長男戦死の報、広島の乃木に届く。
5月26日
未明、第2軍第1師団第1旅団(松村少将)、金州城攻略、陥落。乃木希典中将長男乃木勝典少尉戦死。金州城のロシア軍は、第4師団の夜襲失敗につづいての第1師団の夜襲により、未明のうちに南山に退却。
つづく

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