2025年5月28日水曜日

大杉栄とその時代年表(508) 1904(明治37)年5月10日~15日 5月15日 午前1時40分、南三山島沖。第3戦隊「春日」、「吉野」に衝突。「吉野」沈没。吉野艦長佐伯大佐以下死者318人。 午前11時38分、第1戦隊「初瀬」、旅順港外で触雷、曳航中更に触雷。副長森中佐以下死者496人。 「初瀬」救援作業中の「八島」も触雷。曳航中沈没。死者なし。政府は5日間これを公表せず。

 

軍艦吉野戦死者之碑

大杉栄とその時代年表(507) 1904(明治37)年5月10日 漱石「従軍行」について(その4終) 「日本人ヲ観テ支那人卜云ハレルト厭ガルハ如何。支那人ハ日本人ヨリモ遙カニ名誉アル国民ナリ。只不幸ニシテ目下不振ノ有様ニ沈淪セルナリ。心アル人ハ日本人卜呼パルゝヨリモ支那人卜云ハルゝヲ名誉トスベキナリ。仮令(タトヘ)然ラザルニモセヨ日本ハ今迄ドレ程支那ノ厄介ニナリシカ。少シハ考へテ見ルガヨカラウ。西洋人ハヤゝトモスルト御世辞ニ、支那人ハ嫌ダガ日本人ハ好ダト云フ。之ヲ聞キ嬉シガルハ世話ニナツタ隣ノ悪口ヲ面白イト思ツテ自分方ガ景気ガヨイト云フ、御世辞ヲ有難ガル軽薄ナ根性ナリ」(漱石の日記(1901(明治34)3月15日)) より続く

1904(明治37)年

5月10日

英探検家スタンレー(63)、没。

5月11

第2回国債募集について、政府・資本家懇談会開催。

5月11

江見水蔭『武装乃巻』(博文館)。明治36年12月20日から4月22日までの間に「二六新報」に発表した戦争短編52作を纏めて刊行。

水蔭による自序。


注意!!!

一 文士も亦(また)武装せざる可らず、と叫びて起ちたるは、こたびを初の見参にあらず。今を去る十年の一(ひ)ト音、彼の日清戦役の際には『水雷艇』と『速射砲』との二巻を著はし、過ぎつる北清事件の折には『突貫』一冊を編出して、聊か報国の誠を述べ、戦争の美を世に伝へつ。

二 此時の文士は多く筆を収め、一人の戦争を記する者無し。武装せざる批評家の面々、我を包囲して、汝、際物師よ。と、攻撃の激烈さ、忘れんとしても忘られず。こたびも亦同じ非難の声の繰返へさるべきは、覚悟の上なり。

三 一たびは忍ぶべし、二たびは辛くも忍ぶべし、三たび我面に唾するあらば、我、断じて忍び能はず。我は其批評家に向ひて、戦を挑むに躊躇せざるべし。そは筆の先にて、ならず。土俵へ来い!!!

四 材料には、事実あり、想像あり、事実に想像を加へたるあり、想像の事実に合(がつ)したるあり、合せざるあり、事実の後に知れて、前の想像の甚しく違(たが)へるを発見すれども、其儘にして改めざるあり。我は其改めざるに重きを措く者なり。

五月

怒涛庵記


売れ行きは芳しくなく、水蔭は自分が未だに「二六派」(=露探疑惑)と見なされているという圧迫感を感じた。

5月12

大連湾付近掃海中、第3艦隊所属水雷艇「第48号艇」触雷沈没。死者7人。開戦以来初の沈没船艇。

5月13

清・英間で南非州保工章程(移民協定)成立。南アフリカ向け中国人労働者「苦力」斡旋を認可する労働協定。

20日、中国人労働規定がプレトリア(南ア)で発令。

5月13

清国の慶親王、内田康哉公使の追求で露清密約(1896年6月3日)の存在を認める。6月24日内示。

5月13

参謀総長大山元帥、児玉案を上奏。

5月14

第3艦隊所属通報艦「宮古」、大連湾で触雷沈没。死者1人・傷者21人。

5月14

アルバート・アインシュタイン長男ハンス・アルバート、誕生。1973年カリフォルニア・バークレーで没。

5月15

第2軍、金州城・南山方面へ前進を開始

5月15

午前1時40分、南三山島沖。第3戦隊「春日」、「吉野」に衝突。「吉野」沈没。吉野艦長佐伯大佐以下死者318人

5月15

午前11時38分、第1戦隊「初瀬」、旅順港外で触雷、曳航中更に触雷。副長森中佐以下死者496人

午前10時15分、「初瀬」救援作業中の「八島」も触雷。曳航中沈没。死者なし。政府は5日間これを公表せず。

5月15

チベット、英に宣戦。

5月15

『平民新聞』第27号発行

「露国社会民主党の檄文」(「世界之新聞」欄)

この年2月16日、ロシア社会民主労働党のウラジミル・イリッチ・レーニンは、檄文「ロシア・プロレタリアートに訴える」を執筆し、ロシア社会民主労働党中央委員会の名によって発表。クルブスカヤによると「それは、当地(ジュネーブ)では配布せずに、再刷のためにトムスク、モスクワ、オデッサ、ペテルブルグ、サマラ、サラドフ、ニジニー、エカテリノスラフに送りました。」とある(1904年2月29日付のゼムリヤチカとガリべリン宛の手紙)

当時、メンシェヴィキが占拠していた党機関紙『イスクラ』3月18日付、第61号にもこの檄文は転載され、5月15日の『平民新聞』第27号の「世界之新聞」欄に、「露国社会民主党の檄文」と題して紹介された。

「露国における吾人の同志『露国社会民主党』の中央委員は近日露国労働者に向って長篇の檄文を頒布せり、檄文は先づ戦争の開始せる事、日本の連勝せる事、露国は内に大兵を徴し、外に公債を募りて、国力を竭尽(けつじん)せんとする事、而も今回の危機は七十七年度の露土戦争の比に非ざることを警告し且つ曰く

然れども思へ、露国労働者及び農夫は抑も何の為めに戦ひつつある乎、露国政府が摑収し、若くは摑取せんとせる満州及び朝鮮の為め乎・・・、政府は是等地方に砲台を置けり築港を為せり鉄道を敷設せり数万の軍隊を集中せり、而も露国平民は爾く多くの鮮血と苦痛とを値いして併呑せる是等地方より何の得る所ある乎、露国労働者及び農夫に取りては、戦争は唯だ新たなる害悪を齎(もたら)すのみ多数生命の損傷、無数家族の零落新たなる負担新たなる課税を齎すのみ、露国軍人及びツアール政府の眼中に戦争は軍国的光栄を期待せん、露国商人及び富豪製造家には戦争は其商品の新市場を得、商業の発達に資すべき不凍港を得るが為めに必要ならん、然れども餓たる露国の労働者及び農夫は、売るべき品物を有する乎、外国市場の必要ある乎、思へ露国資本家の富は露国労働者を困窮、零落せしめて得たる所にあらずや、而して今や更に彼等資本家をして亦た清朝鮮の労働者を圧制掠奪して其富を増加せしめんが為めに露国労働者は鮮血を濺(そそ)がざる可らず?

資本家の利己=其国を売り其国を零落せしめて得たる所にあらずや、而して今や更に彼等資本家をして亦た清朝鮮の労働者を圧制掠奪して其富を増加せしめんが為めに露国労働者は鮮血を濺がざる可らず?

資本家の利己=其国を売り其国を零落せしめて私利を摑まんとする資本家の利己の為めに、此罪悪なる戦争は煽起せられて、莫大の害毒は労働者の頭上に下らんとす、凡ての人権を蔑(ないがしろ)にし、国民を奴隷の域に置かんとする政府の専制政策は、露国人民の生命財産を以て此危険なる賭博の賭品に供せり、而して斯く狂乱せる軍国的叫喚に対し、財嚢及び武力の奴隷なる『愛国心』の表現に対して、吾人自覚せる社会民主党は、十倍の気力と、『独裁政治を顚覆せよ』てふ喊声を以て進まざる可らず、而して立憲的国民議会を召集せしめよ

檄文は其結論に於て曰く

ツアールの政府が軍国的冒険の無謀なる政策は、今や余りに深入りせり、若し戦争勝利を得るも国力は全く涸渇すべし而して戦勝の効果は列国の干渉に依て消滅せしめらるゝこと猶ほ日清戦役後に於ける日本の如くならん、之に反して戦争敗北に帰せんか、第一に今日の人権を無視せる政府 - 圧制暴力を基礎とせる政府組織は其根底より破壊さるゝに至らん 風を蒔ける者は、台風を収穫す

而して其末尾の一句は実に左の如し

世界に於ける資本家制度の桎梏を脱却せんが為めに奮闘せる万国労働者の兄弟的結合万歳! 戦争に反対して抗議せる日本社会民主党万歳! 殺人者及び恥辱なる独裁政治を顚覆せよ

吾人は読で茲に至って一掬同情の涙を禁ぜず、亦遙かに此語を以て寄す ”Long live The Russian Social  Democracy, which protested  against The war !(戦争に抗議せるロシア社会民主党万歳)」

中里介山「嗚呼ヴァレスチャギン」、4月13日の旅順口の海戦でマカロフ中将と共に戦死したロシアの画家ヴァレスチャギンを追悼。

雑誌「日本人」でも煙山専太郎がその死を悼む。

ヴェレスチャギンは平和主義を抱懐し、戦争の惨害を描くに畢生の心血をそそいでいた。

雑誌『日本人』に煙山専太郎がその死を傷んだ一文によれば、彼は極東における日露関係切迫するや戦争の非を公言し、政府に勧むるに満洲を撤兵しウラジオストークと旅順とを連結させる一帯の土地を割く代りに、東清鉄道を北京政府に与えるべき提案を以てした。そして廟堂の反動派がロシアは売らんがために鉄道を布いたのではないというと、彼はアレクサンドル2世がアラスカ半島の紛争の根源たるを見るや、遂にこれを米国に売却した先例があるではないかと反駁した。彼は平和の理想家たるのみでなくして、実際問題としてもまた大いに非戦論を唱えた人だった。"

中里介山の投稿「鳴呼ヴェレスチャギン」

「……彼が筆になる奈翁モスクワを望むの図と髑髏の三角塔との写真版を得て常に感歎おかざる所のもの。前者は一世の梟雄が小丘の上に立ちて雲煙模糊の間、モスクワの都府を瞰下し、我れ来り、我れ見、我れ勝てりの愉快を胸に湛へて得意満面悠然として立てる者。安んぞ知らん、清野の一計は脆くもコルシカの健児をして十万の餓死と凍死を擁して退陣のやむ能はざるに至らしむることを。戦争の愚劣と悲惨、この一幅に表現せられて遺憾なし。…、・・後者はただ見る累々たる幾千の髑髏、山を成して転た酸鼻を極むる処、乱鴉低く飛んで残肉を猟らんとす、『一将功成万骨枯』の状、写し得て凄絶……。日露事起るや、彼はこの高尚なる使命のためマカロフが客となりて適々その旗艦にあり、図らずも今回の災に遭ふ。……」


註)「ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン」に関しては次回にもう少し詳しく触れることにする。


つづく

0 件のコメント: