1904(明治37)年
5月15日
ロシアの画家ヴェレシチャーギン(1)
ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン(1842年10月26日~1904年4月13日)
ロシア帝国ノヴゴロド州チェレポヴェツに、豪農の息子として生まれる。
1850年(8歳)、陸軍幼年学校に入学。
1853年、サンクトペテルブルクの海軍幼年学校に入学。
1858~59年、フリゲート「カムチャッカ」号で海外訓練航海に出る。西ヨーロッパやエジプトを訪問。
1860年、海軍幼年学校卒業するが任官拒否。
1860~63年、ペテルブルク藝術アカデミーで学ぶ。優秀な成績だったが、授業方法を退屈に思い3年で退学。
1863~65年、カフカス(コーカサス)に二度旅行。ティフリス(トビリシ、ジョージアの首都)に長期間滞在する。
1864~66年、パリで1年間修行。エコール・デ・ボザールに学び、ジャン=レオン・ジェロームに師事する。画家としてはフランス派に属し、精密な描写・鋭い造形、そして柔らかで明るいカラフルな色調の組み合わせを特徴とした。
1867年、コンスタンティン・フォン・カウフマン将軍によるトルキスタン(中央アジア)遠征に従軍し、サマルカンド攻撃などを目撃。
1868年、カウフマン将軍の後援でトルキスタンをテーマとした個展を開催した。
1868年、「アフガニスタン人」「お祝い」制作
1869年、「ゴルゴダの丘の夕べ」制作
1869~70年、「アラタウ山にて」制作
1870年、ドイツ帝国ミュンヘンに滞在し、従軍中に描き溜めたスケッチや研究を絵画として完成させる。彼の関心は戦闘場面よりもむしろ中央アジアのエキゾチックな建築や風俗に向けられた。
1871年、「戦争の結末」「鷹を手にするキルギスの狩人」制作(トルキスタン・シリーズ)
1873年、「致命傷」制作(トルキスタン・シリーズ)
1874~76年、インドに長期旅行、イギリスに植民地支配されるインドの実態を見聞する。「ボンベイのバニヤ(貿易商)」制作
1874年、サンクト・ペテルブルクでのヴェレシチャーギンの展覧会で「忘れられし者」を見たムソルグスキーは衝撃を受け、同名の歌曲を作曲
1874年、芸術アカデミー教授に招請されるが拒絶。
1875年、「夕景のヒマラヤ」制作
1877~78年、露土戦争に従軍。司令官副官の地位と軍内で自由に行動する権利を与えられ、シプカ峠の戦いを目撃。プレヴェン攻略戦では自身の兄弟が戦死、また自身も重傷を負う。この悲惨な戦いは彼の世界観を変えるものだった。
つづく









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