2025年7月30日水曜日

大杉栄とその時代年表(571) 1905(明治38)年3月2日~6日 「万朝報」、「毎日新聞」と共に塩専売・米籾輸入税・織物消費税・市内通行税の4悪法廃止を主張し、国庫による百三十銀行救済、特に北海道上川兵営建築費不当支出を取上げ、政府の無責任を追及。 「政府の横暴放恣斯くの如くにして已まずんば、一旦、外難去りて常時に復するの瞬間、我が国民は彼等を以て露軍に次ぐの仇敵なりと為し、多年の鬱憤積怨忽ち彼等の頭上に爆発」するであろう。

 

奉天に集結した満洲軍首脳

大杉栄とその時代年表(570) 1905(明治38)年3月 大阪朝日新聞社主村山龍平、東京出張員の二葉亭四迷の動きが悪いとして、首を切ると言い出す。上野理一社長は東京朝日主筆池辺三山に相談。二葉亭の記事はたびたび没になり、明治37年は合計3本しか紙面に出ず。 池辺三山は「東京朝日」からも彼に仕事をさせる条件で解雇撤回させる。三山の狙いは彼に小説を書かせること。「露国革命党」(8月)以降、四迷の記事は「東京朝日」だけに発表されるようになる。 より続く

1905(明治38)年

3月2日

午前8時、第3軍(乃木希典大将)、北進(奉天包囲の「西壁」形成が目標)。順調に進撃。

午後1時30分、第1師団右縦隊先頭が沙嶺堡に入り、第7師団前衛が四台子に到着。

午後2時30分、ロシア軍が沙嶺堡を攻撃。

第9師団は、午後5時30分、第36連隊第1中隊が彰駅站を占領。

午後6時前、ロシア軍が彰駅站を攻撃。第36連隊第2大隊と第19連隊第3大隊が救援に向うが、午後6時30分、彰駅站の第36連隊第1中隊(代理吉村中尉)は全滅。

第2軍第4師団はロシア第8軍団を砲撃、第5師団も北台子に砲撃を集中。ロシア軍は退却し、第4師団は北台子西方堡塁を占領。第5師団も前進し、これによりロシア軍が退却し、第8師団第16旅団は北台子西方の西にある長灘を占領。

午前9時30分、第2軍司令官奥大将は各師団に進撃命令。

午後、第8師団は小叭拉堡子を、第4師団は金山屯を占領。

第4軍は苦戦。左翼の第6師団は沙河堡をめざすが、午前10時、ロシア軍の猛射により第11旅団第13連隊長長吉弘鑑大佐が負傷し、攻撃頓挫。

右翼の第10師団は、第8旅団第10連隊が柳匠屯、第20旅団第20連隊が万宝山を目指すが、第10連隊長西村貞之助中佐が負傷し頓挫。第20連隊は万宝山に迫るが、敵前2~300mで旅団長今橋知勝少将が負傷、攻撃中止。

この日の第4軍死傷4,121(第6師団972、第10師団1,062、後備第3旅団673、同第11旅団1,300)。

第1軍は第2師団の攻撃のみ。第2師団第3旅団第29連隊(島田繁大佐)が高嶺台東南第20号角堡塁を目指すが、第2大隊第5・7中隊の将校全員が死傷する損害を受け、午前10時、攻撃中止。第3旅団第4連隊は第2大隊長神戸次郎少佐が連隊長代理となって、第18・19号角堡塁を目指し進撃。

午後、第29連隊が再度第20号角堡塁を攻撃。第3大隊(長屋竹緑少佐)第5中隊がほぼ全滅、第7・11・12中隊は兵力半減の損害。次に前進した第4・9中隊の2個小隊も2/3が死傷。遂に、第29連隊長島田大佐も第1線にでて戦死。連隊副官代理石川正雄中尉と第4連隊長代理長屋少佐が連携して、更に攻撃し、ロシア軍守兵を壊走させるが、第29連隊は追撃の余力なし。

鴨緑江軍第11師団は、午後、ようやく救兵台西方高地を占領。更に、北東の龍王廟嶺を攻撃。後備第1師団も攻撃再開。


3月2日

啄木父・一禎一家、宝徳寺を追われ渋民の知人宅に仮住まい。

4月25日、盛岡に移住、帷子小路8番戸の借家に入る。

3月3

第1軍、午前0時30分~1時30分、近衛師団近衛第2旅団(渡辺章少将)第3・4連隊が唐家台北方高地を目指し前進。

午前3時20分、ロシア軍第3線散兵壕まで奪取。

午前4時30分、本陣地に迫るが死傷者続出。

午前5時、退却(死傷者:第3連隊454・第4連隊674)。

第2師団第29連隊は引き続き高台嶺東方高地を攻撃。午前3時50分、連隊長代理・第2大隊長田中館佳橘少佐が第6・8中隊を率い突進、田中館少佐が戦死しほぼ全滅状態。第3大隊(長屋竹緑少佐)・第1大隊(喜入徳之助少佐)が攻撃続行するが、損害大(高台嶺攻撃での第29連隊の死傷717)。第1軍は3月1~3日で死傷4、750となる。

3月3

ロシア皇帝ニコライ2世、より自由主義的な政府をつくることを明らかに。

3月4

鴨緑江軍、進展なし。

第1軍、動かず。

第4軍、前進できず。

第2軍、快進撃。午前中に、第5師団は人二堡・蘇湖堡に、第8師団は二台子・徳勝営子に進む。

午後、第8師団は張土屯南方で第3軍第9師団に並び、第5師団も大楡樹堡に到着。

第3軍、進撃。第9師団は寧官屯・張土屯に、第7師団は李官堡・姚家屯に到達。第1師団は大石橋北方の大転湾橋に、秋山支隊は郝三家子に進出。

西部戦線は、大石橋北方から渾河北岸に到る旧鉄道堤内側に第2・3軍主力が勢揃い。


3月4

イタリア、ジョリッティ政府総辞職。

3月4

ブダペシュト、女流ピアニスト、リリー・クラウス、誕生。

3月4

米教育家、日本の女子教育に尽力したマレー(74)、没。

3月5

幸徳秋水「兄弟姉妹よ」(「直言」)。2月28日、下獄。同志に後事を託す。

3月5

ムハメド・ブン・アブド・アラー、伊領ソマリア内に領地を認可される。

3月6

午前8時過ぎ、ロシア南下部隊(「レーシ隊」)、大転湾橋を攻撃。第3軍第1師団第27連隊(竹迫弥彦中佐)が守備する柳家寯棚は混乱。第2大隊(宇宿格輔少佐)が援軍に向うが、途中で攻撃されて目標地点に到着出来ず。

正午頃、第9師団は大石橋に到着。

午後1時、柳家寯棚に第2大隊第8中隊の3個小隊がようやく到着。ついで、第7師団第28連隊第2大隊第5・8中隊が来援。

午後4時30分、第28連隊第7中隊、第25連隊第1大隊も来援。

午後5時、「レーシ隊」は退却。

損害:「レーシ隊」1,700、第27連隊541(うち戦死202)。


全線で攻撃を開始した日本軍は、各方面でロシア軍の頑強な抵抗にあう。

戦況は膠着状態となる。

3月6

「万朝報」、「毎日新聞」と共に塩専売・米籾輸入税・織物消費税・市内通行税の4悪法廃止を主張し、国庫による百三十銀行救済、特に北海道上川兵営建築費不当支出を取上げ、政府の無責任を追及。

「政府の横暴放恣斯くの如くにして已まずんば、一旦、外難去りて常時に復するの瞬間、我が国民は彼等を以て露軍に次ぐの仇敵なりと為し、多年の鬱憤積怨忽ち彼等の頭上に爆発」するであろうとを予告。

3月6

(漱石)

「三月六日(月)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。」

「""Hamlet"" は常識で読むもので、哲学で読むべき性質のものではないと説く。(金子健二)」(荒正人、前掲書)

「三月七日(火)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。午後一時あら三時まで「英文学概説」を講義する。」(荒正人、前掲書)


つづく

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