1905(明治38)年
5月27日 日本海海戦③
午後2時40分頃、命中弾の爆煙が戦場を覆い視界不良となり一時砲撃中止。
2時43分、第1戦隊は東南東に、47分、南東二分の一東に変針、略丁字形をとり攻撃。
午後2時45分、第1艦隊第3戦隊・第2艦隊第4戦隊がバルチック艦隊の背後を攻撃。旗艦「スヴォーロフ」が右旋回し脱落、「アレクサンドル3世」が先頭にたつことになり集中砲撃受け、火災、列外にでる。次に「ボロジノ」が先頭にたつ。
午後3時06分、「オスラービャ」沈没。乗員900中戦死・溺死504。
午後3時20分、消火した「アレクサンドル3三世」、ロシア艦隊を霧の中に誘導。
午後3時23分、「三笠」は「スウォーロフ」横を通過し猛射を浴びせる。
午後3時30分、バルチック艦隊の後方で離れて航行していた病院船「オリョール」と同「コストローマ」は、仮装巡洋艦「佐渡丸」や同「満州丸」に捕捉され、臨検のため荒れた外海から三浦湾に移動させられる。
3時34分、第2戦隊が「スヴォーロフ」に接近。砲撃するが、上部構造が一掃されている被害状況をみて、第2艦隊司令長官上村中将は、砲撃中止を命令。
この間、後方では第3・4戦隊がバルチック艦隊を攻撃。第4戦隊2番艦「高千穂」は舵故障で脱落、第3戦隊「笠置」は浸水激しい状況。
また、第5・6戦隊が後方攻撃に加わり、連合艦隊全艦が戦線参加となる。
(連合艦隊の第3・第4・第5・第6戦隊は大回頭に参加せずバルチック艦隊の後方を回り、2時45分に第3・第4戦隊が主力艦隊の右方にいたバルチック艦隊の巡洋艦・特務船に対する攻撃を開始していた。)
午後3時49分、第1戦隊は「三笠」を先頭にした単縦陣の戦闘体勢に戻り、北東へ針路をとった。第2戦隊は合流し先行。
午後3時55分、第1戦隊は東微南約7,000mに北方へ遁走を図るロシア艦船主力を発見。
午後4時1分、距離6,500mで北側から砲撃を再開。
第3・第4戦隊は反航戦から並航戦に移りつつ攻撃を繰り返し、4時20分には曳船「ルーシ」を撃沈し、仮装巡洋艦「ウラル」や工作艦「カムチャツカ」にも損害を与え脱落させる。
午後4時30分、第1戦隊に先行していた第2戦隊はに敵を見失う。
午後4時43分、第1戦隊はバルチック艦隊を完全に見失い、午後4時51分から南に変針。
午後5時28分、第1戦隊、仮装巡洋艦「ウラール」発見、撃沈。
午後5時55分、ロジェストヴェンスキー司令長官、駆逐艦「ブイヌイ」に移乗。
6時、旗艦「ニコライ1世」坐乗第3艦隊司令長官ネボガトフ少将に指揮権委任、ウラジオストックに向う。
午後6時6分、第3戦隊(出羽中将)旗艦「笠置」浸水。将旗を「千歳」に移し、午後9時30分、戦列復帰。
午後6時33分、第1戦隊は「ボロジノ」攻撃に集中。
6時42分、第4・5・6戦隊は「スヴォーロフ」と工作船「カムチャッカ」に攻撃集中。
午後7時、「カムチャッカ」沈没(一部乗組員はボートで脱出、山口県貝島に56人・同越ヶ浜に8人が漂着)。第4・6戦隊は北方の主戦場に向う。第5戦隊直率の第3艦隊司令長官片岡七郎中将は随伴する第11艇隊に「止メ」を刺すよう指示。
同時刻7時、「アレクサンドル3世」沈没。全員867死亡(第2戦隊が救助活動中の巡洋艦「イズムルード」を砲撃、駆逐)。
午後7時23分、戦艦「ボロジノ」沈没。866中生存1人。
午後7時30分、「スヴォーロフ」沈没。死者925人。
午後7時28分、日没。東郷司令長官、駆逐艦縦隊以外の戦闘中止命令。
連合艦隊の多くの戦艦・巡洋艦は翌日の戦闘に備え鬱陵島に向けて移動を開始し(第7戦隊は対馬海域に残っている)、昼間は所属戦隊に付随していた駆逐隊と水雷艇隊は、日没に備えてバルチック艦隊の周囲に接近し、完全に暗くなると北・東・南の三方から次々と襲撃に移った。
戦艦「オリョール」とその後続艦3隻はその行方をくらますため「左8点一斉回頭」を行い、午後8時にはネボガトフ乗艦の「ニコライ1世」を嚮導として無灯火航行に入り再び北へ向かう。バルチック艦隊の一部の艦艇はサーチライトを使って夜襲部隊に対して迎撃しようとし、相手に対して目標を作ってしまう。
午後7時30分、対馬三浦湾に退避中の駆逐艦隊・水雷隊に出撃命令。
午後8時~10時過ぎ、駆逐隊・水雷隊によるロシア艦船夜襲攻撃。
8時10分~17分、第1駆逐隊、敵の最後尾の巡洋艦「ナヒーモフ」他に魚雷攻撃。1番艦「朧」・2番艦「雷」は被弾。続いて北方で第1駆逐隊、東方で第5駆逐隊が攻撃。
8時30分、第5駆逐隊各艦が攻撃。
8時40分、第5駆逐隊の「夕霧」と「春雨」がこの夜最初の衝突事故。
午後9時頃、東方の第3駆逐隊、北方の第9艇隊、南方の第1・10・15・17・18艇隊の計20隻が戦闘加入。
午後9時7分、第1駆逐隊「暁」と第1艇隊先頭第69艇がこの夜第2の衝突事故。
9時10分、第9・17艇隊、第3駆逐隊が一斉攻撃。第10・17艇隊が左右から敵艦隊攻撃。
9時40分、第10艇隊1番艇第43号艇が第15艇隊4番艇「鷺」に衝突。"
救助活動。第17艇隊第34号艇、沈没、乗員残員18救助。第18艇隊第35号艇残員20救助。
午後10時45分頃、第1艇隊第69号、沈没。乗組員26中24救出・行方不明2。
午後10時、戦艦「ナワリン」沈没。乗員703中3のみ生存。他に「シソイ・ウェリーキー」大破、ウラジオ行き断念。巡洋艦「ナヒーモフ」「モノマーフ」も脱落、ウラジオ行き断念。
第4駆逐隊を除いて夜襲は0時前に終了したが、バルチック艦隊は脱落やはぐれるなどで「ニコライ1世」に続行するのは、戦艦「オリョール」、海防戦艦「ゲネラル・アドミラル・アプラクシン」、同「アドミラル・セニャーヴィン」、二等巡洋艦「イズムルート」の4隻のみとなってしまった。
5月27日
二葉亭四迷、内田魯庵を訪れ日本海海戦の勝利の模様を話す
内田魯庵『二葉亭余談』(青空文庫)
「砲声聞ゆ」という電報が朝の新聞に見え、いよいよ海戦が初まったとか、あるいはこれから初まるとかいう風説が世間を騒がした日の正午少し過ぎ、飄然(ひょっこり)やって来て、玄関から大きな声で、
「とうとうやったよ!」と叫(どな)った。
「やったか?」と私も奥から飛んで出で、「結果は?」
「マダ十分解らんが、勝利は確実だ。五隻か六隻は沈めたろう。電報は来ているが、海軍省が伏せてるから号外を出せないんだ、」とさも大本営か海軍省の幕僚(ばくりょう)でもあるような得意な顔をして、「昨夜(ゆうべ)はマンジリともしなかった。今朝(けさ)も早くから飛出して今まで社に詰めていた。結局はマダ解らんが、電報が来る度毎(たんび)に勝利の獲物が次第に殖(ふえ)るから愉快で堪(たま)らん。社では小使給仕までが有頂天(うちょうてん)だ。号外が最う刷れてるんだが、海軍省が沈黙しているから出す事が出来んで焦(じ)り焦りしている。尤も今日は多分夕方までには発表するだろうと思うが、近所まで用達しに来たから内々(ないない)密(そっ)と洩(も)らしに来た。」
と、いつも沈着(おちつ)いてる男が、跡から跡からと籠上(こみあげ)る嬉しさを包み切れないように満面を莞爾々々(にこにこ)さして、「何十年来の溜飲(りゅういん)が一時に下さがった。赤錆(あかさび)だらけの牡蠣殻(かきがら)だらけのボロ船が少しも恐ろしい事アないが、それでも逃がして浦塩(ウラジオ)へ追い込めると士気に関係する。これで先ず一段落が着いた。詳報は解らんが、何でもよっぽど旨く行ったらしい……」とちょっと考えて「事に由るとロスの奴、滅茶々々(めちゃめちゃ)かも解らん。今日の電報が楽たのしみだ。」
といいつつソソクサして、「こうしちゃおられん。これから復(ま)た社へ行く、」と茶も飲まないで直ぐ飛出し、「大勝利だ、今度こそロスの息の根を留めた、下戸(げこ)もシャンパンを祝うべしだネ!」と周章(あたふ)た格子を排あけて、待たせて置いた車に飛乗りざま、「急げ、急げ!」
こんな周章(あわた)だしい忙がしい面会は前後に二度となかった。「ロスの奴滅茶々々かも解らん」とあたかも軍令部長か参謀総長でもあるかのようなプライドが満面に漲(みなぎ)っていた。恐らくこの歓喜を一人で味(あじわ)ってられないで、周章てて飛んで来たのであろう。
つづく

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