2025年8月18日月曜日

大杉栄とその時代年表(590) 1905(明治38)年6月9日~14日 「理は此方にあるが権力は向ふにあると云ふ場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、又は権力の目を掠(かす)めて我理(わがり)を貫くかと云へば、吾輩は無論後者を択(えら)ぶのである」(漱石「吾輩は猫である」(四))

 

戸水寛人

大杉栄とその時代年表(589) 1905(明治38)年6月1日~8日 高平小五郎駐米公使、小村寿太郎外相の訓令によりセオドア・ルーズベルト米大統領に日本政府の意思を伝え日露講和の友誼的斡旋を依頼 より続く

1905(明治38)年

6月9日

閣僚会議、米提案の対露講和受諾決議。

6月9日

セオドア・ルーズベルト米大統領、日露講和を勧告。米公使、正式に米の講和勧告書を日本に手交。ロシアにも同日交付。

10日に日本、12日にロシアが承諾。

6月10日

伊藤証信、『無我の愛』創刊。東京巣鴨に無我苑をひらく。

6月10日

日本、9日のセオドア・ルーズベルト米大統領の日露講和勧告受諾。全権委員を任命すべきことをアメリカ公使に回答。12日、ロシアが承諾。

以降、東京帝大七博士グループや対露同志会などは、賠償金30億円、樺太・沿海州・カムチャツカなどの割譲、東清鉄道譲渡、遼東半島の租借権など満州に於けるロシアの権利の譲渡などを要求。

しかし、東西「朝日」・「時事新報」「日本」「毎日新聞」などは、6月段階での講和に賛成せず、講和調印までは戦闘を継続せよと主張続ける。

6月10日

参謀次長長岡少将、樺太占領について元老伊藤博文の了解をとりつける。小村外相も賛成。

翌日、桂首相・寺内陸相の賛成もとりつけ、翌日の御前会議後に首脳会談を開き一挙に決定するよう調整。海軍軍令部次長伊集院五郎中将は明言を避けるが、連合艦隊司令長官東郷大将の賛意を確認し、東郷の出した条件である連合艦隊編制改正に着手。

6月10日

長野の岡谷-上諏訪で初の生繭汽車輸送開始。中央東線富士見~岡谷間の未開業線を利用。

6月10日

ベルツ(56)、横浜港から出航、帰国のためドイツに向かう。

6月10日

漱石「吾輩は猫である」(四)

「理は此方にあるが権力は向ふにあると云ふ場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、又は権力の目を掠(かす)めて我理(わがり)を貫くかと云へば、吾輩は無論後者を択(えら)ぶのである」と「吾輩」が語る。検閲を意識した漱石がの創作方法。

6月10日

英外相、日英同盟協約対案を提示。以後交渉継続。

6月11日

東大教授「バイカル博士」戸水寛人、仲間と講和条件について話合う。この事を知った文相久保田譲は東大総長山川健次郎に対し、教授らに慎重な行動をとらせるよう厳命。

13日、戸水らは山川総長より注意を受ける。

6月11日

(漱石)

「六月十一日(日)、朝、中川芳太郎来る。歌舞伎座に誘われていたが、延ばして貰う。六月十三日(火)に行くと一旦約束したが、気が進まぬとその日の午後断りの薬書出す。中川芳太郎は、鈴木三重吉(英文学科二年)が漱石を大層尊敬していると詳しく話して帰る。胃の調子悪く、天気もよくないので、散歩見合せる。

六月十二日(月)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。

六月十三日(火)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで Hamlet を講義する。午後一時から三時まで「十八世紀英文学」序を講義する。

六月十四日(水)、暴風雨。午前八時、東京帝国大学梅内で英文学科卒業生と共に、望月写真館(望月東涯 本郷区本郷四丁目十番地、現・文京区本郷四丁目)の写真師出張して、写真を撮る。

上田敏・ロイドも同席する。八時半から、心理学実験室で卒業生の口頭試問を行う。

六月十五日(木)、東京帝国太学文科大学で午前十時から十二時まで「十八世紀英文学」を講義する。(小宮豊隆)」(荒正人、前掲書)


(註)「十八世紀英文学」;「明治三十八年度新学期(九月)から始める予定の「十八世紀英文学」(『文隼評論』)の序の部分を」、「二回ないし三回に亘って、六月中に講義されたのではないがと想像される。」

「口頭試問」;「ロイドを中心に、左右に漱石と上田敏がならび、一人あたり三十分の口頭試問を行う。漱石の発音はイギリス式である。」(荒正人、前掲書)


6月11日

ニューヨーク・シカゴ間を18時間で走る快速電車運転開始。

6月12日

午前10時40分、御前会議。東郷大将「日本海海戦戦闘報告」奏上。

午後1時40分、首脳会議。首相・外相・陸相・海相・参謀総長・軍令部長。樺太・北韓作戦中止決定。参謀次長長岡外史少将は、満州軍総参謀長児玉大将をたてて、作戦実施の再度の根回しを行う。

6月12日

ロシア、セオドア・ルーズベルト米大統領の日露講和勧告受諾。

6月13日

京都の東本願寺、前宗務総長を財政紊乱問題で除名。

6月14日

満州軍総参謀長児玉大将、参謀次長長岡外史少将に電報。講和談判を有利にするためのに積極作戦(樺太占領)が必要と力説。

15日、参謀総長山縣元帥・首相桂太郎・外相小村寿太郎・陸相寺内正毅中将・蔵相曾禰荒助が定例会議。児玉電報について会議。小村は児玉の進言を支持。結果、樺太占領作戦・北韓軍の進軍を決定(海軍の反対で北韓作戦は没になる)

6月14日

数紙に「バイカル博士」戸水寛人らの決議した講和の最小条件「賠償金30億円、樺太・カムチャッカ・沿海州の全部の割譲」掲載。決議参加者は「戸水寛人、岡田朝太郎、中村進午、渡部遯吾、松浦厚、渡部千冬ほか数氏」。


つづく

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