2021年5月4日火曜日

「コロナのピンチをチャンスに」 改憲巡り自民・下村氏 ← 火事場泥棒ですか! / 「コロナ危機」に乗じた改憲を許すな / 他の国は緊急事態条項なんてなくても補償や給付でロックダウンしてコロナを抑えたのに、日本政府だけ金も出さす、ワクチンも接種できずに失敗しておきながら「もっと強い権力をくれればできたのに」と言って憲法のせいにして、それを鵜呑みにする国民 / 「緊急事態条項」を創設すれば、病床が増えるんですか?7月までにワクチン打てるんですか?感染防止のために潤沢な休業補償が用意されるんですか?学校のオンライン授業が整うんですか?日本製のワクチンが開発されるんですか?ファイザーのCEOに会えるんですか? / 問題は憲法が掲げる国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三大原則が損なわれていることではないか。特に統治体制の劣化を立て直すことが優先度の高い課題なのではないか        

大阪、いくらなんでもこれはオカシイ → 1万人以上が自宅療養を強いられて、中には自宅で亡くなる方もいるのに、府議(維新)は即入院できるのか! 

2021年5月3日月曜日

自宅から下永谷市民の森経由舞岡公園へ 舞岡川と舞岡公園の鯉のぼり 2021-05-03

 5月3日、はれ

今日は憲法記念日。昨年同様、リアルの憲法集会はないので、舞岡公園へ散歩。

自宅~下永谷市民の森~舞岡公園~戸塚駅のコースで、総歩数は1万8千歩。

▼舞岡川の鯉のぼり


▼舞岡公園の鯉のぼり


▼下永谷市民の森からの富士山

全国調査 聖火リレーに血税乱費116億円(週刊文春) / 垣間見える商業五輪の醜さ スポンサーで成り立つ聖火リレー(東京); 財源が約100億円のスポンサーの協賛金。 「批判を浴びたからといって、リレーを途中で中止したら、スポンサーから『逸失利益を支払え』と言われかねない」。 組織委の幹部「商業五輪の醜い姿を示してしまった」

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【「世界の専門家達は、五輪はスーパースプレッドイベントになる、それは世界中に悪影響を与えてコロナ大拡散する、と言っている」(CNN)】 「日本ではまだ人口の1%しかワクチン接種終わってない。高齢者は0.1% だけ。 医療従事者ですらたった17% しか接種してない。この調子だとワクチン接種がおわるのにあと10年かかる、と公衆衛生専門家談。 そんな日本で五輪まであと3ヶ月とは」    

 



 

【横浜】ワクチン予約 申し込み殺到、50分で「パンク」(神奈川新聞); 横浜市は3日、新型コロナワクチンの高齢者接種の予約を始めたところ申し込みが殺到し、受け付けを中断したと発表した。

 

高齢者ワクチン接種の7月末完了、神奈川県内で「実現できる」は真鶴町と清川村のみ 自民党県連の聞き取り調査(東京5/23) / 「7月に85%接種完了」は「絵に描いた餅」 たられば調査のカラクリ(毎日) / ワクチン接種7月完了「厳しい」が複数 自民神奈川県連が自治体調査 / 高齢者ワクチン、京都市は「7月完了」と言うけれど 「私の予約は10月」「正直に答えていない」疑問の声続々 / 「選挙対策か何だか知りませんが、遅れの責任を自治体に押し付けるための「アリバイ作り」でしかない」(おじま紘平 都議) / 「1回目の接種が8月21日。7月末なんて嘘」舛添氏の発言が波紋 「1回目は9月上旬だと…現実はこんなもの」嘆き、諦めの声も / 高齢者ワクチン「7月中の接種完了を」 総務省が太田市長に電話で念押し 政府の姿勢浮き彫りに(上毛新聞) / 【神戸新聞】高齢者ワクチン接種完了時期 国が圧力「7月末で」 / 間に合わないと回答したことについて「ショックだった」と(笑いながら 動画)←そこは笑うところじゃない!(命と健康の重大問題) / 「ワクチン足りず、医療従事者用を回せ」国が高齢者接種の7月末完了で“脅し” 自治体が反発 / 秋田知事「何でも良いから7月にと言われても…」 接種完了困難認識 / ワクチン高齢者接種「さば読みいっぱい」 秋田知事、7月末まで85%に(時事) / 新型コロナ 高齢者ワクチン接種、「7月完了」自治体の85% 政府全国調査(毎日) ← アヤシイ! / 神奈川県の場合、「ねばならぬ」という精神論 → ワクチン接種完了「絶対命題」と黒岩知事 理由は菅首相と河野担当相を輩出している県だから…(東京) / 大阪府の場合、「目指す」という意気込みレベル → 大阪 吉村知事 7月末までに希望する高齢者への接種終了目指す(NHK) / 菅首相「7月末目標」に躍起 「総力戦」の高齢者ワクチン接種(時事) ;「接種の遅れは.....「政権の命取りになりかねない」(周辺)ため」 ← 国民の命と健康を守るため、じゃないのか! / “首相は「本来は厚生労働省の仕事」である自治体との調整に、自身が強い影響力を持つ総務省を動員。4月21日に武田良太総務相を首相官邸に呼び、自治体の支援に当たるようひそかに指示” / 「7月末までに高齢者ワクチン接種完了は無理」全国の地方自治体の6割回答 菅首相の指示で混乱(Aera.) / 「厚労省が4月末、全国の地方自治体に内々で調査したところ、1741の市町村のうち6割以上の1100の自治体が「7月中に高齢者のワクチン接種完了はできない」と回答している。主な理由は「ワクチンが国から届かない」「予約を受け付けると瞬殺で埋まってしまい現場が大混乱」など」   

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『武力で暮らしは守れない!』(新聞意見広告) / 「何が何でも改憲をしようとするあまり、その(改憲の)テーマはめまぐるしく変遷してきました」 「軍事対軍事の危険な悪循環に陥るのではなく、違憲の安保法制を廃止し、九条を活かした自主独立の平和外交へと歩みを進めるべきです」 「コロナ危機に便乗して改憲論議をあおるのは究極の火事場泥棒」(山添拓@憲法審査会4/28)   

▲朝日新聞紙上も -------------------

2021年5月2日日曜日

Trickle-down economics has never worked. — President Biden トリクルダウン経済はうまくいったことがない(バイデン大統領)

 

尹東柱の生涯(20)「1945年2月16日 尹東柱は福岡刑務所で死去。27歳2ヵ月余。2月18日 北間島・龍井の家族のもとに福岡刑務所から電報が届く。父・尹永錫と叔父・尹永春が家族を代表し福岡に向かう。」  

尹東柱の生涯(19)「1944年2月22日 尹東柱・宋夢奎、起訴される。3月31日 尹東柱、懲役2年の刑を言い渡される(未決拘留日数120日が算入される) 4月13日 宋夢奎、懲役2年の刑を受ける(未決拘留日数算入はなし) 尹東柱・宋夢奎共に福岡刑務所送りとなる」

1945年2月16日

尹東柱、午前3時36分、福岡刑務所で死去。27歳2ヵ月余。

2月18日

北間島・龍井の家族のもとに福岡刑務所から1通の電報が届く。

「16ニチ トウチュウシボウ シタイ トリニコラレタシ」

悲しみに暮れる間もなく、父・尹永錫と、叔父・尹永春のふたりが、家族を代表し福岡に向かう。

ふたりが出立した後に、別途、郵便通知が配送された。

「東柱危篤ニツキ、保釈シ得ル。モシ死亡シタ際ニハ、遺体ハ引キ取リニ来ルカ、サモナクバ九州帝大医学部デ解剖用ニ提供サレル。即答ヲ望ム」。


尹一柱の証言

毎月遅くとも五日までには必ず来ていたはがきが一九四五年二月には中旬になっても来なかった。死亡通知の電報が来た日は日曜日だった。家族たちはみな教会に出かけて、わたしと弟が留守番をしていた静かな午前、舞い込んできた電報は「二月一六日東柱死亡、死体ひき取りに来られたし」だった。わたしはあわてて教会に駆けていき家人に知らせ家までお連れした。ほどなくして礼拝を終えた人たちが集まってきて、家の中はたちまち棺のない喪中の家になった。しばらく村に行っておられた母を、人を出してお連れし、全家族が悲しみに浸った。悲しみの中でも心配は一、二にとどまらなかった。北間島から日本の福岡まではほんとうに遠い道のりだったばかりでなく、玄海灘は米軍の爆撃が激しくて航海はとても危険だったし、日本本土への爆撃もひどくなっているときだった。また旅行手続きと渡航証明を出させることも並大抵のむつかしさではなかった。周囲では安全を心配して、別の人を送る方法を探ってみるようすすめたが、父はむしろ断固として出かけられた。悲しみに浸された父を危険な道へ送り出して、わたしたちは悲しみと心配、その二重の苦しさを味わわねばならなかった。父は新京〔現・瀋陽〕に行き、そこにおられた永春堂叔を連れ、安東をへて福岡に行かれた。

父が発たれたあと、家には刑務所から一枚の通知書が郵便で送られてきた。あらかじめ印刷されてある様式の中に必要事項だけ記入するようになっているその通知文の内容は、「東柱危篤。望むなら保釈することができる。万一死亡時には死体を引き取ること。あるいは九州帝国大学に解剖用に提供すること。即答ねがう」というものだった。そしてそこに書かれた病名は脳溢血だった。いくら日本から満州まで郵便が四日程度かかるといっても、死ぬ前に送ったという手紙が一〇日も過ぎたのちに来るわけがあるか。なぜ先に送って人を死なさずに生かす道を探ってくれなかったのか! われわれはあらたな憤りに地を叩いて慟哭した。


尹永春の証言

東柱が獄死したという訃報をわたしは新京で受け取った。永錫兄とわたしが二人で福岡刑務所を訪ねたのは、東柱が死亡してから一〇日後だった。夢奎も東柱と同じ刑務所にいるのだ。死んだ東柱のことはあとで尋ねることにして、生きている者から先に確かめてみなければと思って、夢奎のことをまず尋ねた。

面会手続きをしながら、しきりに書類をかき回している看守たちの手もとを見ると、「独立運動」という文字が漢字で印刷されてあった。獄門を開けて入ると、看守はわれわれに夢奎と話すときは日本語ですること、あまり興奮した様子を本人に見せてはならないという注意をした。時局に関する話はいっさい禁止という注意を受けて廊下に入ると、青い囚人服を着た二十代の朝鮮青年五十余名が注射を打つために施薬室の前にずらりと並んでいるのか見えた。

夢室が半分こわれた眼鏡をかけて走りよってくる。骨と皮ばかりではじめは顔がわからなかった。どうしてこんなところまでやってきたのかとたずねる挨拶の声さえあの世から聞こえてくる夢みたいな声だった。口の中で何かつぶやいていたがよく聞き取れず、「どうしたんだ、その様子は」と問うてみると「あいつらが注射を受けろというので受けたら、こんな姿になって、東柱もおなじように・・・」という声がかすれていた。もちろんこのときは朝鮮語で話をかわしたのだ。もう一度わたしの手首をつかんだ夢奎の手は熱かった。手を握り合って東京でいっしょに上野公園を歩いた若者がこんな場所でこんなになったかと思うと、ただ涙が出てくるばかりで、あまりに切なくてどうにも言葉にならなかった。時間になったから出ろという言葉に押し出されて出てきてしまったが、これが夢奎とのこの世での最後の別れとなった(夢奎は一週間後に死亡)。

その足で遺体室をたずねて東柱を探した。棺のふたをあけると「世の中にこんなこともあるんですか?」と東柱はわたしに訴えているようだった。死亡して一〇日たっていたが、九州帝大で防腐剤をほどこしていて身体にはなにごともなかった。日本の若い看守が一人ついてきて、われわれに「東柱が亡くなりました。ほんとうにおとなしい人が・・・息をひきとるとき、何の意味かわからないですが、ひとこと声を高くあげて絶命しました」といいながら同情する表情を見せた。

(尹永春「明東村から福岡まで」『ナラサラン』 23集、ウェソル会、1976年、113 - 114頁)


恵媛の証言

父と堂叔は監獄で兄さんの死体をひき取り、福岡の火葬場に行って火葬したんです。灰は玄海灘のどこか静かな海に撒いて祈祷をささげたそうです。そして東柱兄さんの象徴になるように磁器の壷に納めた兄さんの骨粉を小さな木の箱に入れて胸に抱き、北間島に帰ってこられたんです。死んだ兄さんの顔はまるで眠っているようにきれいだったそうです。

つづく


《典拠資料》

多胡吉郎『生命の詩人・尹東柱 『空と風と星と詩』誕生の秘蹟』(影書房)

宋友恵著・会沢革訳『空と風と星の詩人 尹東柱評伝』(藤原書店)