2008年11月19日水曜日

明治17(1884)年秩父(1)「乍恐天朝様ニ敵対スルカラ加勢シロ」 秩父困民党の高利貸説諭の請願


(現在の)本能寺(撮影2008/01/02)
この向いにおいしい「きんつば」屋さんがあります。正確には、和菓子屋さんですが、「きんつば」がおいしかったです。
*
*
*
*
*

*
■大岡昇平さんの執念
 昨日のエントリの修正です。大岡さんは、一枚のはがきで自分を死地に追いやった一人の男よりは先に死にたくない、とどこかでおっしゃった。多分、「成城だより」ではないかと思うが自信ない。それから、残念ながら、大岡さんはその男より「数か月先に」亡くなったと書いてしまった。
*
 今日改めて調べたら(こんなこと位は、ほんの数分で分かることなので、本来は昨日書く前にやるべきだったと反省)、・・・
 大岡昇平 1909(明治42)年3月6日~1988(昭和63)年12月25日
 ある男   1901(明治34)年4月29日~1989(昭和64)年1月7日
ということであった。周辺の医師団の数や施した技術の差を勘案すば、多分大岡さんはご立派にその執念を果たされたと思う。
*
 実は、この「ゲケツ」報道の最中に、私はその後5年強にわたる海外駐在の準備をしてまして、多少言い訳がましくなりますが、やや世情に疎かったかもしれない。大岡さんの亡くなられた報道に対しても、それ程の感受性をもって受け止めなかったのではないか。1月中旬片道切符だったかな。
*
■明治17(1884)年秩父(1)「乍恐天朝様ニ敵対スルカラ加勢シロ」
*
 秩父の蜂起はこの年11月。風布村の在地オルグ大野苗吉の有名な言葉。風布村から参加した人民の結束力は固く、信州転戦の最後まで戦い抜きます。
*
 松方デフレは、特に中小農を直撃。彼らは、なけなしの土地を失い、更に莫大な借金を抱え、身代限りとなる者も多い。この年、大きく4つの流れに注目したい。
*
①自由党:3月の大会で大井憲太郎らの左派が主流を占めるが、秋には解党するハメに。
②群馬事件。自由党系の激化事件。5月に崩壊。
③秩父事件。前年より地道な活動を展開し、11月に蜂起。壊滅。
④武相困民党。群馬事件・秩父事件に学び、自由党・困民党との接触も萌芽もみながら、11月、各地の小困民党を武相困民党までに統一。翌年、結果を待ちきれない人民が暴発し壊滅。
*
 差し迫ったパンの問題解決と指導層・指導理念の不足。蜂起技術の未熟。
*
本題の前年から始めよう。
*
明治16(1883)年12月
*
高岸善吉落合寅市坂本宗作ら秩父困民党リーダ、大宮郷郡役所に高利貸説諭の請願行動。翌17年3、4月にも繰返す。
請願書には戸長の奥印が必要であり、この奥印は得られず、郡役所・戸長は、貸借には法規があり監督庁が介入すべきでないと常に却下。
松方デフレにより農村窮乏化深刻。秩父郡下には700戸が身代限となる。
*
「秩父地方ニ於テ細民ノ貧困ニ陥ルハ、債主ノ為メニ不当ノ高利ヲ収取セラルゝニ職由スルモノト臆測シ、倶二其貧困ヲ救ハント欲シ、明治十六年十二月下旬、秩父郡役所へ高利貸営業ノ者ニ負債据置、年賦償却説諭ノ儀ヲ出願」(秩父暴動始末6「坂本宗作裁判言渡書」)。
*
「秩父暴徒ハ貧困者ノ困難ニ始リ、外援者卜倶ニ暴動ニ終ル者也、
抑(ソモソ)モ明治十五、六年ノ交(コロ)、銀行ノ設立未ダ普(アマ)ネカラズ、貸金業者跋扈セシ時代ニシテ、無法ノ高利ヲ掠収セルヲ以テ、彼等ニ債ヲ負ヒタル貧民ハ、年々一層ノ困難ニ陥リ、到ル処倒産スル者少カラズ、
而己(ノミ)ナラズ甚ダシキニ至リテハ、債鬼ノ強迫ヲ惧レ、内ニ老幼ヲ舎(オ)キツ、外ニ隠レテ其居所ヲ晦(クラ)マス者少カラズ、
茲ニ於テカ上吉田ノ高岸善吉、下吉田ノ坂本宗作、落合寅市ハ、其惨状ヲ見聞スルニ忍ビザルト同時ニ、高利賃等ガ貸付方法ノ甚ダ残酷ナルヲ憂ヒ、熟議ノ結果、神奈川県下青梅附近ノ実例二倣ヒ、返債方法ヲ年賦据置ニナサシメント欲シ、茲ニ初メテ運動ニ着手シタルハ実ニ明治十六年十二月ナリ」(鎌田冲太「秩父暴動実記」、読み易くする為、改行を施す)。
*
請願は、秩父郡長伊藤栄に受理されず。
伊藤郡長は、聯合戸長(町村長)4人と協議。
「貸借ハ規定アリ、監督官庁ノ干渉スベキモノニアラズ、若シ干渉セシカ啻(タダ)ニ職権ヲ誤ル而己ナラズシテ、財界上ノ浮沈ニ影響シタランニハ其害大ナラン、少時成行ヲ見ルノ外ナキノミ」の意見に「衆皆同感ヲ表シ」、一般農民に対して「彼等ニ接近スベカラザルコト」を指導すると決める(鎌田冲太「秩父暴動実記」)。
*
戸長の奥書拒否。
明治15年12月、政府は「請願規則」を制定し、「請願書ハ請願人自ラ署名捺印シ、族籍・住所ヲ記シ、戸長ニ請願スル者ヲ除クノ外、住所戸長ノ奥印ヲ受クベシ」と規定。
*
秩父郡日尾村の日尾盟社(製糸会社)社長で、日尾村聯合戸長役場筆生の関口俊平の供述。
「本年(明治17年)四月頃、秩父郡上吉田村ノ高岸善吉、下吉田村落合寅市、同村寄留坂本宗作ノ三名ガ、最寄貧民等ノ総代トシテ、秩父郡役所へ出頭シ、高利貸ヲ渡世スル者ノ姓名ヲ記シ、高利貸ヲ制止スルコトヲ願立テタルモ却下セラレ、其砌(ミギリ)各村戸長役場へ奥印致シ候様右三名ヨリ申込ミタルモ皆応ズル者ナク」(明治十七年秩父暴徒犯罪に関スル書類編冊7「関口俊平訊問調書」)。
*
・茨城県下館地方~群馬県甘楽地方~埼玉県秩父地方。
「関東決死隊」と称する急進的自由党員500余の間に、反政府活動計画が生じ始める。
□大井憲太郎、宮部襄、杉田定一らの関東遊説が契機。明治16年12月~17年5月、群馬県では多くの農民運動。
北甘楽・東西群馬郡農民は負債据置・年賦返済と減租を求めて集会。
前橋の西南部・南勢多郡約10ヶ村農民は数百名の集合に成功するが、1週間さみだれデモに終る。
自由党活動家は・・・。
県自由党幹部湯浅理兵は戸長職を利用して税金持逃げ、農民指導者神宮茂十郎の殺傷事件、湯浅理兵・小林安兵衛は資金調達のための強盗事件。明治17年5月、群馬事件失敗。
*
・上州(群馬県)の農民騒擾。
*
西上州では、この月(12月)までに約30ヶ所、数十回の負債農民の集会・請願・張り札が繰り返され、次第に大規模・組織的騒動の様相を呈す。
*
「十一月廿日京目村百壱名人民惣代」名儀の「願意ノ趣左ノ如シ」で要求内容をみると、
①地租2.5/100を1/100にして欲しい(政府は公約を守れ)、
②高利貸の利息を法律どおり規制し、現在の元利を7年々賦にして欲しい、
③貸金取り立てに当って検査料・手数料名目の不当な加算を止めさせて欲しい、
④もぐり代言人に法律上の勝手な手続きをさせないで欲しい、という控え目な統一要求。
12月4日午後11時、江木村六ヶ所河原に16ヶ村1,200~1,300名が集まる。郡長の「総代を記名せよ」との言に対し、5~6ヶ村はこれを無視して帰る。そして翌早朝再び竹ボラがなり、同じ場所で会合が始まる・・・、という調子で年を越す。
*
県令楫取(カトリ)素彦の山県内務卿宛の報告。
「本年ハ繭糸米穀等頗ル低価、加之金融梗塞ニ際シ(負債)返弁ノ術策無之困迫ノ折カラ一、二教唆者有之右小民共ヲ嘯集シ陽ニ暴威ヲ為シ」、説諭すると、「忽チ解散シ昼間ハ耕職ニ従事シ夜陰ニ乗ジ又々集会」(11月19日)。
「民心動揺之景況上申 管下西群馬郡京目村外廿七ケ村ノ人民、目下米価下落金融梗塞之折柄、第三期地税延納之儀出願之処、納税之儀ハ素ヨリ、一定ノ成規モ有之採用スへキ筋ニ無之侯間、難聞屈キ旨指令ニ及ヒ侯処、尚続々出願之模様モ相見へ、兎角民心不穏之景況有之ニ付、此上或ハ集合強願ヲナスノ場合ニ可至モ難計--為念此段内申致置候也。 明治十六年十二月十七日 群馬県令楫取索彦 内務卿山県有朋殿」
*
上日野村では地租改正の結果、山林地租が改正前の151倍になると示されて、小柏八郎治他12名と渡辺政信ら6名は連合適合して、「地租減額」「未納地税ヲ四十ケ年賦」を要求、近隣の下日野、高山、三波川、秋畑などの村々に運動を広げる。16年12月、上下日野村では「伺ノ趣以特別聞届候事」という成果を得るが、三波川筋は運動の立遅れもあって却下される。
*
・西園寺公望(34)、参事院議官に任じられる。奏任官の上のポストで、給与も月俸(4等官)から年俸(3等官)となり、ようやく高級官僚の仲間入り。官吏として直後に任じられていた程度の地位を得る。
*
・馬場辰猪(33)、川崎砂子町1722番地に明治義塾詞訟鑑定所分局を開く。
*
・女子親睦会中心に私塾「蒸紅学舎」設立。場所は景山英子の家。午後3時~6、6~9時の2部制。男は6~10歳、女は6~60歳。月謝6銭。
*
・樋口一葉、青海学校小学高等科第4級を首席で卒業、母の反対で進学が出来ず。同月、泉太郎(19)、家督を相続(戸主は兵役免除という恩典を受ける為ではないかとの説)。翌明治17年1月~3月、父の知人和田茂雄に和歌の指導を受ける。
* 
12月1日
・ゴッホ、ヌエーネンの両親の家へ帰る。以降2年のヌエーネン時代は、画家として独自の道を探り始める時期、油彩画が多くなる。主題は、農民、 職工、そしてヌエーネン近郊の風景。
* 
12月2日
・ブラームス「交響曲第3番」初演、ウィーン、リヒター指揮
*
12月4日
・植木枝盛、「慷慨義烈 報国纂録」の版権願提出。幕末尊攘派浪士の書簡・日誌の編集。前月29日獄死の福島事件被告田母野秀顕への追悼。志士型活動家への共感。
* 
12月6日
・ゴーギャン(35)、4男ポール・ロラン(ポーラ)誕生。一家でルーアンに移る。(翌年11月迄)
*
12月9日
・大島渚ら、第1回強盗事件(東春日井郡稲葉村豪農松原市右衛門宅)。2年に亘り51回。24日、第2回強盗事件。新たに山内徳三郎が参加。大島らの博徒グループに、草莽隊~撃剣会~愛国交親社の経歴をもつグループ(都市細民)が加わる。30日の第5回強盗事件より、愛知自由党知識人久野幸太郎らが加わる(彼らの目的は紙幣贋造資金調達)。
*
12月12日
・大山巌結婚披露宴、鹿鳴館
* 
12月13日
・石阪昌孝、八王子広徳館より吉野泰三に書簡。地租軽減の請願書草稿(石版ないしは木版刷り)を同封。翌年初めにかけて署名者を募集するも中断。
* 
12月16日
・クールベ率いるフランス軍、ハノイ北方ソンタイ占領
*
12月17日
・古沢滋「三菱会社ノ弊ヲ論ズ」(「自由新聞」)。~明治16年5月13日迄、断続的連載。改進党と三菱の癒着批判。
*
12月28日
・徴兵令改正(免役廃止、予備・後備役の制)
* 
12月29日
・成島柳北「雑録」(「朝野新聞」)。翌17年11月没する柳北最後の「雑録」。
□「本年の不景気、不融通は二、三年見ざる所にして商法衰頽し工業退縮し破産、閉店其の幾千万なるを知らず、各港の貿易場は寂として休業に近く貧乏を嘆ずる声は四野に充満す。之に加うるに新聞社会に於ては、条例の一たび改まりて何も知らぬ社主、印刷人も編集人の罪を分担し或いは身代同様の器械を引き揚げらるる等の新法皆是れ本年に現出せしなり。演説は頻りに中止の報を聴き著書は時々禁売の噂あり」。
*
to be continued

0 件のコメント: