2008年11月22日土曜日

1871年3月21日 ジャコバンの見果てぬ夢か・・・


■日米和親条約調印の地の石碑(於、開港資料館前の開港広場。撮影は本日08/11/22)
 1853(嘉永6)年7月、ペリー率いるアメリカ東インド艦隊が来航。翌年2月、ペリーは再来航、開国交渉が久良岐郡横浜村字駒形(現県庁付近一帯)で行われ、3月31日、日米和親条約12ヶ条調印。
■背景の噴水の後にあるのが、日本最初のプロテスタント教会の横浜海岸教会。
■山下公園、県庁近くの日本大通り、この開港広場、その近辺にスケッチブックを持つ人たちがたくさんいました。

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■昨日のエントリの「博徒大刈込み」の項は、長谷川昇「博徒と自由民権---名古屋事件始末記」(平凡社ライブラリ)に100%依拠しました。このアングルで自由民権を見る目は鋭い。平凡社ライブラリには、良知力「青きドナウの乱痴気 ウィーン1848年」という、面白い本もありました。河野健三さんなんか、腰ぬかしたんじゃないかな。また、大学者古島敏男さんの本も出てました。ご子息は会社の先輩でした。
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■1871年3月 ジャコバンの見果てぬ夢か・・・ 「未完の黙翁年表」より
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3月21日
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・仏、パリ、プラース・ド・ラ・ブルスにおける「秩序の友」派の反革命デモ、国民軍部隊により解散。
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・国民軍中央委員会、区長を参加させずコミューン選挙を実施する、選挙日を23日に延期するとの声明。コミューンの選挙手続きと議員数の決定。市内の大部分のバリケード撤去の指令。
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・中央委員会、布告。
①公設質屋へ抵当に入れた物品の売却を停止し、
②手形の支払期限を1ヶ月延長し、
③新しい命令あるまで家主がその借家人を追い出すことを禁止。
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 「三行(の布告)で、委員会は正義を行ない、ヴェルサイユを打ち、パリを手に入れた。」(リサガレー)
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・旧警視庁の機能を暫定的に担当するデュヴァルの布告、掲示。中央委員会の自覚の高まり。
□「パリは三月十八日以来、人民の政府以外いかなる政府をも有しない、そしてそれこそ最良の政府である。いかなる革命といえども、今日われわれがおかれているがごとき条件のもとで遂行されたものはない。パリは自由市となった。その強力な中央集権はもはや存在しない。
 ・・・パリは左のことを要求する、
(一)パリ市長の選挙、
(二)パリ市二十区の区長・助役および区会議員の選挙、
(三)国民衛兵のすべての責任者の選挙、
(四)パリはフランスから分離する意志を少しももっていない、否、パリはフランスのためにこそ、帝政、国民防衛政府、すべての裏切り、すべての卑劣にたいして抵抗をつづけてきた。それは、ただフランスの姉娘としてフランスに次のことを告げたいためであった、フランスよ、私が頑張り通したように、君も頑張ってくれ、私が闘ってきたように、君も闘ってくれ、と。」
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○[コミューン群像:エミール・ヴィクトル・デュヴァル]
鋳鉄工、パリの鋳鉄工組合で鋳鉄業の10時間労働闘争を指導。1867年6月インタナショナル加盟。同時にプランキとも連絡をもち、労働者の秘密戦闘組織指導部に入り、68~69年、第2帝政反対の武装蜂起を準備。70年春、鋳鉄工大ストライキに際しこの組合をインタナショナルに加盟させる。
70年9月4日革命時は、獄中にありる(インタナショナルに対する第3次裁判で禁錮刑)。20区中央共和委員会に入り、国民軍第101大隊長に任命され、3月18日革命に参加。国民軍中央委員として重要な役割を演じ、警視庁占領に参加。将軍に任命され、警視庁軍事指揮官となり、その後パリの3人の軍司令官の1人となる。早急なヴェルサイユ攻撃を主張。3月26日、パリ・コミューン議員(第13区)に選ばれる。コミューン軍事委員部及び執行委員会委員。4月3日、コミューン戦士の1縦隊の先頭にたってヴェルサイユに出撃。4日、捕虜となり、裁判抜きで銃殺。
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・パリ20区の(中央委員会の)代来者会議、国民軍中央委員会を支持し、コミューン選挙に候補者をたてる決議。
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・「官報」に、国民軍中央委員会の代表委員のの綱領的な論文「三月一八日の革命」を発表。3月18日の革命のプロレタリア的性格が強調され、プロレタリアートが権力掌握する必要がある事が根拠つけられる。
□「首都のプロレタリアは、支配している諸階級のごまかしや裏切りをみて、公共の仕事の管理を自分たちの手ににきり、事態を救わねばならない時がきたことを理解したのである・・・プロレタリアートは、自分たちの権利がたえず脅威にさらされており、自分たちの、当然である願望が、完全に否定されているのをみて、祖国が壊滅し、自分たちのすべての希望がやぶれたことを知り、至上の義務と無条件の権利とが、自分たちの運命を自分たちの手ににぎり、権力をもって勝利を保証することを要求しているのだということを理解したのである」
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・午後2時、ヴィノワによって発禁にされていた「人民の叫び」8万部が発売再開、成功。
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・パリの反中央委員会勢力の状況。
 代議士および区長たち、コミューン選挙をボイコットするようパリ住民へアピール。パリのブルジョア新聞編集者たち、選挙実施反対の声明。
 ヴェルサイユの激越な態度は、パリに残る反動勢力を鼓舞し、「フィガロ」紙などパリで発行を継続するヴェルサイユ派の諸新聞は、中央委員会に対する中傷誹誘を始める。中央委員会は言論自由の立場からこれらには干渉を加えず。21日、新聞編集者35名の共同声明発表、公然と選挙ボイコットを煽動。また同日、「秩序の友」と称する反動分子100余が市内を行進し、国民議会万歳!中央委員会を倒せ!と叫ぶ。
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・ドイツ第3軍司令官、「現在のパリの司令官」に対し、パリ地区のドイツ軍は、事態が暫定平和条約の諸条件遵守に影響をおよぽさない限り、ドイツ軍の安全を脅かさない限り、「平和的な、まったく受動的な立場を」守るであろうと電報。
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・ヴェルサイユ。ヴェルサイユ軍、モン・ヴァレリアン堡(パリ郊外)再奪取。
 国民議会、人民・軍隊に支持を呼び掛けるアピール。ティエール、政府と議会は「情勢をにきった」蜂起者と妥協したパリの政府代表者を裏切者として追求すると威嚇した各県知事への回状。ファーヴル、ヴェルサイユ政府はパリでの権力を復活させ、講和条約の義務を守る意向であるとドイツ占領軍当局へ手紙。
 国民議会でのジュール・ファーヴルの演説。
 「パリは、国民議会の権利にたいして、血で汚れた強盗の理想をおしっけようとする一群の無頼漢の手中にある。・・・かれらはパリをフランスから切断しようとしている。しかし無頼漢どもよ、忘れるな、われわれがパリを去ったのは、やがて再びそこに帰って、お前たちと決戦を行なわんためであることを。もしわれわれの中の誰かが、ただ暴力と殺人と掠奪をもって権力を奪取したこれらの徒輩の手に陥るならば、彼は、不幸な将軍たちと同じ運命を分かつことを覚悟しなければならぬ。・・・断じて弱気を見せてはならぬ、断じて憐憫の気持をおこしてはならぬ。フランスは、首府を血にまみれさせようとしているこれらの無頼漢の支配には陥らぬであろう。」。
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・ロンドンインタナショナル総評議会、パリの情勢を討議。
 パリの連合評議会からの情報に基づき、エンゲルスは、フランスの首都の事件について報告。評議会はマルクス提案に基づき、ロンドンの労働者地区に代表団を送り、集会で、蜂起したパリ市民に共感を表明するよう呼びかけることを決定。
 モンマルトルの諸事件を討議。エンゲルスは、運動の人民的性格を指摘、中央委員会には、「有名な」人物は1人もいないとのブルジョア新聞報道を解説し、中央委員会はパリの人民大衆を代表する民主的な機関であると定義し、また、ドイツの占領軍を「闘争からはなしておくことができる」限り、「成功のみこみは大きくなる」と強調し。
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・ベルリン。ビスマルク、フランスの捕虜の送還停止を指令。ドイツの反動新開、パリの事態について中傷的論文と、ティエールの反乱鎮圧を援助せよとの呼びかけ発表。
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・ミラノ。民主的な機関紙「ガゼッティーノ・ローザ」、パリの事件を解説し、パリで「偉大な諸原則が宣言されている」、「フランスはヨーロッパの進歩の道をてらす燈台となるであろう」と述べる。
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to be continued

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