*
与謝蕪村宅跡
(室町通り仏光寺東入ル南側)
説明板の一節(蕪村の日記より抜粋)
「安永三年十一月某日(蕪村五十九歳の時)
近くの日吉神社の角を東へ曲がって仏光寺通り途
中から南へ入って奥まったところに閑静の空家あ
りと、とも(妻)が見つけて、またその釘隠町へ
身元保証の請状も通り、急に話がきまって三日前
移転する、狭いながらに前より一間多く猫ひた
いの庭に縁も少々あって、画絹ものびのびと拓げ
られる心地なり、我が家の前で路地は行き止まり、
つきあたりに地蔵尊一体おわします、あしもとに
濃みどりのりゅうのひげなど生い茂る、」
*
蕪村は、天明3年(1784)12月25日この地で没す(68歳)。
*
与謝蕪村宅跡
(室町通り仏光寺東入ル南側)
説明板の一節(蕪村の日記より抜粋)
「安永三年十一月某日(蕪村五十九歳の時)
近くの日吉神社の角を東へ曲がって仏光寺通り途
中から南へ入って奥まったところに閑静の空家あ
りと、とも(妻)が見つけて、またその釘隠町へ
身元保証の請状も通り、急に話がきまって三日前
移転する、狭いながらに前より一間多く猫ひた
いの庭に縁も少々あって、画絹ものびのびと拓げ
られる心地なり、我が家の前で路地は行き止まり、
つきあたりに地蔵尊一体おわします、あしもとに
濃みどりのりゅうのひげなど生い茂る、」
*
蕪村は、天明3年(1784)12月25日この地で没す(68歳)。
*
*
*
道元禅師示寂の地
(西洞院通り高辻西入ル北側)
道元は、建長5年(1253)8月5日、懐奘を伴い永平寺から京都に向う。
俗弟子覚念の高辻西洞院の宅に入り、15日、中秋の和歌を詠む。
28日、没す(54歳)。
*
道元は、貞応2年(1223)、24歳の時、
栄西の弟子の明全に従い、宋に入る(~29歳)。
しかし、その年に明全は没し、その後は一人で奮闘する。
*
道元禅師示寂の地
(西洞院通り高辻西入ル北側)
道元は、建長5年(1253)8月5日、懐奘を伴い永平寺から京都に向う。
俗弟子覚念の高辻西洞院の宅に入り、15日、中秋の和歌を詠む。
28日、没す(54歳)。
*
道元は、貞応2年(1223)、24歳の時、
栄西の弟子の明全に従い、宋に入る(~29歳)。
しかし、その年に明全は没し、その後は一人で奮闘する。
*
*
*
0 件のコメント:
コメントを投稿