一つは材木座に、もう一つが今回ご紹介するお寺で、頼朝の大蔵幕府西御門跡のもうすこし先にあります。
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来迎寺
室町時代、廃寺となった太平寺跡に創建される。
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室町時代、廃寺となった太平寺跡に創建される。
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太平寺跡の石碑
「太平寺は比企尼寺にして相傳う
頼朝池禅尼の旧恩に報いんため
その姪女の所望に聴き
姪女を開山たらしめし所なりと
足利の代
官領基氏の族裔 清渓尼の中興する所となれるが
天文中 里見氏鎌倉を歯掠せる時
住持青岳尼を奪ひて房州に去りてより遂に頽破せり
今の高松寺は 寛永中 紀州徳川 家の家老水野氏が
其の太平寺の遺址を改修せるものなり 」
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*太平寺跡の石碑
「太平寺は比企尼寺にして相傳う
頼朝池禅尼の旧恩に報いんため
その姪女の所望に聴き
姪女を開山たらしめし所なりと
足利の代
官領基氏の族裔 清渓尼の中興する所となれるが
天文中 里見氏鎌倉を歯掠せる時
住持青岳尼を奪ひて房州に去りてより遂に頽破せり
今の高松寺は 寛永中 紀州徳川 家の家老水野氏が
其の太平寺の遺址を改修せるものなり 」
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おおまかな経緯は以下の様です。
太平寺は、頼朝が池禅尼の恩に報いる為、禅尼の姪の「尼になりたいと思う世の女人のために尼寺を建立したい」との願いを聞き入れ、その姪を開山として創建。鎌倉尼五山第一位。
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戦国時代、関東では古河公方と小弓公方(足利義明)が、それぞれ北条氏と上杉氏と連合し、対立。房総の里見氏は、北条と争っており小弓公方を支持。
小弓公方足利義明の娘は太平寺住職青岳尼で、里見義弘が鎌倉を攻めた歳、青岳尼を連れ去り、結婚する(正妻として迎える)。
就職を失った太平寺は、北条氏康によって廃寺とされる。
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「寺社巡りインデックス」をご参照下さい。
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