2010年1月15日金曜日

昭和13年(1938)3月16日 社会大衆党西尾末広、総動員法賛成演説「ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく、・・・」で除名処分  イタリア空軍のバルセロナ再度爆撃

昭和13年(1938)
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この月の
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ドイツのオーストリア侵略過程はコチラ
をご参照下さい。
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3月16日
・香港、フィッチ「南京に残留した米人の目撃談」(「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」)。
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3月16日
国家総動員法案、法案委員会で可決。
衆議院本会議に緊急上程、小川委員長の報告、各派6名の討議の後、付帯決議を付して無修正可決、貴族院に送付。4月1日公布。5月5日施行。
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近衛は、「一朝有事の際に、或は緊急勅令とか、或は非常大権の発動に依りまして、総動員の実施を行うというよりは、予めその大綱だけでも議会の御協賛を得て、法律として制定しておく方が、むしろ立憲の精神に適う」という論法で成立を急ぐ。
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当初、近衛首相が欠席し、激しい反発があり、答弁に立つ塩野季彦法務大臣らはシドロモドロで立ち往生。3月2日、病気をおして登院した近衛首相が「協力と理解」を率直に求め、議会の空気も和らぐが、翌3日には「黙れ事件」で混乱。
結局、近衛が「支那事変に直接これを用いるものではない」と言明し、13日、政友会・民政党は折れて同意する方向に傾く。
3ヶ月でこの約束は反故に。
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付帯決議
「一、本法のごとき広汎なる委任立法は全く異例に属す。本法を濫用して人心の安定を脅威し、産業の発達を阻害せざるよう厳に戒心すべし 
二、本法の制定とともに政府は進んで世界の平和を実現し、文運の進歩に貢献するため速かに外交機能を刷新し新たに対外国策を確立すべし」。
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立案した企画院総裁(第2次近衛内閣)星野直樹、
統制法規として、世界に類例のない徹底したものだ。この法律で何と何が統制できるかと考えるよりも、この法律で統制できないものがあるなら、それをさがした方がはるかに早いだろう」(高梨正樹編「目撃者が語る昭和史(第5巻)日中戦争」「国家総動員法の製作者」)。
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▽「総動員法」の新聞統制
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1月26日「読売新聞」がスクープした「発売、頒布禁止の行政処分を二回以上受けた新聞や出版物は発行停止処分にする」という項目は、国会に提出された法案からは削除されており、新聞界はホッとする。
提出法案第20条は、
「政府は戦時に際し国家総動員上必要ある時は勅令の定むる所により、新聞紙その他の出版物の掲載につき制限、又は禁止を為すことを得。又政府は前項の制限又は禁止に達反したる新聞紙その他の出版物にして国家総動員上支障あるものの発売および頒布を禁止し、これを差押うることを得」とある。
政府は、この第20条について新聞側から批判され、「これは単に法案を作っただけで必要のない限り実施をさけたい」と弁明し、「抜かざる伝家の宝刀」と申し開きをする。ここに大きな落とし穴があった。
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「【第一六条の三】政府は戦時に際し、国家総動員上必要あるときは・・・事業の開始、委託、共同経常、譲渡、廃止もしくは休止又は法人の目的変更、合併もしくは解散に関し必要なる命令をなすことを得」
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「【第一八条】政府は・・・同種もしくは異種の事業の事業主又はその団体に対し、当該事業の統制又は統制のためにする経営を目的とする団体又は会社の設立を命ずることを得」。
「新聞連盟」や「一県一紙」による新聞の統廃合に導かれる。
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・衆議院本会議、社会大衆党幹事西尾末広、国家総動員法案の賛成演説
「ヒトラーの如く、スターリンの如く大胆に」と近衛首相を激励、政民両党がこれを問題とする。
「国家総力戦に備えるため」、「戦時社会政策の徹底、労働政策の確立」を、とくに要望。懲罰委員会に付され、23日、除名(翌年、補欠選で復帰)。除名に反対したのは尾崎行雄のみ。
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「私は、社会大衆党を代表して、本法案に五個条の希望条項を付して、賛成の意を表したいと思うのであります。・・・
いまや世界は、個人主義より相互主義へ、自由主義より統制主義へと進展しつつあるが、各個人の自由をある程度制限することによって、全体の発展をはかり、その部分としての個人的自由を合理化し、かつ増大せんとする方向に向かいつつあることは、われわれのハッキリ認識するところであります。
・・・数年前よりわが国には、われわれが現実に見るごとき、大多数の有色人種が、白色人種の優越感によって支配されている現状に顧みまして、また東洋の平和確立のために、実力的に戦い得るのは、わが日本を措いては他にないという信念にもとづきまして、この日本の歴史的使命達成のために、敢然立って邁進すべしとの意見が、たかまり来たったのであります。われわれはこの歴史的使命をはっきりと認識しなければならぬ。・・・
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・・・それは去る三月十四日は、五個条の御誓文の七十年目に当るのであります。”わが国未曾有の変革をなさんとし″と御誓文の冒頭に仰せられているのであります。まことにしかり、今日においても、わが国は未曾有の変革をなさんとしている。・・・この精神を近衛首相はじっかりと把握いたされまして、もっと大胆率直に、日本の進むべき道はこれであると、ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく、大胆に日本の進むべき道を進むべきであろうと思うのであります。今日わが国のもとめているものは、確信に満ちた政治の指導者であります」
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西尾の声は、「近衛首相に共産主義をやれというのか」「スターリンはそんなに偉い政治寓なのか」などの怒号と机を叩く音で聞こえなくなったという。
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西尾は席に戻ってようやく周囲の騒ぎで自分の演説が大問題になっていることに気付く。そこで弁明のために再登壇し、「ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく」のくだりをすべて削除すると申し出るが、政友会・民政党が承服せず、議長が西尾を懲罰することで収拾。
この時、尾崎行雄が西尾の後で登壇し、「そこで私も言おう。近衛首相は自信をもって、ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく、大胆に日本の進むべき道を国民に示して指導せられたい。・・・西尾君はこの言葉を取り消したが、私は取り消さない。西尾君を除名する前に、私を除名せよ」と応援演説。結果的には西尾だけが除名。
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桐生悠々「西尾氏の除名」(「他山の石」4月5日号)。
「無理が通れば道理が引込む、単に日本のみならず、世界を挙げて、今ファッショ的なる暴力横行の時代に、西尾氏が揚足を取られて、我衆議院から除名されたのは決して驚くに足らず、寧ろ必至的の結果であるが、さりとは余りに子供らしく唯噴飯を禁じ得ない」。
「朝・毎・読」は、この間題も真正面から取り上げず沈黙。
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3月16日
・スペイン、イタリア空軍のバルセロナ再度爆撃。
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サラマンカ駐在ドイツ大使シュトーラーは、爆撃の効果は「恐るべきもの」で、「市内のあらゆる地域が影響をうけ、軍事目標をねらったという証拠は全くなかった」と述べる。
夜10時頃の第1回目空襲は、ハインケル水上飛行機6機が、上空400mを時速80マイルで横断。
その後、18日午後3時まで、3時間間隔で17回の空襲があり、約1,300が死亡、2千人が負傷。
チアノは、空襲指令はムッソリーニから直接与えられ、「フランコはそれについて何も知っていない」という。
19日、フランコは、「海外での紛糾」を恐れ空襲停止を要求。しかし、ムッソリーニは、かつての彼の将軍ドウエットと同様、飛行機のもたらす恐怖によって戦争に勝てるとの考えを変えないでいた。
ロンドンでは、いくつか抗議集会が開かれ、ジョージ・パーカーは詩「スぺインのためのエレジー」を発表。
コーデル・ハルは、「合衆国の全国民を代表して」嫌悪の念を表明。
しかし、共和国各都市に対する無差別爆撃は、戦争終結まで続く。
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「★昭和13年記インデックス」をご参照下さい
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