昭和13年(1938)
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この月の
スペイン戦線の状況についてはコチラ、
ドイツのオーストリア侵略過程はコチラ、
をご参照下さい。
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3月8日
・衆院、48億5千万円の臨時軍事費を可決。
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3月8日
・巨人球団、召集された沢村、三原を補うために川上哲治、千葉茂ら7人の入団を発表。
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3月9日
・スペイン、アラゴンに対するフランコ軍の大攻撃「電撃作戦」。共和国側の戦線崩壊。
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3月9日
・オーストリアのシューシュニク首相、3月13日にオーストリア独立維持の国民投票実施を企てるが、3月11日、ヒトラーはシュシュニック辞任を求める最後通牒を出す。
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3月10日
・北支那方面軍第1軍、各兵団を警備任務に移行させ、山西省内新占領地での掃蕩作戦を実施
(本稿末尾に方面軍編成を記載)
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3月10日
・フランス、第4次ショータン内閣総辞職。
社会・共産両党の支持を失い辞職。ルブラン大統領はブルムに組閣依頼。挙国一致内閣構想。
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3月10日
・スペイン、叛乱軍ソルチャーガ将軍のナバラ軍、ベルチーテ占領。第15国際旅団は辛くも脱出。
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3月11日
・中華民国臨時政府、旧通貨整理弁法・取締擾乱金融弁法を公布。連銀発行貨幣を国弊とする金融体制確立を目指す。
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3月11日
・「公立中等学校は何れも有閑階級の子弟や金持の指定に独占されることになって、貧乏人には何等の恩恵にはならぬことになる」(鈴木庫三「日記」)。
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3月11日
・オーストリア、ドイツより人民投票延期の最後通諜を受けシュシュニック首相辞職。アルトゥール・ザイス・インクボルト(ナチス)がオーストリア首相就任。独政府に秩序回復のため軍の派遣要請。
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3月11日
・オーストリア軍事占領命令、ドイツ軍に発せられる。
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3月12日
・日本銀行、政府保証興業債券を抵当とする貸付利子及びこれを保証とする手形割引歩合を最低日歩9厘5毛に、満州国国債を保証とする手形割引歩合を最低日歩1銭に優遇。
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3月12日
・ドイツ軍、対オーストリア侵入開始。機械化部隊はリンツ付近で立ち往生、入城式に辛くも間に合う。ヒトラー、オープンカーでオーストリア入り。夜、ウィーンだけでも6万4千人がナチスにより逮捕。
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3月12日
・フランス、第2次ブルム内閣(社会党・急進社会党)成立。社会党11、急進党9入閣。1ヶ月足らずで上院の反対に直面し総辞職。
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・社会党全国協議会、ブルムの挙国一致内閣構想支持。6575対1684。共産党中央委員会も支持。
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・午後、ブルムは、野党議員を集め挙国一致内閣構想を説明。152対5で否決
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3月13日
・北支那方面軍第2軍司令官西尾寿造中将、第10師団瀬谷支隊(瀬谷啓少将)と第5師団坂本支隊(坂本順少将)に南進命令
(第10師団に「大運河以北の中国軍撃滅」を、第5師団に「沂州攻略後 嶧県付近で第10師団の作戦に協力」を下命)。
しかし、中国軍の攻撃を受け苦戦。18日、瀬谷支隊、謄県を攻略するが、第5戦区軍は激しく抵抗。24日、瀬谷支隊、台児荘攻略失敗。27日、瀬谷支隊(歩兵6個大隊、野砲兵3個大隊)は台児荘に再度突入、29日、沂州を攻撃中の坂本支隊も台児荘に増援、
しかし戦況は進展せず。4月6日、瀬谷支隊が、7日、坂本支隊が、優勢な中国軍に包囲され台児荘を撤退。
中国側は「台児荘の勝利」を宣伝。
瀬谷啓少将(22期)は予備役に退く。徐州周辺に中国軍約40万が集結している事が判明し、4月7日、徐州作戦下命。
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この年(昭和13年)初頭、陸軍中央は、占領地を確保して持久策をとる不拡大方針を固め、2月中旬、日本軍はその方針に沿って平定作戦を実施。
しかし、第一線の中国軍はその後も増強され、第5戦区軍約20万が展開する山東方面は「連夜襲撃ヲ受ケ第一線ハ漸ク奔命ニ疲ルルノ徴ヲ認ム」状況であり、参謀本部は第2軍の「眼前の敵を追ひ払ふ」南進作戦を認可。
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3月13日
・近衛首相が、総動員法は「支那事変に直接これを用いるものではない」と言明し、政友会、民政党は同意する方向に傾く。
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3月13日
・ドイツ、オーストリアを併合。
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3月14日
・仏、新外相ポール・ボンクール(穏健派)、チェコ駐パリ大使を呼びフランスはチェコとの同盟条約から生じる諸義務を履行する言質を与える。又、ピレネー山脈越しにスペイン共和国への兵器密輸黙認。
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この頃、パリではドイツとの戦争は不可避と思われている。
マシグリ外務省政治局長も対スペイン不干渉は茶番と公言し、コメール外務省情報局長は、「我々はオーストリアのうらみをスペインではらすだろう」とも発言。
15日、フランス国防委員会の会合で、ブルム首相はフランコに対する最後通牒を提案。
内容は、「二十四時間以内に貴下が外国部隊の支持を放棄しないならば、フランスは・・・フランスにとって有益だと思われる、あらゆる介入手段を用いる権利を留保するものである。」というもの。
しかし、国防軍参謀総長ガムラン将軍は、参謀本部はフランス南西部に対し別個の動員計画を持たないと指摘。
ダラディエは、スペインへの直接介入は世界戦争を惹起すると主張。
外務省主任書記官レジェは、介入は必ずドイツ、イタリアの開戦理由となり、イギリスはフランスの政策から遊離するであろうと批評。
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3月15日
・ソ連、ブハーリン処刑。
元中央委員ニコライ・ブハーリン(50)、アレクセイ・ルイコフ(57)らが死刑判決。即日処刑。
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3月15日
・バルセロナで大衆20万デモ。ネグリンに反対する閣僚追放要求、国防相ブリエトを攻撃
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3月15日
・ウィーン、ヒトラー、ホーフブルク宮バルコニーから演説。
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■北支那方面軍編成
(軍司令官寺内寿一大将、参謀長岡部直三郎)。
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●方面軍直轄兵団:
第114師団(末松茂治中将、参謀長磯田三郎大佐(宇都宮))、
歩兵第127旅団(秋山光三郎少将)、
歩兵第128旅団(奥保夫少将)。
支那駐屯兵団(山下奉文少将、3月12日支那駐屯混成兵団を改編)
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●第1軍
(司令官香月清司中将、参謀長飯田祥次郎少将)。
・第14師団(3月30日編入、司令官土肥原賢二中将、参謀長佐野忠義大佐(宇都宮))、歩兵第27旅団(豊嶋房太郎少将)、歩兵第28旅団(酒井隆少将)。
・第20師団(川岸文三郎中将、参謀長杵村彦蔵大佐(龍山))、歩兵第39旅団(関原六少将)、歩兵第40旅団(上月良夫少将)。
・第108師団(下元熊彌中将、参謀長鈴木敏行大佐(弘前、5月15日まで))、歩兵第25旅団(中野直三少将)、歩兵第104旅団(苫米地四楼少将)。
・第109師団(山岡重厚中将、参謀長落合甚九朗大佐(金沢))、歩兵第118旅団(本川省三少将)、第31旅団(谷藤長英少将)。
・第16師団(4月12日より第2軍へ転属、中島今朝吾中将、参謀長中沢三夫大佐(京都))、歩兵第19旅団(草場辰巳少将)、第30旅団(篠原次郎少将)。
・配属部隊:野戦重砲兵第2旅団(平田健吉少将)。独立混成第3旅団(佐々木到一中将)。独立混成第4旅団(河村薫少将)。
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●第2軍
(司令官西尾寿造中将、参謀長鈴木率道少将)
・第5師団(板垣征四郎中将、参謀長桜田武大佐(広島))、歩兵第9旅団(国崎登少将)、歩兵第21旅団(坂本順少将)。
・第10師団(磯崎廉介中将、参謀長梅村篤郎大佐(姫路))、歩兵第38旅団(田崎栄次郎少将、3月1日瀬谷啓少将と交代)、歩兵第8旅団(長瀬武平少将)。
・独立混成第5旅団(秦雅尚中将)。混成第3旅団(田村元一少将)。混成第13旅団(吉沢忠勇少将)。
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●航空兵団
(徳川好敏中将)
・第1飛行団(儀峨徹二少将、3月9日寺倉省三少将と交代)。
・第3飛行団(値賀忠治少将)。
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「★昭和13年記インデックス」 「★南京戦インデックス」をご参照下さい
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