2010年5月15日土曜日

カティンの森虐殺事件資料を巡る最近のニュース 「カチンの森」資料にアクセス200万件 ロシア、ポーランドにカチンの森事件資料を引き渡し

カティンの森虐殺事件に関して、最近、ニュースが相次いだ。
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4月10日の追悼集会に向うポーランドの大統領ほか130人が墜落死したのは、よく知られる悲惨極まりないニュースであるが、ここでは「虐殺事件資料」を巡るニュースを取り上げたい。
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まず、一つ目は・・・。
「カチンの森」資料にアクセス200万件
ロシアが実物公開
銃殺にスターリン署名


【モスクワ=副島英樹】スターリン体制下でポーランド人将校ら2万人以上が集団銃殺された70年前の「カチンの森事件」をめぐり、ロシア公文書館は28日、ソ連共産党中央委貞会政治局の秘密資料の実物を専用サイトで初公開した。初日だけでアクセスは200万件を超えた。

スターリンら指導部が銃殺に同意した直筆署名入りの資料もあり、スターリン批判の姿勢を国内外に明確に示すメドページェフ政権の狙いがうかがえる。

資料は「ファイルNo.1」と呼ばれ、「カチン事件はナチス・ドイツの犯行」と虚偽の主張をしてきたソ連時代は極秘にされた。1940年3月の資料には、秘密警察の内務人民委員部(NKVD)のベリヤ長官が銃殺を提案する文書があり、スターリンやモロトフら政治局員の署名が記されている。

これらの秘密資料はソ連崩壊後の1992年、エリツィン大統領(当時)がポーランドのワレサ大統領(同)に写しを引き渡したが、ロシア国内では公開されず、現在も共産党などが「ナチス犯行説」を主張している。一方、90年代から2004年まで続いた軍検察の捜査資料は多くが非公開のままで、人権団体は全面公開を求めている。(「2010/4/30「朝日新聞」夕刊)」
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二つ目は、・・・。
カチンの森事件資料を引き渡し
ロシア、ポーランドに


【モスクワ=副島英樹】ソ連スターリン体制下でポーランド人将校ら2万人以上が集団銃殺された70年前の「カチンの森事件」をめぐり、ロシアのメドページェフ大統領は8日、ポーランドのコモロフスキ大統領代行に対し、ロシア軍検察の捜査資料67巻を引き渡した上で、引き続き資料の秘密解除を進めていくと言明した。

ソ連政権は「カチン事件はナチスの犯行」と偽り、同事件は長く両国関係の摩擦の象徴だった。メドページェフ氏は、9日の対独戦勝65周年式典のため訪ロしたコモロフスキ氏と個別に会談、自らの命令で秘密解除を続けると表明。コモロフスキ氏は「カチンの真相解明は両国関係発廉の基盤になる」と歓迎した。

ゴルバチョフ政権がソ連秘密警察の犯行と認めた1990年以降、軍検察が捜査を始めたが、被疑者死亡を理由に2004年に終結。捜査資料も国家機密保護を理由に183巻中67巻のみがポーランド側に開示可能とされていた。

今後、捜査資料の公開が進めば、スターリンら指導部の犯罪者特定や被害者の名誉回復につながる。(2010/5/10「朝日新聞」朝刊)」
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そして、新聞記事は見落としていたのだが、Webのニュースでは、こういうものも。
カチンの森事件、真相解明へ審理差し戻し ロシア最高裁 
2010年4月22日23時20分
【モスクワ=副島英樹】ソ連スターリン体制下でポーランド人将校ら2万人以上が集団銃殺された70年前の「カチンの森事件」をめぐり、ロシア最高裁は21日、2004年に打ち切られた軍検察の捜査の結果を秘密にしているのは違法だとの人権団体の訴えを聞き入れ、モスクワ地裁に審理を差し戻す判決を出した。犠牲者遺族らは真相解明を求めており、捜査資料の全面公開や再捜査につながる一歩だとして期待が高まっている。

カチン事件はロシアとポーランドの歴史的わだかまりの象徴だった。だが、7日にプーチン首相がポーランド首相を招いた追悼式典でスターリン体制を明確に批判したことや、10日のポーランド大統領機墜落事故でのロシア側の手厚い配慮などで和解への機運が高まっている。上告していたモスクワの人権団体「メモリアル」は「秘密解除への一歩。吹き始めた風に司法が耳を傾けた」と評価した。

これまで国家機密保護を理由に、犯罪者特定など捜査内容の多くは非公開のままだ。」
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一つめのロシア国内での資料公開に関しては、CNNのWebではもう少し詳しく報じられている。
「・・・

ロシア公文書館のサイトに掲載された資料には、スターリン体制下の秘密警察トップ、ベリヤ長官が、1940年3月5日付でスターリンに宛ててポーランド軍 将校や同国の元警官、反(共産主義)革命勢力メンバーらを「ソビエト体制への憎悪に満ちた敵」として処刑することを提案した書簡などが含まれている。この 書簡の1ページ目には、スターリンら指導部の署名とともに、青の鉛筆で「賛同」の文字が書かれている。


資料は1992年に機密解除され、歴史家の間ではすでに知られていた。メドベージェフ大統領はウェブ公開直後の記者会見で、「カチンで何が起きたのかをロ シア国民自身に知ってもらうため」公開を指示したと述べた。


サイトには公開後24時間のうちに250万回以上のアクセスが殺到し、サーバーが何度もダウンする事態となった。

・・・」
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少しづつではあるが改善方向に進んでいる、と思いたい。
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「アンジェイ・ワイダ監督 ポーランド映画「カティンの森」の記事はコチラ
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