2010年8月19日木曜日

昭和16年(1941)7月4日~11日 ゾルゲ、7月2日御前会議の内容を打電 関特演発動 荷風散人、「近年世變の次第」を録す 

昭和16年(1941)
7月4日
・この頃(3日か4日)、尾崎秀実は西園寺公一と会い、7月2日の御前会議の内容を知る。
これを、5日か6日に訪ねてきた宮城与徳に渡し、宮城は10日頃ゾルゲに渡す。
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この報告書には7月2日御前会議の決定として3点が記されている。
①わが国は国際情勢におけるあらゆる事態と推移に対応できる準備をする。
②わが国は日ソ中立条約を厳守し、これは国際情勢に大幅な変化がないかぎり継承する。
③わが国はいかなる困難に遭遇しようとも南進策を遂行し、そのために必要な軍備態勢を整える。
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一方でゾルゲは、ドイツ大使オットより、オットがベルリンの指示により2日夕に松岡外相と会見し、日本軍によるウラジオストク占領を勧めた際、日本はドイツの要請に応じるとの印象を持ったという情報も得る。
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7月4日
・イギリス政府、戦後の領事裁判権撤廃・租借地返還などを中国に表明。
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7月4日
・ユーゴ、共産党、ドイツ占領軍に対する武装蜂起を決定。
チトー、ユーゴのレジスタンスを宣言。
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7月5日
・陸相東条英機、関東軍特別演習を承認。
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7月5日
・クレーギー英大便、日本軍の南部仏印進駐に関し、大橋外務次官に対し問い合わせと警告を行う。
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7月5日
・この日付け荷風「断腸亭日乗」 (改行を施す)
「七月初五。晩間驟雨雷鳴。
夜に入りて四鄰のラヂオ喧騒を極む。毎年暑中となれば夕方六時日の未沒せざる頃より夜は十時過まで軍人輩の政論田舎なまりのラヂオドラマ浪花節など止む時なし。驚くべき都と云ふぺく實に住み憂き國といふぺし。
燈下徒然のあまり近年世變の次第を左に録して備忘となす

一毎月一日及七日を奉公日とやら科して酒煙草を賣る事を禁じ、待合料理屋を休みとなせしは昭和十四年七月七日を以て始めとなす。
其の原因は戦地より歸來りし士官發狂し東海道列車中にて剣を抜き同乗せし車内の旗客を斬りし事あり。
又浅草公園にて兵卒酒に酔ひて通行人を傷けし事ありし爲、軍人への申譯にかくの如き禁欲日を設くるに至りしなり。
以後この日は藝者と女給の休業日となり、熱海をはじめ近縣の温泉旅館連込の男女にて大に繁昌するに至れり。
襚に十五年四月頃より温泉場の手人となり新婚の夫婦まで督察署に拘引せらるゝの奇観を呈したり。

〔欄外墨書〕一圓タタ遠方に往かず夜十二時過客を断るやうになりしは十四年三四月頃よりなり

一燈火管制といふ事は昭和八年七月より始まる。

一煙草二割値上となる。ヒカリ十一錢なりしを十三錢となす。

一十二月一日より市中飲食店はん半搗米を炊きて客に出す。

一舶來の酒化粧品殆どなくなる 十二月中

一市中自働俥夜十一時限りとなる。

一昭和十五年四月二日よりカフェー飲食店夜十二時限り。遊廓及玉の井亀戸は十二時までとなる。

一六月より砂糖マッチ切符制となる。七月六日奢侈品制造並に販費禁止の令出づ。

一八月二日より市内飲食店夕飯は夕五時より八時頃迄。晝は十一時より二時頃迄。この時間以外には米飯を出さず。九月一日より酒は夕方ばかりなり。待合玉の井吉原あたり、夕五時より晝遊禁止となる。

一十月より自働車は芝居の近處また盛場淺草公園附近にて客の乗降を禁ず。

一十一月かぎり市中舞踏場閉止。                         」
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7月6日
・グルー駐日米大使、日本の対ソ戦不参加を要求。
翌日、松岡洋右外相、米国大統領へ対ソ戦不参加を回答。
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7月7日
・関東軍特別演習(関特演)の動員令(允裁)。第1次動員下令。動員予定85万人、徴用予定船舶90万トン。
16日、第2次動員。
最終的に内外16師団70万人・軍馬14万頭・航空機600機が集結。
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7月7日
・米・アイスランド駐留協定調印。米第1海兵旅団、アイスランドに上陸
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7月8日
・警視庁検閲課、美術雑誌38社を8社に統合するように指示。また婦人雑誌関係者50余人を招いて、10誌内外に統合を指示
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7月8日
・ドイツ軍、レニングラード攻略開始
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7月8日
・ドイツ・イタリア、ユーゴスラビア分割協定調印。
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7月8日
・ペタン仏首相、国民革命を宣言。ヴァレリー・クローデルら、ペタン政権を支持。
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7月8日
・アメリカの暗号解読室、2日の帝国国策要綱の解読に成功。 
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7月10日
・大本営政府連絡会議、ようやく米国の6月21日案とハルのステートメントを審議。この日は外務省に意見開陳のみ。
この日夜、近衛首相、陸海内3相と松岡問題を凝議。
12日、大本営政府連絡会議、松岡外相が日米交渉打切りを提議。松岡の癇癪玉が破裂し、松岡の政治生命がこの瞬間に絶える。
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7月10日
・7月2日御前会議の内容に関するゾルゲ電報。受発信は11日。
「インベスト(尾崎)筋によると、御前会議において、対サイゴンの軍事行動計画は変更しないことが決定された。しかし同時に、赤軍が敗退した場合には、対ソビエト行動を準備することも決定された」。
ゾルゲは、御前会議の情報を
①尾崎秀美より、
②松岡外相~オット駐日大使よりの2ルートから入手。
②の情報は北進に偏っており、ゾルゲは①を用いた模様。
尚、独ソ開戦のゾルゲ情報を無視して失敗した赤軍情報部は、今回は信用できる情報と正確さ・信頼度の高さを認識。
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7月10日
・関門海底鉄道トンネル貫通
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7月10日
・独リッペントロープ外相、オット駐日大使に日本の参戦を働きかけるよう指令
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7月11日
・大本営陸軍部、「関東軍特種演習(関特演)」決定・発動(対ソ戦準備、9月迄に70万の兵力集中)。
ソ満国境に兵力を集中
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