京都に「壹錢洋食」(商標登録)というお店がある。
何の事はない、お好み焼きを売っているお店である。
しかし、このお店、お好み焼きをパックに入れて包装するに、二・二六事件を報道する朝日新聞の写しを使用している。
下の新聞の数か所に血糊のような色が付いているのは、血なまぐさい殺戮事件とは無関係に、単にお好み焼きのソースが漏れた跡なのである。
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この頃、弘前第8師団歩兵第31連隊の大隊長であった秩父宮の動静が注目さていたとは聞いていたが、新聞でもその様に扱われていたのを知った。
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秩父宮は、昭和11年(1936)2月27日午前0時22分に弘前を出発。
東京への途中、午後1時、水上駅で東京帝大教授平泉澄が列車に乗り込む。
入京後は、安藤輝三の親友の歩3の森田大尉を呼んで情報を聞く。
事件終了までその収拾に腐心しているが、疑惑を生む行動もある。
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□荷風「断腸亭日乗」では・・・
「二月廿六日。朝九時頃より灰の如きこまかき雪降り来り見る見る中に積り行くなり。午後二時頃歌川氏電話をかけ来り、××××軍人警視廰を襲ひ同時に朝日新聞社日々新聞社等を襲撃したり。各省大臣官舎及三井邸宅等には兵士出動して護衛をなす。ラヂオの放送も中止せらるぺしと報ず。・・・
九時頃新聞號外出づ。岡田斎藤殺され高橋重傷鈴木侍従長又重傷せし由。十時過雪やむ。」
九時頃新聞號外出づ。岡田斎藤殺され高橋重傷鈴木侍従長又重傷せし由。十時過雪やむ。」
「二月廿七日。曇りで風甚寒し。午後市中の光景を見むと門を出づ。・・・銀座通の人出平日よりも多し。・・・居合す人々のはなしにて岡田斎藤等の虐殺せられし光景の大畧及暴動軍人の動静を知り得たり。・・・虎の門あたりの商店平日は夜十時前に戸を閉すに今宵は人出賑なるため皆燈火を点じたれは金毘羅の縁日の如し。・・・此日新聞紙には暴動の記事なし。」
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