2010年8月1日日曜日

天文21(1552)年4月~5月 赤塚の戦い バッサウの和成立 [信長19歳]

天文21(1552)年4月  [信長19歳]
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この月初め
・ザクセン選定候モーリッツ、アウグスブルクを開城、新教派が回復。
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4月1日
・ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)、「化粧用品・果物砂糖煮について」。家庭衛生治療書として全フランスで好評。
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4月2日
尼子晴久(39)、将軍義輝より因幡・伯耆・備前・美作・備中・備後6ヶ国守護職を補任される。この日付け日足利義輝御判御教書。
6月28日、出雲・隠岐守護職に補任。この日付け幕府奉行人連署奉書。
12月3日、朝廷より修理大夫、従五位下に叙任。
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4月10日
・仏アンリ2世、ロレーヌ、トゥール、ヴェルダンを抜き、帝国都市メッツ占領。メッツの守備をフランソワ・ド・ギーズに委ねる。
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4月17日
・フランシスコ・ザビエル(46)、ゴアを去り中国へ。5月マラッカに着く。
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4月19日
・リンツでローマ王フェルディナントとザクセン選定候モーリッツが会談。~5月1日。
皇帝カール5世とフランス王アンリ2世の使者が同席(新教両派が対等の立場で対話する初めての協議)。
何にも決まらず次回5月26日パッサウ開催を決め、散会。
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4月21日
赤塚の戦い
鳴海城(那古野城東南4里、緑区)主山口左馬助(教継)・九郎二郎父子、今川氏の勢力を引き入れて謀反、笠寺・中村(緑区)に砦を築く。
信長(19)、兵800を率いて鳴海近くの三の山まで進出。
山口九郎二郎は兵力1500で三の山東方15町の赤塚郷へ向かう。
信長は赤塚へ進軍した敵を攻撃。
戦いは午前10頃~正午頃まで続く。
信長方被害は討死30騎。勝敗決せず、信長はその日中に帰還。
知り合った者同士の戦い、捕虜交換、敵に逃げた馬も返しあう。(「信長公記」では天文22年とするが、これは誤記)
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この年3月の信秀病没後、反信秀派が動き出す。
まず、鳴海城の山口左馬助・九郎二郎父子が、今川義元に内通し、信長に反旗。山口左馬助は、子の九郎二郎を置き、笠寺に砦を築いて今川方の葛山(カズラヤマ)・岡部五郎兵衛・三浦左馬助・飯尾豊前守・浅井小四郎の5人の駿河衆を引き入れ、左馬助自身は中村に砦を構えて立て籠もる。
信長は、17日、兵800を従えて那古野城を出陣、中根を経て、小鳴海に進み三ノ山に上ったところ、山口九郎二郎が兵1,500を率い赤塚に向かったので、信長も兵を繰出しこれを迎え撃つ。
戦いは巳の刻(午前10時頃)~午の刻(正午頃)の約2時間続き、信長方の討死は30騎に及ぶ。
結局勝敗は決せず、信長はその日のうちに帰城(「信長公記」首巻)。
この合戦に従った軍勢は800ばかりといわれ、翌年に斎藤道三との会見に臨んだ時の伴衆700~800に一致するところから、これは当時信長が直接動員でき得る兵力(直臣衆)と推測できる。この中に、父信秀から付属させられた宿老の内藤勝助が「御さき手足軽衆」として従軍。
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4月23日
・長尾景虎、従五位以下・弾正少弼に叙任。
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4月23日
・誠仁親王、誕生。
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4月25日
・三好長慶・松永久秀、波多野の丹波八上城包囲。
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4月26日
・今川義元、山伏・陰陽師が富士参詣の道者に袈裟などを売ること禁止。
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4月28日
・山科言継、奥比叡の横川中堂(俗にいう元三大師)に参詣(「言継卿記」同日条)。
天文15年(1546)、発心、出奔して駈け込んだ事件以来馴染みになったと見え、その後、天文17、22年、永禄10年の各1回、天文23年2回と計5回訪れる。
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4月29日
・アンリ2世と教皇ユリウス3世、「協定」成立、和解成立。
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5月7日
・武田晴信の生母 大井氏、没。
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5月18日
・ザクセン選定候モーリッツ、フッセン陥落。
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5月22日
・インスブルックの皇帝夜襲事件。失敗。
ルター派ザクセン公モーリッツ、カール5世を襲撃。
カール5世、逃亡(ブレンナー峠→ブリクセン→ケルンテン地方フィラハ)。
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5月23日
・三好長慶祖父長秀の弟長光の子芥川孫十郎(長慶の妹婿)、謀叛。
三好長慶、八上城包囲解き、越水城へ。
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丹波西部も不安定な情勢。
多紀郡八上城波多野晴通も細川晴元に通じ、八木城を攻撃。
長慶自ら八上城を包囲するが、一族の芥川孫十郎が波多野晴通に内通し、退路遮断の危機に、長慶は猪名川谷を撤退、越水城に引揚げる。
孫十郎は叛服常なく、長慶の頭痛の種。
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5月26日
・パッサウ会談。
ローマ王フェルディナントとザクセン選定候モーリッツ、皇帝カール5世とフランス王アンリ2世使者。
モーリッツ、ローマ王に3項目要求(ヘッセン方伯即刻釈放、皇帝カール5世治世の大幅改善、プロテスタントに信教の自由承認)。
「パッサウの和」成立
フィラハのカール5世がモーリッツの要求を承認(皇帝カール5世、決定的敗北)。
プロテスタント、カトリックと対等(平等)の扱い(新教徒は自由にルター教義を信じて良い、「仮信条協定」の廃止決定)。
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「★信長インデックス」をご参照下さい
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