2011年4月13日水曜日

昭和16年(1941)4月 松岡外相、ヒトラーと再度会見 ドイツ軍、ユーゴスラビアとギリシャへ同時侵攻

永井荷風「断腸亭日乗」の昭和16年の条を紹介しております。
遅まきながらその当時に該当する「黙翁年表」
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昭和16年(1941)4月
この月
・大日本精糖、台湾へ本社を移す。
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・米・英・中、平准基金協定(法幣安定基金)締結。
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・連合艦隊参謀長福留繁少将、軍令部第一部長へ。後任は伊藤整一少将。
・海軍大学校長南雲忠一、第1航空艦隊(「赤城」)司令長官。
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・憲兵司令部「幹部の指導監督不充分と犯罪發生の關係」(「偕行記事」特號799號昭和16年4月號)。
「殊に最近最も注意を要することは、軍屬の犯罪が激增した點であって、今次事變以來軍屬の採用が頓に增加し、素質も若干低下せる・・・」。
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・企画院総裁、星野直樹より鈴木貞一陸軍中佐に。
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・日本銀行、最高発行額屈伸制度導入。
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・雑誌執筆者のブラックリストの作成。
「一九四一年の春のことだが、ある日、一人の雑誌編集者が、ただならない顔つきでたずねて来た。ある文学者が、文士のプラック・リストを情報局へ提出したというのである。その本物を、こっそり情報局の机の引き出しから盗みだして写した人間がいる。これがその写しだと、ゲラ紙の原稿紙に走り書きした名簿を出して見せた。およそ執筆者として知られている人間の名が、ほとんど全部書きつらねてあって、その上に白丸と、半黒丸と、黒丸とがつけてある。思わず自分の名をさがす。あった。半黒である。それを提出したという人間の名もあるが、それは白丸だ。その人間は、雑誌の編集長などにあてて、他人の「時局認識」についての中傷を手紙で書き送るという人物であった」(中島健蔵)。
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・花田清輝「復興期の精神」、板垣直子「事変下の文学」、松本竣介「生きてゐる画家」(「みずゑ」)。
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・洋服生地の統制化。女子制服をナチス・ドイツ風テーラードスーツにする指示。
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・生めよ増やせよ式の実質主義が広がる。
「翼賛美人は骨盤の広い女性」ともてはやされる(「女性美論」(「中央公論」))。
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・フランス、ヴィシー政権工業生産大臣ビュシュー、ドイツ軍向け兵器類製造約束。
・自由フランス代表ド・ゴール、アレクサンドリアのイギリス艦隊を訪問。
この頃、アレクサンドリア港にはフランス艦隊(戦艦1隻を含む7隻)がヴィシーの対独休戦に従いつつ、イギリス軍とも独自協定を結び、何もせずにただじっとしていた。
ド・ゴールは、この「惰眠をむさぼり、役に立たずにいる美しいフランスの軍艦」(ド・ゴール大戦回顧録)をただ眺めるのみ。
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この月初め
・第1航空戦隊参謀源田実中佐立案のハワイ攻撃計画を基にした第11航空艦隊参謀長大西瀧次郎のレポート、連合艦隊司令長官山本五十六に提出。
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4月1日
・米中政府、5千万ドルの為替援助協定を結ぶ。
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・南洋庁・関東州・在満洲国民学校規則公布
・朝鮮での国民学校規定、施行(3月31公布)。朝鮮語の授業廃止。
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4月1日
・6大都市米穀配給通帳制・外食券制実施。一般成人1日2合3勺(330g)。
この月、鮮魚介配給統制規則も公布。この後、木炭・酒の配給制相次ぎ実施。
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4月1日
・国民学校令により、全国の小学校が国民学校と改称
国民科など5教科編成で儀式・学校行事を重視、宮城遥拝・軍事教練課す。
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4月1日
・文部省、音階教育をドレミファからハニホヘトイロハ音名唱法実施
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4月1日
・産業報国倶楽部解散
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4月1日
・イギリス、全品目対日輸出許可制度実施。実質的輸出禁止
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4月1日
・ハンガリー、最高国防会議、ドイツとの共同でユーゴ攻撃計画受入れ。
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4月1日
・ローマで松岡外相・ムッソリーニ会談。
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4月2日
・イギリス、ドイツがハンガリー領からユーゴを攻撃すればイギリスはハンガリーと断交、ハンガリーがユーゴ攻撃に参加すれば開戦事由になる、とハンガリーに回答。
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4月3日
・ドイツ軍、ハンガリー・ブダペシュト到着。
ハンガリーのテレキ首相(61)、ドイツの対ユーゴスラビア参戦強要に抗議して自殺。
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4月3日
・リビアのイギリス軍、ドイツのロンメル将軍の戦略部隊に攻撃されてベンガジを放棄。
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4月3日
・イラクで親独派クーデター
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4月4日
・台湾農業水利臨時調整令公布
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4月4日
・豊田貞次郎、海軍大将昇進、商工大臣に就任、海軍次官の後任は沢本頼雄中将(避戦論者)。
鈴木貞一陸軍中佐、国務大臣に就任(企画院総裁。星野直樹の後任)
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4月4日
・第一・四半期の暫定的「物動」がようやく設定される。
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4月4日
・エチオピアのイタリア軍、首都アディス・アベバを放棄
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4月4日
・松岡外相、ヒトラーと再度会見
松岡は、対米戦争は早晩必至で、「それは早く起った方がよい」、日本国内で松岡は孤立し、「ドイツには信頼するが、不幸にして日本には同じことが言えない」と言う。
対米関係が悪化すれば日本の石油事情に影響が及び、日本海軍の石油貯蔵量は日毎に減ってゆく、また対米戦が先へ延びれば延びるほど日米の艦艇建造能力の懸隔が著しくなり、遂には日本は戦えなくなるであろうとみる。
さらに、日本の対米戦発起が早ければ早いほど、米国の戦力を太平洋正面に割くことになり、その分だけドイツの負担が軽くなるであろうと匂わせ、松岡がいかに三国同盟に忠実かを示す
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4月5日
・前衛画家福沢市郎、逮捕。
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4月5日
・賀川豊彦・小崎道雄らキリスト教界の7人の代表者、平和使節として渡米
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4月5日
・ユーゴスラビアとソ連、友好不可侵条約締結。
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4月5日
・松岡外相、ベルリン発。
7日、再訪ソ、モスクワ着。モロトフ・ソ連外相と中立条約交渉。
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4月6日
・エチオピア皇帝ハイレ・セラシエのゲリラ軍、イギリス軍支援を得てアジスアベバをイタリアから奪還
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4月6日
ドイツ軍、ユーゴスラビアとギリシャへ同時侵攻「マリタ作戦」)
早朝、ブルガリア西部より奇襲攻撃。
アルバニアより進撃のイタリア軍も合流。
ソ連侵入が1ヶ月遅れることになる。
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ユーゴの航空兵力は初日で粉砕。
空襲により首都ベオグラードで死者1万7千。
ドイツ軍主力第12軍はブルガリア方面から4つに分かれてユーゴ南東部とギリシアに侵攻。
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ギリシア方面では第18・30軍団がマケドニアを突進して3日間でテッサロニキに到達。
ユーゴ領マケドニア方面では第40装甲軍団が3日間でユーゴ・ギリシア国境に到達。
ブルガリアからユーゴ領を北上する第1装甲集団は6日後に首都ベオグラードに到達。
北から攻める第2軍とで翌日、占領。
必要以上の大戦車軍団を投入した一方的大勝利
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マケドニアのギリシア軍部隊はたちまち粉砕、アリアクモン線も危機的状況。
ユーゴ領マケドニアからアリアクモン線左翼に出たドイツ第40装甲軍団はそこで2日間食い止められるがすぐに前進。
優勢な航空攻撃に晒されたギリシア・イギリス連合軍は陣地を次々放棄、退却。
ギリシア最大の港ピレエフスでは開戦初日の空襲で輸送船「クラン・フレーザー」に爆弾命中、爆薬250tが誘爆し港全体を破壊。
連合軍は海への退却準備を始めつつ、時間稼ぎのためにテルモピレーに踏みとどまってドイツ軍を迎え撃とうとする。
ドイツ軍は補給調整のため暫く停滞。
ギリシア首相コリジスは自殺。後継首相エマヌイル・ツデロス(クレタ島出身)は、国王・政府をクレタ島に逃がす段取りを開始。
アルバニア戦線でも12日からイタリア軍が攻勢、ギリシア軍を押しまくり休戦に追い込む。
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4月6日
・イギリスの雷撃機、プレスト港のドイツ巡洋艦「グライゼナウ」を撃沈。
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4月8日
・「自分の在任中に日支事変を終結させたい」との信念をもつ支那方面艦隊司令長官嶋田繁太郎海軍大将の意気込み
百一号作戦を立案・統制した井上成美参謀長に代わる大川内伝七参謀長を得て、中央に対し「奥地攻撃ノ為ニ中攻隊多数 多々益々可」と要望を述べ、戦備を整える。
嶋田の認識によれば、日中戦争は「戦略的最後の五分間の段階」に入っており、今こそ積極的に勇猛な攻撃を加える必要がある。
上海から見ていると、海軍中央は日中戦争解決の熱意を失いつつあるように嶋田には見える。
「日支事変ヲ逮ニ処理センニハ極力積極作戦ヲ以テ敵ニ徹底的打撃ヲ与へ之ガ屈服ヲ計ルヲ要ス 敵ノ困窮ハ日一日卜加重シ悲鳴ノ声高マリ来レリ 之ガ為重慶攻略戦ハ最モ有効ナルモ陸軍ニテ至難トシアルニ依り封鎖、奇襲ノ作戦ヲ極力行ウト共ニ、重慶其ノ他四川、雲南等ノ奥地ニ対シ航空兵カヲ以テ痛烈ナル大打撃ヲ与フルヲ要ス」(「嶋田日記」4月8日付)。
この見通しと要望を容れて海軍中央部は、新編制の第11航空艦隊(司令官片桐英吉中将、参謀長大西瀧治郎少将)を支那方面艦隊指揮下に移し、海軍が保有する陸上攻撃機(新鋭の一式及び九六式陸攻)のほぼ全機にあたる180機を漢口などに進出させる。
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4月8日
・企画院事件。
和田博雄企画院調査官、経済新体制企画院案に関し治安維持法違反の容疑で検挙。引き続き関係者検挙。
昭和14年暮、芝寛がその「思想的前歴」から日本共産党との関係を疑われて検挙。15年秋、正木千冬・小沢清元、16年1月に稲葉秀三、同4月に和田博雄・佐多忠隆・勝間田清一、和田耕作が検挙。和田は「尾崎秀実とはどういう関係か」を執拗に尋ねられる。
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4月8日
・初の肉なし日実施。
毎月3回、肉屋・食堂などで肉を不売とする。
14日、東京府、「肉なし日」の実施を決定。
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「★永井荷風インデックス」をご参照下さい。

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