2011年4月26日火曜日

永井荷風年譜(7) 明治33年(1900)満21歳~明治34年(1901)満22歳 小説修業の傍ら歌舞伎座立作者福地桜癡に入門  暁星学校夜学でフランス語を学び始める

永井荷風年譜(7) 

明治33年(1900)満21歳
1月1日
「烟鬼」が懸賞小説番外当選作として「新小説」に掲載。
他に同日、「うら庭」が文藝新聞に、同月28日、「濁りそめ」がよしあし草に掲載される。
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2月
父久一郎、日本郵船会社横浜支店長になる。
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春(3月か4月)
麹町区にて徴兵検査を受け不合格となる。
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井上唖々と共に三宅青軒を訪い、「文藝倶楽部」に作品発表の機会を与えられる。
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4月25日
「闇の夜」が懸賞小説二等当選作として「新小説」に掲載。
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6月
以前に、三宅青軒の紹介により歌舞伎座立作者福地桜癡の門に入ろうとしたが果せず、この月、破笠榎本虎彦の手引でこれを果たし、盆興行の稽古から出勤。
早川(竹柴)七造の預弟子として、拍子木を入れることから学び、厳格な指導を受ける
10月興行から番付に名前が掲げられる。
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6月10日、「をさめ髪」(「文藝倶楽部」)
6月15日、「おぼろ夜」(「よしあし草」)掲載。
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8月9
祖父匡威、没。71歳。
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8月10日、「青簾」(「文藝倶楽部」)掲載。
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9月10日、「花ちる夜」(「関西文学」)
9月20日、「船中の盗人」(「中学世界」)掲載
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9月下旬
木曜会の主宰者巌谷小波がドイツへ出発。
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12月1日、「隣の座敷」(「活文壇」)
12月10日、「拍子木物語」(「文藝倶楽部」)掲載
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明治34年(1901)満22歳
2月1日、「歌舞伎座の春狂言」「新年の雑誌界」(「今文」)
2月27日、「山谷菅垣(さんやすががき)」(「小天地」) 掲載
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3月1日、「小夜千鳥」(「文藝倶楽部」)、「桜の水」(「活文壇」)掲載
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4月
福地桜癡が「日出國(やまと)新聞社」(松下軍治社長)に主筆として迎えられ、榎本破笠も入社。
荷風も同社記者となり、雑報欄助手をつとめ、月給12円を支給される。
雑報欄記者には岡本綺堂などがいた。
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4月1日
「琴古流の尺八」(「文藝倶楽部」)、「楽屋の十二時(とき)」(「新小説」)掲載
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4月19日~5月24日(33回)
「新梅ごよみ」(「日出國新聞」)掲載
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6月1日、「芝居の囃子」(「新小説」)掲載
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7月下旬
木曜会の赤木巴山人の帰郷を大船駅で見送り、黒田湖山と共に逗子の永井家別荘で過ごす。
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8月1日、「いちごの実」(「文藝倶楽部」)掲載
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9月
桜癡のやり方をめぐって新聞社内に内紛が起きる。
桜癡系の荷風は人員整理の名目で突如解雇される。
歌舞伎座に戻ろうとするが果たせず、同月から麹町区飯田町3丁目の暁星学校の夜学に入りフランス語を学び始める。
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年末
逗子の別荘でゾラの「ラテール」「ラブエピソード」などを英訳で読み感銘を受ける。
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「★永井荷風インデックス」をご参照下さい。
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