永井荷風「断腸亭日乗」の昭和16年を順次ご紹介してます。
今月は4月前半。
荷風の季節の感じ方や当時の生活感がよくわかります。
特に、喰い物の怨みは強い。
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適宜改行を施しています。
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昭和16年(1941)4月4日
四月初四。晴。近郊の櫻花一時に満開となる。鶯頻に鳴く。
・・・新橋橋上のビラにもう一押だ我慢しろ南進だ南進だとあり。車夫の喧嘩の如し。日本語の下賤今は矯正するに道なし。
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4月7日
四月初七。晴。午後オペラ館踊子と共に隅田堤の花を看る。哺下烈風俄に吹起り寒氣冬の如し。
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4月8日
四月初八。晴れしが風さむきこと昨日の如し。庭の落葉を掃く。一昨日谷町の古本屋にてパーレーの萬國史を得たり。枕上に耽讀して暁明に至る。雨聾をきく。
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4月9日
四月九日。春雨瀟々たり。
終日パーレーの萬國史をよむ。此書余が少年の頃英語の教科書に用ゐられしことあり。
今日たまたまこれを読むに米國人の米國を愛する誠實なる感情藹然として人を動かすものあり。
愛国心を吐露せし著述中の最も良きものと謂ふ可し。
日本にはかくの如き出版物殆無し。
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4月10日
四月十日。陰晴定りなく雨屡來る。午後晝飯を銀座に食して直にかへる。街上電車共に醜悪なる老婆田舎漢にて雑沓せり。
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4月11日
・四月十一日。晴れて日の光忽夏めきたり。黄昏食料品を購はむとて銀座に行く。
葛きな粉其他の乾物類大抵品切なり。葛湯は腹の痛む時粥よりも余の口に適するなり。
大正三年の夏膓胃を害してより今日に至るまで折折葛湯に飢をしのぐことありしがこれも新政のために出來ぬ事になりぬ。
わが國傳來の飲食物にして今は再び口にすること能はざるものを擧げ來らば數るに遑なし。
十五夜の月あきらかなり。
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4月13日
四月十三日 日曜日 花ぐもりの空なり。哺下雨ふり來り夜に入るも晴れず。物買ひにと銀座に行く。
尾張町竹葉亭は米不足にて鰻に饂飩を添へて出す由。天金は早仕舞にすると云ふ。・・・
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4月14日
四月十四日。陰。朝の中佛蘭西近代詩選をよむ。午後睡眠薄暮に覚む。出でゝ銀座に飰す。
來月より毎週一度ヅゝ牛肉屋休みとなる由。洋食屋も同じく休業すべしと云。
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4月10日の「醜悪なる老婆」は、何があったのかよく分からないけれど、少し酷すぎないかと思われる。
川本三郎「荷風と東京」でも指摘されていますが、実際のところ、荷風は老人でも男性には親しみを感じていたようです。
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「★永井荷風インデックス」をご参照下さい。
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