2011年4月16日土曜日

昭和16年(1941)4月26日 「世情混沌五里霧中に在るが如し。」(永井荷風「断腸亭日乗」) 

永井荷風「断腸亭日乗」の昭和16年4月後半分です。
適宜改行を施しています。
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昭和16年(1941)4月16日
四月十六日。陰。南鏓庵來書。
正午銀座洋服屋来る。洋服羅紗地この後はいよいよ悪くなる由。羊毛ますます少く絹糸多くなる故洋服着るよりは和服の方冬は暖になるべく、將來は洋服屋行立ちがたくなるぺしと語れり。
この日活版摺の手紙にて上野清水堂のほとりに秋色さくらの發句をはりたる石を建る由。自ら披露し來れるものあり。發起人の名前は公爵某大將某博士某某などなり。先年蜀山人の狂歌をも上野に建てし由。
賣名者の為すところ滑稽至極といふべし。
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4月17日
四月十七日。晴。木の芽日に日に舒び庭の眺全く夏めきたり。胡蝶花(しやが)さきはじむ。午後浅草に至り公園の米作に飰す。木の芽あへ味佳し。この店新政により晝飯は貮圓五拾錢かぎり其以上は出来ぬと云ふ。
歸途地下鐡にて新橋を過るにこの邊依然として酔漢多し
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4月19日
四月十九日。くもりて風冷なり。哺下土州橋病院に至る。
・・・歸途電車にて歌舞伎座前を過るに恰も開場間際と見え観客入口の階段に押合ひ雑沓するさま物凄きばかりなり。劇場の混雑は数寄屋橋日本劇場のみにてはあらずと見ゆ。近年歌舞伎座の大入つゞき斯くの如き有様にては役人が嫉視の眼もおのづから鋭くなるわけなり。
近き中に必制裁の令下るなるべし
観客の風袋容貌の醜陋なること淺草六区と大差なきが如し。
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4月20日
四月二十日。晴。冬の洋服にては暑をおぼゆるほどなり。薄暮淺草に行きオペラ館踊子と共に森永に夕餉を食す。この日日曜日の人出淺草は銀座よりも少し
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4月23日
四月念三。半は晴れ半はくもる。常磐木の落葉をはきて焚く。新千載和歌集をよむ。晩間出でゝ銀座に飰す。
去月來食料品店のみならず菓子屋果物屋の店頭に鑵詰壜詰物おびたゞしく並べられたり。今まで見しことなき鑵詰もあり。
大西洋航路閉止となり輸出すること能はざるが為なりと云。
葡萄酒も戦前佛蘭西輸出の品にて上海神戸邊に滞荷せしもの日本製ガラス壜に詰替へたるものには値段の割に品好きものありと三浦屋店員のはなしなり。試に一本購歸りて味ひ見るに果して其言ふが如し。
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4月24日
四月念四。谷町通の靴屋にて靴の直しをたのみしに皮も配給になり來月半頃まで皮なしと言へり。黄昏淺草に行きオペラ館踊子等と森永に夕餉を食す。この日晴れたる空夕方より曇る。
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4月25日
・四月念五。あつからず寒からずよく晴れて風もなし。山吹ちりて躑躅の花さき初めぬ。
夜煮豆を買はむとて淺草仲店の三樂に行く。幕間に散歩する踊子に逢ひ森永に入りて茶を喫す。・・・
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4月26日
四月念六。晴れて風あり。夜芝口の金兵衛に夕飯を喫す。
ある人の談をきくに官吏にて赤化の疑あるもの数十名捕へられたり。其中に高等官多しとなり
政府はこの程魯國と和親條約を結びし時突然この疑獄起る。
世情混沌五里霧中に在るが如し
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4月8日に企画院事件あり。このことを指していると思われる。
昭和14年暮、芝寛がその「思想的前歴」から日本共産党との関係を疑われて検挙。
15年秋、正木千冬・小沢清元、
16年1月に稲葉秀三、
同4月に和田博雄(企画院調査官)・佐多忠隆・勝間田清一・和田耕作が検挙。
4月8日のこの日、和田博雄(企画院調査官)が経済新体制企画院案に関し治安維持法違反の容疑で検挙され、引き続き関係者が検挙される。
和田は「尾崎秀実とはどういう関係か」を執拗に尋ねられる。
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4月13日には「日ソ中立条約」調印。
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4月29日
四月廿九日。朝の中より雨しとしとと降りて靜なり。西澤一鳳の傳奇作書をよむ。燈刻銀座鳩居堂に至り白扇を購むとするに品切なり。美濃屋にて問へば僅に四五本殘れりと云ふ。偶然歌川氏に逢ひフロリダ茶店に憩ふ。
田舎の婆小娘三四十人ばかり隊をなし濡鼠となり入り來るを見る。
この人々コーヒーを飲み西洋菓子を貪り喰ふなり。現代の世態人情は最早論外なり。目を掩ひて見ざるに若かず。
(以下、「噂のきゝ書」と題し、「出征軍人の妻また戦死軍人の未亡人に関する醜聞」について書かれている。)
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「木の芽あへ」(17日)、「煮豆」(25日)に荷風の食の好みが出ている。質素だ。
「鑵詰壜詰物おびたゞしく」(23日)の理由や、試しにワインを買って飲んだが店員の言う通り良かったという件が面白い。
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「★永井荷風インデックス」 をご参照下さい。
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