東京 北の丸公園 2012-11-29
*昭和17年(1942)
11月16日
十一月十六日。午後土州橋の病院に至る。注射例の如し。空曇りたれど風なければ淺草に行く。東橋際の乾物問屋にて葛を買ふ。百匁壱圓八拾銭なりといふ。物価の騰貴測り知るべからず。仲店を過るに人さして雑沓せず酉の市の熊手持つ人も多からず。オペラ館楽屋に入るに曾て此座の作者なりし小川丈夫來合せゐたれは踊子の大部屋に入りて語る。其家に子供なくてさむしければ女の子貰ひたりと言へり。舞台裏にてレヴューの踊見てゐたりしにギャングの親分岡田といふ男來り書幅を是非揮毫せられたしと言ふ。そこそこに楽屋を出で地下鐡にて新橋に至り金兵衛に夕餉を喫す。
人々の語るをきくに來十二月より瓦斯風呂焚くこと禁止せらるゝ由。
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11月17日
・十一月十七日。風雨。永井智子來書。
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11月18日
十一月十八日。快晴。いよいよ冬らしき日和になりぬ。暮方金兵衛に行く時冬の古外套を着る。
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11月19日
十一月十九日。晴。晝の中は風猶暖なり。
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11月20日
十一月二十日。晴。夜金兵衛にて杉野氏に逢ふ。
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11月21日
十一月二十一日。晴れて風暖なり。夜淺草漫歩。明月皎然。
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11月22日
十一月廿二日 日曜日 快晴。今日も暖なり。政變以来作品を公表せず所謂文壇より全く隠退したれば出版商新聞記者文学志望者等雑賓の門を叩くもの跡を絶ちたり。是最もよろふ(ママ)ぺし。今日も午後半日心しづかに落葉を焚きぬ。日の全く暮れやらぬ中明月窓を照しぬ。
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11月23日
十一月廿三日。くもりし空午後に至り次第に晴る。大工岩瀬來る。下谷の怙寂子來りて菓子を贈らる。夜金兵衛に至るに偶然五叟子其児二人及門弟を伴ひ來るに會ふ。電車を同くしてかへる。月よし。
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11月24日
・十一月廿四日 十一月になりて今年の如く毎日好く晴れて暖き日の打続くことは未だ曾て知らざる所なり。乱世のさまをも打忘れ人間生命のうれしさ唯わけもなく味ひ知らるゝ天気と謂ふ可し。午後土州橋に至る。夕餉の時間には猶間あれば淺草に徃き観音堂に詣づ。御籤を引くに第九十五吉。志気勤修業。禄位未造逢。若聞金雞語。乗船得便風とあり。辯(ママ)天山下の路地を過るに竿敏と障子にかきたる釣竿屋の店先に白鬚禿頭の一老翁、餘念なく釣竿をみがきゐたり。其風貌今の世には見る可らざる程俗を脱したり。歩を停めて眺むること暫くなり。東武電車にて鐘ヶ淵に至る。停車場外のきたなき町に筆屋あり。近鄰の様子に似ず筆硯あまた店先に出したり。線路際に昭和道玉の井近道といふ榜示杭立ちたり。來路を取りて淺草にかへれば日全く暮る。新橋に飰し月を踏んで家に至る。
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11月25日
十一月廿五日。晴。北風吹きて庭の楓葉悉く落盡しぬ。夜の空くもりて風漸く塞し。
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11月26日
十一月廿六日。晴。金兵衛にて清潭蓑助その他の人々に逢ふ。
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11月27日
十一月廿七日。晴。下痢。食慾減退。
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11月28日
十一月廿八日。快晴。絶食。終日困臥。
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11月29日
十一月廿九日 日曜日 快晴。蓐中に在り。夜纔に葛湯を啜る。
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11月30日
十一月三十日。快晴。正午土州橋に至り薬を求めて歸る。歌舞伎座前電車乗換場にて偶然中村芝鶴に逢ふ。熱海大洋ホテル主人木戸氏電話にて遂に徴集せられ我孫子高射砲兵営に迭らるゝ由通知あり。この日朝牛乳一合其他何物をも口にせず。日の暮れかゝる頃島中氏來訪。別に用事にてはなけれど久しく尋ねざればとなり。
〔欄外朱書〕南鍋町サロンハル閉店
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