2015年3月7日土曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(122) 「第18章 吹き飛んだ楽観論-焦土作戦への変貌-」(その6終) : 「こうして最終的に、イラク戦争によってひとつのモデル経済が誕生した。それは・・・戦争と再建の民営化モデルにほかならなかった。・・・イラク戦争以前、シカゴ学派の改革運動にとっての新天地はロシア、アルゼンチン、韓国などと地理的に制約されていた。ところが今や、次に大惨事が起きる場所であれば文字どおりどこでも新天地となりうるのだ。」

北の丸公園 2015-03-05
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ミッション・クリープ(なし崩し的な拡大、変質)
(戦争の民営化は、)すべてはイラクの現場でひそかに進行した - 軍事用語で言ういわゆる「ミッション・クリープ」〔本来の任務や活動がなし崩し的に拡大・変質すること〕である。
戦いが長引けば長引くほど戦争の民営化はさらに進み、やがてそれが戦争の新たな形態となった。

一九九一年の湾岸戦争の時点では、民間人の割合は兵士一〇〇人に対して一人にすぎなかった。それが二〇〇三年のイラク侵攻時点で、兵士一〇人に対して一人へと激増する。さらにイラク占領三年目の時点では兵士三人に対して一人となり、その後一年足らず、占領四年目に突入する頃には兵士一・四人に対して一人の割合となった。しかもこれはアメリカ政府に直接雇われた契約者の数であり、他の連合国やイラク政府との契約者は含まれていない。また、クウェートやヨルダンの契約企業が下請に出して集めた民間兵もここには含まれない。

一方、イラクに駐留する英兵の数はイギリスの民間セキュリティー会社が派遣した人員にとうに追い越され、その割合は兵士一人につき民間契約者三人となっている。二〇〇七年二月にトニー・ブレア首相が一六〇〇人の兵力を撤退させると発表すると、メディアは即座に「政府関係者は空いた穴を「傭兵」が埋めてくれると期待」しており、その際の民間セキュリティー会社への支払いは直接イギリス政府が行なうことになると報じた。同時期、AP通信はイラクに滞在する民間契約者の数を一二万人と報じたが、これは米軍兵士の数とほぼ同数だった。

こうした戦争の民営化の規模は、すでに国際連合の活動を大きく上回る。二〇〇六~〇七年度における国連の平和維持活動予算は五二億五〇〇〇万ドルだが、これはハリバートンがイラクで受注した契約総額二〇〇億ドルの四分の一強にすぎない。最新の調査によれば、傭兵産業だけでも四〇億ドル規模に達すると推定されている。

イラク戦争は、ニューエコノミーの暴力的な誕生を意味していた
イラク国民とアメリカ人納税者にとって、イラク復興支援策は明らかに失敗だったが、惨事便乗型資本主義複合体にとってはその正反対だった。9・11の攻撃が可能にしたイラク戦争は、まさにニューエコノミーの暴力的な誕生を意味していた。ラムズフェルドの「改革」計画の才覚はここにある。

破壊と再建の両方におけるありとあらゆる任務が外部に委託され、民営化された結果、攻撃を開始しても、停止しても、そしてまた爆撃を再開しても、あらゆる局面で経済は活況化することになるのだ。壊しては新たに造る - 破壊と再建が作り出す収益の回路がここにある。ハリバートンやカーライル・グループといった先を読むことに長けた企業には、同じ会社のなかに破壊事業と復興事業の二つの部門が併設されている。

*この路線をもっとも徹底させたのがロッキード・マーティンだった。
『フィナンシャル・タイムズ』紙によれば、二〇〇七年初頭、同社は「年間一兆ドル規模の医療市場で企業を買収」し始め、同時に技術工学大手のパシフィック・アーキテクツ・アンド・エンジニアーズも買収。こうした買収の波は惨事便乗型資本主義複合体における、おぞましい垂直統合という新時代の到来を意味していた。将来どこかで紛争が起きれば、ロッキード社は兵器や戦闘機の製造から利益を得るだけでなく、それによって破壊されたものを再建し、さらには自分たちの造った武器で傷ついた人々を治療することからも利益を上げられることになったのである。

戦争と再建の民営化モデル
二〇〇六年七月、ボーウェン特別監査官は契約業務の失敗から得られる「教訓」をまとめた報告書を発表した。報告書は問題の原因が不十分な計画にあると結論したうえで、「有事作戦において迅速な救出と復興作業に携わるよう訓練された、民間契約による配備可能な予備隊」を創設し、「さまざまな復興の領域の専門知識を持つ多様な要員を前もって確保しておく」ことが必要だと結論している。言い換えれば、民間契約による軍隊を常設化すべしということだ。
ブッシュ大統領は二〇〇七年初頭の一般教書演説でこの考えを支持し、民間人による予備隊を新設すると発表。「この部隊はアメリカ軍の予備軍と似た機能を果たすことになる。重要な技能を持つ民間人を雇用し、必要なときに海外任務を任せることで軍の負担を減らすことができる。これは軍服を着ていないアメリカ全土の民間人に、現代の決定的な戦いで任務を果たす機会を与えるものだ」とプッシュは述べた。

イラク占領から一年半後、国務省は新たに復興・安定化調整官室を設置した。将来なんらかの理由によりアメリカ主導による攻撃を受ける可能性のある世界二五カ国(べ責エラからイランまで)について、その詳細な国家復興計画の作成を民間事業者に発注するというのだ。惨事が起きたら即行動に移せるように、複数の企業やコンサルタント会社が「事前契約」を得ようと列をなした。ブッシュ政権にとってこれは自然ななりゆきだった。まずアメリカは無制限な先制攻撃を行なう権利があると主張し、次には「先制復興」 - すなわちまだ破壊されていない場所を復興する、という新分野を開拓したのである。

こうして最終的に、イラク戦争によってひとつのモデル経済が誕生した。それはネオコンが宣伝してきた「チグリスの虎」などではなく、戦争と再建の民営化モデルにほかならなかった。そしてたちまちのうちに、このモデルを海外に輸出する準備も整った。
イラク戦争以前、シカゴ学派の改革運動にとっての新天地はロシア、アルゼンチン、韓国などと地理的に制約されていた。ところが今や、次に大惨事が起きる場所であれば文字どおりどこでも新天地となりうるのだ。
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