2015年3月17日火曜日

昭和18年(1943)9月4日~9月10日 イタリア、連合国との休戦協定公表。 「丸ビルの新聞屋は長い長い行列を作って、その新聞を買うために一生懸命だった。よほどのショックを与えたようだ。バドリオ政権は戦争の点ではムソリーニと同じだと宣伝した後だったからだ。こうした見えすいた嘘宣伝の連続で、しかもその間違いが続くのだが、相変らず、それを繰返して行なっている。」(清沢『暗黒日記』) 「上野動物園の猛獣はこの程毒殺せられたり。帝都修羅の巷となるべきことを予期せしが為なりと云。夕刊紙に伊太利亜政府無条件にて英米軍に降伏せし事を載す。秘密にしてはをられぬ為なるべし。 」(永井荷風『断腸亭日乗』)   

シナミザクラ 2015-03-17 江戸城(皇居)東御苑
*
昭和18年(1943)
9月4日
・ニューギニア、オーストラリア第9師団(G・ウッテン少将)、ラエ東20km上陸。蛙跳び作戦開始。
5日、オーストラリア第7師団(G・ベイジー少将)、ラエ西北西30kmに降下。

安達第18軍司令官は、①ラエ守備隊にできる限りの防戦、②第51師団に転進、③片桐茂中将の第20師団主力(林田金城大佐の第79連隊基幹)のフィンシハーフェソ増援を下命。
また、第51師団の転進支援の為、中井増太郎少将指揮第20師団第78連隊をマーカム川のポガジソ渓谷附近に出動させナザプの敵軍を牽制。
*
9月4日
・横須賀軍港境域令公布
*
9月4日
・「坂本直通君に逢う。同君は満鉄パリ出張所長たりし人見識ある人である。
一、重臣会議において東条首相は「ドイツ、イタリーが不勢になるという如きは全く意外にて、見透しを謬った」とだけいったそうだ。重臣も唖然たり。
二、重光が広田〔弘毅〕のところに行った。そして対ソ関係打開等につき一臂(いっぴ)の力を乞うた。
自分は駄目だが東郷〔茂徳〕を起用せよといった。東条に相談すると承知しない。以前の問題(外相の辞職)からセンチメンタルに排撃しているのである。
三、広田は偉い。しかし今となっては案がないと。
四、広田はロシアと日本軍との間に非武装地帯を造って撤兵し、それを支那方面に持って行くべきだと考えているが、政府はさような事は全然考えず、今まで通りに兵力を維持している。
五、山本英輔大将の観測では英国は、大挙まずビルマ方面を突き、支那に進出して、その方面からタイ方面に出で、日本軍を中断する作戦らしいと。
六、松岡〔洋右〕も非常に悲観しているそうである。」(清沢『暗黒日記』)
*
9月5日
・インドネシア、中央参議院設置。スカルノ議長
*
9月5日
・「国際関係が一番大切な時に、新聞雑誌には国際関係の記事がほとんどない。精神的説教がまだ幅をきかしている。
谷萩陸軍報道部長が、宇都宮で講演し、例によって新聞は大々的に報じている。陸海軍の少中佐の演説が、外国においては首相程度の取扱いを受けているのは近頃の特徴だ。誰が新聞雑誌を動かしているかも知れよう。
注意すべきことは「米国にしてもし東亜侵略の非望を放棄するにおいては彼我の間に何ら死闘すべき理由がないこと」云々の箇所だ。これはバロン・デセーか。米国でさような論議がなかろうことは、やや明らかだと思う。他の「米国内の情勢は長期戦を許さぬ」云々は外国に知れたら笑われるであろう。米国はこれからだと考えていよう。」(清沢『暗黒日記』)
*
9月6日
・重慶で、中国国民党第5期11中全会が開催(~13日)。
蒋介石の権力強化。戦後社会救済政策や戦後工業建設綱領などを承認する
*
9月6日
・日本産業経済、他紙に率先してルビを全廃
*
9月6日
・ドイツ戦艦部隊、スピッツベルゲンを攻撃
*
9月7日
・V号兵器発射基地爆撃される
*
9月7日
・ドイツ軍ウクライナ撤退開始
*
9月8日
・「今朝の『読売』に池崎忠孝の「ドイツは不敗なり」との長論文あり。(一)軍力、(二)軍需品生産力、(三)食糧自給力、(四)戦争の犠牲と恐怖にたえうる国民の精神力との四つに分け、いずれもドイツの方が優れていると論断。」(清沢『暗黒日記』)
*
9月8日
・イタリア、午後7時半、パドリオ首相、連合国との休戦成立を正式発表。国民大歓迎
*
9月8日
・イタリアが占領するコルシカ島、ジロー将軍に協力した共産党系国民戦線が蜂起・解放
*
9月8日
・ドイツ『アクシス(枢軸)」作戦(イタリア占領作戦)。イタリアのバルカン占領地にドイツ軍進攻。
*
9月8日
・ユーゴのパルチザン、イタリア軍部隊を追いつめ武装解除
*
9月8日
・連合軍『ジャイアント(巨人)』作戦(中止されたローマ近郊への空挺部隊降下作戦)
*
9月9日
・新民会、「華北民衆団体反共大同盟」結成
*
9月9日
・昭和塾関連、高木健一郎(日鉄)、板井庄作(電気廠)、山田浩(古河電工)、森数男(大東亜省)、勝部元(日鉄)、白石芳夫(糖業連合会)、小川修(古河電工)、検挙
*
9月9日
・連絡会議、イタリアを敵国扱いとする事に決定(無条件降伏後、武器を全て没収されたため)。政府、イタリアの無条件降伏に関し声明。14日迄に東亜各地の伊艦船の抑留(計4万6千トン)を実施。
*
9月9日
・「この日(イタリー無条件に降伏す)
維新前後の国論、日清戦争の陸奥の説いた日本国民の常識、日露戦争の小村講和に対する批難。そして今回の低級なる論調の横行。日本人はついにこの程度の国民であろうか。
お昼に日本倶楽部で田中都吉氏〔貴族院議員、情報局参与〕から、イタリアが無条件降伏した旨を聞く。夕刊でその事が発表された。
丸ビルの新聞屋は長い長い行列を作って、その新聞を買うために一生懸命だった。よほどのショックを与えたようだ。バドリオ政権は戦争の点ではムソリーニと同じだと宣伝した後だったからだ。こうした見えすいた嘘宣伝の連続で、しかもその間違いが続くのだが、相変らず、それを繰返して行なっている。困ったものだ。」(清沢『暗黒日記』)
*
9月9日
・「昭和十八年九月九日。晴。残暑殊に甚し。午後佐藤観氏来話{中央公論社員陸軍主計中尉比島帰還}マニラには食料品多し。守備隊凡十万人位なりと云。黄昏金兵衛に行かむとする途次長垂坂上にて杵屋六左衛門洋装自転車に乗り来れるに逢ふ。立談五六分にて別る。金兵衛にて凌霜子よりその家人の焼きたる西洋菓子を貰ふ。清潭子と懇話す。帰途月色奇明。虫声雨の如し。

 上野動物園の猛獣はこの程毒殺せられたり。帝都修羅の巷となるべきことを予期せしが為なりと云。夕刊紙に伊太利亜政府無条件にて英米軍に降伏せし事を載す。秘密にしてはをられぬ為なるべし。
▼〔欄外朱書〕英米軍伊国ヲ征伏ス」(永井荷風『断腸亭日乗』)
*
9月9日
・連合軍『スラプスティック(喜劇)』作戦(米空挺師団ターラント占領作戦)
*
9月9日
・イタリア国民解放委員会成立。バドリオ政府、ブリンディジに移転(~10日)。
*
9月9日
・連合軍『アバランシュ(雪崩)』作戦(連合軍サレルノ上陸作戦)。サレルノ上陸。
*
9月9日
・ソ連黒海艦隊、タマン半島のドイツ軍「青」線を迂回
*
9月9日
・イラン、対ドイツ宣戦布告
*
9月10日
・イタリア降伏のため天津のイタリア租界に進駐
*
9月10日
・蒋介石(56)が国民政府首席に就任
*
9月10日
・鳥取大地震、死者1,083
*
9月10日
・ドイツ軍、ローマなどイタリア中北部都市占領。バドリオ政権と国王は南イタリア・ブリンディシに移転
*
9月10日
・ドイツ軍、サルジニアの守備隊をコルシカ経由でイタリア本土に撤退
*
9月10日
・佐藤尚武駐ソ大使、モロトフ・ソ連外相に、重要人物をモスクワ・西欧に派遣したい旨申入れ。
*
9月10日
・イギリス軍ターラント占領、ドデカニソス上陸
*
*

0 件のコメント: