2015年3月12日木曜日

康和3年(1101) シチリア伯ロゲリウス(ロジェ)1世(70)歿 康和の乱(源義家の嫡男義親が太宰大弐大江匡房に告発される) ヘンリ1世と長兄ロベールの闘争 十字軍増援隊壊滅 

カワヅザクラ満開 2015-03-12 北の丸公園
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康和3年(1101)
この年
・ヘンリ1世(33)、長男ウイリアム誕生(1101~1120)。
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・ムラービト朝、バレンシア包囲。エル・シッド寡婦ヒメーナ・ディーアス、包囲に抵抗。 
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・アラゴン王・ナバーラ王ペドロ1世(位1094~1104)、ボレーアを再攻略。アラゴンが1083年に攻略、その後イスラム教徒に奪われ、1101年やっと再攻略。
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・バイエルン大公ヴェルフェン家ヴェルフ4世(71)、十字軍の途上、キプロス島で没(バイエルン大公在位1070~1101)。ヴェルフ5世(47)世襲大公として承継(バイエルン大公在位1101~1020)。
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・皇帝ハインリヒ4世息子コンラート(27)、没(1074~1101、共同国王在位1087~1098)。1093年、父ハインリヒ4世に謀反、教皇ウルバヌス2世が対立国王に擁立。
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・ブルーノ(ブリュノ、69)、没(ケルンのブルノー、1032~1101)。1084年6月24日(52)、カルトゥジオ(シャルトルーズ)修道会創立。
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・この年の以前、無名の十字軍参加の騎士、「フランク人言行録」。遠征途上の苦難、アンティオキア周辺戦い、エルサレム殺戮。
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・スウェーデン、コーヌンガッヘラの盟約。
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・ヴェネツィア艦隊、十字軍より帰港。
シリア、パレスティナ地方の各都市に、相手国の法によって認められた、ヴェネツィア商業基地開設の許可でをもたらす。ジェノヴァ、ピサとこの地方で並ぶ。
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1月
・文章生散位源淳国を若狭掾に任じる。
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1月29日
・前関白藤原師実(60)、出家。2月13日、没。
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2月2日
・地震あり、7日にも地震あり。
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2月9日
・正四位下蔵人頭左中弁源重資に越前権守を兼任させる。
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3月29日
・越前守藤原家保、鳥羽新御堂造進の功により従四位上に叙任。
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・これまで以上のフランク軍がコンスタンティノープルに集結したとの報に、クルジュ・アルスランとダニシメンドは軍の統合を決め、新たな待ち伏せ計画を作る。
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5月
・サンジル率いるフランク軍10万近く、ボスポラス海峡渡海。
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6月22日
・シチリア伯ロゲリウス(ロジェ)1世(70)、カラーブリアのミレト(ミレート、ロジェ1世首都)で没(1031~1101、位1072~1101、シチリア大伯・カラーブリア伯)。
息子シモン(8)、相続(位1101~1105)。
摂政・母アデラシア(位1101~1112)、ノルマン封建諸侯に対抗するためギリシア人役人を重用。
後見人:親戚サヴォナ(リグリア)伯マンルフェディ。ノルマンディ・オートヴィル村のタンクレードの息子達の世代終る。

ロゲリウス(ロジェ)1世は、戦いと恐怖で領地を支配した兄ロベール・ギスカールと違い、交渉と寛容をもって領地を支配。シチリア、カラブリアでは慣習が尊重され、イスラム教徒ら異教徒に改宗強要はなし(イスラム教徒は経済的・文化的に優秀)。シチリアではイスラム教徒が登用され統治参加し、多くのイスラム教徒も戻る。この国造りは後に成立するシチリア王国の基盤となり、寛容と和平の精神はやがて神聖ローマ皇帝となる曾孫のフリードリヒ2世にも受け継がれる。
ロゲリウスの息子は、長男シモーネ(8)・次男ルッジェーロ(5歳)。
4年後長男シモーネ夭折。ロゲリウスの3番目の妻アデライデは摂政として、次男ルッジェーロを初代シチリア王ルッジェーロ2世として育て上げる。
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・サンジル率いるフランク軍、アンカラ城壁下に到着。攻撃、攻略。
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7月7日
・康和の乱。
源義家次男義親、鎮西で乱暴を行い、太宰大弐大江匡房に告発される。
朝廷、追討宣旨を下し、義家に義親召還の命を下す。

兄義宗の早世により義家嫡男となる。
「六位国之功」を成して対馬守に補され、在任中のこの月、九州での乱行を大宰大弐大江匡房に告発され、朝廷で追討が議される。
翌4年2月、追討使と共に九州に赴いた義家の郎従藤原資通(義親に味方する)と共に追討を殺害、同年12月に隠岐へ配流。
父義家没の翌年嘉承2(1107)年、出雲に渡り、国守藤原家保の目代らを殺害し官物を奪取。近隣諸国に同調する者が現れ、朝廷は因幡守平正盛を追討使に任命、因幡・出雲など5ヶ国の兵士を率い追討に当たらせる。
正盛は同年12月19日出京、翌年正月6日出雲到着。19日義親謀殺の報。正盛は帰洛を待たずに但馬守に選任、武士の第一人者となる。
一方、義親の首は29日に入洛、獄門に晒されるが、実否について疑惑が抱かれ、後再三、義親を称する者が出現。
大治4(1129)年7月、義親追討を命じた白河法皇没後、翌年にかけて義親を名乗る者が相次いで京に現れ、相互に闘乱。これらは偽者と断定され、同5年11月、前関白藤原忠実の鴨院に匿われていた者が襲殺されたのを最後として義親生存説は終止符を打つ。

義家、義親を廃嫡、4男義忠を嫡男にし、為義をその養子にする(為義、罪人の子として冷遇)。
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7月20日
・ヘンリ1世長兄(ウイリアム1世長男)ノルマンディ公ロベール、イングランドに来襲。
十字軍遠征帰還後、ヘンリ1世(ウイリアム1世3男)の即位に異議(ロベールの十字軍遠征中、ヘンリ1世がウィリアム2世を殺害して即位)。
アルトンの講和を締結。
以後、1106年まで兄弟での交戦。

ヘンリ1世兄ノルマンディ公ロベール、十字軍から帰国後、国内一部貴族(主に東部に領地を持つモントゴメリー家当主シュルーズベリ伯ロベールを中心に)の支持を得て蜂起準備。
ヘンリ1世は、長年敵対してきたフランドル伯と和解して同盟、更に南部の軍を動員してペヴェンシー港~ヘイスティング港一帯を警戒、艦隊にノルマンディー公艦隊迎撃を指示、本営をペヴェンシーに置く。
ノルマンディー公ロベールは艦隊200隻を率い、ペヴェンシー西方のポーツマスに上陸、ウィンチェスター市に向い、市を攻撃するが攻略を断念してロンドンへ向う。
ヘンリ1世は追撃し、両軍はロンドン17マイルのアルトン市で遭遇するが、戦わず講和、ヘンリ1世は軍を解散、ノルマンディ公ロベールは軍大半をノルマンディーへ送り返す。
ヘンリ1世はこの危険を回避すると直ちにノルマンディー公に組みした国内の不平諸候制圧を準備。
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8月上旬
・サンジル軍がポエモン救出に北東のニクサルに向うことを察したクルジュ・アルスランとダニシメンド、メルジフンで待伏せ攻撃。
サンジル軍、壊滅。虐殺。
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8月24日
・[北宋の建中靖国1年7月28日]蘇軾(65、そしょく)、没(誕生:1036)。宋の文人で「赤壁賦」の作者。
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月末
・フランクの第2次遠征隊も壊滅。
1週間後、第3次遠征隊も壊滅。
植民者20万人を含む増援の十字軍、イスラーム軍によって全滅。
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9月23日
・東大寺、若狭守平正盛らの大和国内の所領を押領しようとしたため訴えられ、弁申を命じる宣旨出る。
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10月1日
・天文博士安倍宗明、越前大進源清実に対して天文奏を報告。
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11月19日
・越前守藤原家康(保)らに昇殿を許す。
20日、越前守藤原家保ら、五節参入(「中右記」)。
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12月9日
・右大臣藤原忠実、鳥羽院に参る。越前守藤原家康(保)を使として派遣、遅れる旨を伝える。
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