2015年6月9日火曜日

堀田善衛『ゴヤ』(69)「アルバ公爵夫人登場」(4) : 『サンルーカル画帳』1796年 「これはいわば、幸福なりしサンルーカルの夏の日々、その絵日記である」



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かかるものとしての自分の内部と外部とを同時に描こうとすることの自覚
 「彼の眼に見えるものは、言葉による粉飾と註解を一切剥ぎとられてしまった、乾いたむき出しの物と人間行動だけである。彼と社会の間は、潤滑油となるべき、一切の弁明、註解を欠いている。」

 「・・・自分のおかれた状況を意識し、孤独のなかにあって自分に出来ることは何か、と静観をしてみたとき、画家としての彼が、かかるものとしての自分の内部と外部とを同時に描こうとすることの自覚が来たであろう。」

飽き足りるということのない観察者の、現在と将来に、新しい発見が全世界規模で待伏せをしている
 「この、死にいたるまで飽き足りるということのない観察者の、現在と将来に、新しい発見が全世界規模で待伏せをしている。
しかも、その待伏せていたものの第一は、意外にも、五〇歳を越えての、おそらくは最後の、恋愛であった。
多くの詩人たちと同じく、ゴヤもが、もし顧客である宮廷と、教会と貴族社会の拘束がなかったら、かく振舞いたいものだと思い到ったに違いない自由の、そのほとんど理想化されたもののすべてを実際に彼女がそなえていた。
五〇歳を越えての、男の、おそらくは最後の恋愛、というものの痛切さ、悲痛は、人は五〇歳になってみさえすれば諒解出来る。」

アルバ公爵夫人の慈善(ベネフィセンス)の一つに「聾者のゴヤ」が加わった・・・?
 「・・・一方の、アルバ公爵夫人の方はどうであろうか。
彼女の人となりや資質・・・、その一つに貧しい者や不具者に対する「慈善(ベネフィセンス)」というものがあった。
・・・気まぐれな気前のよさ、というほどのことである。そうして貧者や不具者に対する気前のよさということを考えるについて、彼女の邸のなかをちらとのぞいて見る必要がある。彼女は、次のような人々を、いわば飼っていた。・・・
白痴の、ベニート ・・・
黒人幼女の、マリア・デ・ラ・ルス。
ピッコの神父 ・・・
それに小さな犬。
これはもう一種のコレクションと言っていいものであろう。
そこへ聾者のゴヤ・・・が加わったとまでは、私としても言うに躊躇をするものであるが、当時のマドリードではおそらくそういうふうに言う人々がいたであろう。そういう人がいても不思議ではない。」

恋愛に社会的地位がついてまわるか。それはついてまわる。夫人とゴヤとでは、社会的地位が違うのである。
 「・・・ゴヤは彼女を何と呼びうるか。普通には、これは Senora Duquesa 、公爵夫人であり、少し親しくなってセニョーラがとれる、マリア、あるいはカイェターナと親しく呼びうるためには、サンルーカルの別邸へ行かなければならぬ。
このサンルーカルでのデッサン帳を除いては、二枚の彼女の肖像画は、すべてそっくりかえった一方交通の命令調のものである。
恋愛に社会的地位がついてまわるか。それはついてまわる。
夫人とゴヤとでは、社会的地位が違うのである。
・・・
しかしゴヤとでは、一緒に闘牛を見に行く、あるいはマハ姿の夫人とマホ姿のゴヤとがプラド大通りをこれ見よがしにねり歩く、評判のわるい酒場へ行く、ときにはカザノヴァがたびたび利用したマドリード郊外のしけ込み宿を利用する。そのくらいのものであろう。
たとえそのくらいのものであったとしても、大患にうちひしがれた聾者のゴヤにとっては酔いしびれるほどのことであったであろう。・・・
大患から蘇ったばかりのゴヤに、この幸福が訪れたことを喜ぶと同時に、それが長くはつづかぬものであることを予言しなければならぬことを悲しむ。」

1796年5月末、ゴヤはセピーリァの友人邸にいた
 「一七九六年の五月末、ゴヤはセピーリァの友人セアン・ベルムーデス邸で旅の疲れをいやしている。
・・・カディスのサンタ・クエーバ教会への奉献式が、三月三一日にとり行われたからである。この三枚の絵は、『パンと魚の奇蹟』、『王の子の婚宴に礼服を着ずに現れた男のたとえ話』、『最後の晩餐』である・・・。
前回の旅同様に、ゴヤはアンダルシーアの各地で肖像の仕事もし、かつこの豊かな土地の教会や貴族たちがもっている多くの美術品の勉強をもした・・・。」

1796年6月、アルバ公爵がセビーリァで没するが、アルバ公爵夫人はサンルーカルに下ってゆく。この頃、ゴヤはセビーリァにいた
 「一七九六年六月九日、・・・(セビーリァの邸宅にて)アルバ公爵の突然の死である。享年四〇歳。・・・この公爵については、遺憾ながらあまり言うべきことがない。
・・・
(アルバ公爵夫人は、)夫の死に際して、マドリードで喪に服するについての煩瑣さを避けてアンダルシーアへ下って行ったことだけはたしかである。この夫人に、夫に対しての深い愛情があったとは、これも遺憾ながら思えない。というのは、公爵の遺骸はしばらくの間をおいてマドリードへ送りかえされ、そこで本葬を行うのであるが、この遺骸返送に夫人が付き添った形跡がないからである。
彼女は逆にサンルーカルへと下って行った。ゴヤがきわめて近接した日付にセピーリァにいたことを考えあわせれば、また当時の旅行がいかにも危険(山賊)かつ困難(西欧の標準でのホテルなどというものはなかった)なものがあったことからしても、ゴヤが夫人に同行した可能性は否定出来ない。」

公爵の死の直後から、彼ら二人の生活が始められ。・・・彼は幸福である
 「ゴヤが一七九六年の七月にサンルーカルにいたことは明らかであり、公爵夫人もまたそこにいた。夫人はセピーリァから直行したのである。公爵の死の直後から、彼ら二人の生活が始められ。・・・
.しかし夫人は、故公爵のマドリードにおける、九月四、五両日の本葬のために滞在を中断してー度マドリードへ戻らなければならなかった。
ゴヤは、身体の具合がまだまだ本式ではなかったか、あるいは噂を怖れてか、マドリードへは戻っていない。
・・・
夫人の留守のあいだ、ゴヤはこの光りにみちたアンダルシーアでゆっくり静養をし、かつ先輩たちの作品を丹念に勉強をしている。
彼は幸福である。三年前の、危く死にかけた大患時の絶望を思い起すならば。
いや、そういう思い出などと別に対比しなくても、「髪の一本一本が慾情をそそる」、三四歳、女ざかりの公爵夫人と一緒である。
夫人は、本葬をおえての後、同じ年の秋か冬にサンルーカルヘ戻って来たものであろう。年を越して一七九七年一月二四日には夫人は確実にサンルーカルヘ戻って来ている。夫人は二月一六日にここで遺書を作成している。夫婦間に子供がなかったからである。この遺書で、夫人はゴヤの息子ハピエールに、一日一〇レアール(約二ドル五〇セント)の終身年金を与える旨しるしている。
かくてこの年の三月末にゴヤはマドリードへ戻っている。従って彼は最小限一〇ヵ月、長く見積って一年間マドリードを留守にしている。妻のホセーファはいつでも留守番役である。」

『サンルーカル画帳』1796
幸福なりしサンルーカルの夏の日々、その絵日記
 「一七九六年盛夏、同じ年の冬から翌年の春にかけての二度、スペイン第一の女性と、第一の画家のあいだに何があったか。
聾者のゴヤは、いまはポケットに入る大きさのスケッチ帳をもって歩いている。
はじめそれはスケッチそのもののために携帯したものではなかった。それはむしろベートヴェンの会話帳類似のもの、というよりはむしろ会話の不可能を補うために、とりわけて公爵夫人その他の邸内の人々の笑いを求めるために手早く描かれたもののようである。人は笑いなしでは生きて行かれない。
・・・
全部で二一枚のこっている。失われたものも数葉あるようである。そうしてその全部が、牧童を描いた一枚だけを除いて、アルバ公爵夫人その人も含む、女性像である。そうして盛夏のサンルーカルにあって、人々は昼寝をし、服装もまたルーズとなる。雰囲気はきわめて自由かつエロティックである。」

「・・・たとえば、次のようなデッサンがある。
顔立ちから言って夫人にきわめて似てはいるが確定は出来ない女性が、スカートをまくりあげて丸々としたお尻を見せている。背後へ曲げられた顔の口は、あたかもアカンベエをしているかのようである。
これがもし夫人マリア・テレーサであるとしたら、夫人そのものに、
 - いまあなたがした恰好はこうですよ。
と、さっと墨と筆で素描をしてみせたものであろう。夫人は笑い出すにきまっていよう。もし夫人でなかったとしたら、召使の一人がこんな恰好をしましたよ、とそれを夫人に描いてみせたものであろう。」

「また、これは明らかにマリア・テレーサである女性が、怒りにまかせてか、あるいは絶望をしてか、その長い髪をつかんでむしりとろうとしているかのような図がある。
これも彼女の怒りと絶望の大袈裟さをひやかしたものであろう。ゴヤにそうひやかされて、彼女も苦笑をせざるをえないであろう。」

「さらに黒人幼女のマリアを夫人が膝に抱いて、あたかも乳をのませているかのような図がある。
- まるで実のお母さんですな。
とゴヤは、これもひやかし気味に語っている。」

「後向きに、つまりは頭を前に向けて昼寝している女性のベッドのそばに、召使のはだしの少女がいて、これがおまる(便器)をとりあげている。
 - 美人もこれじゃかたなしですな。
とゴヤは笑っている。」

「もう一枚。夫人は貧血症を起して男の召使に支えられている。
 - これは大変だ。しかし見られた図じゃなかったですよ、夫人。」

「浴衣にガウンを羽織った夫人が、大声で誰かを呼んでいる。
ー 何もそんなに大声をはりあげなくったって……。」

「夫人が髪をふり乱して机に向い、手紙を書いている。
- そんなに根を詰めて書くとからだに毒ですよ。」

「マハの恰好をして頭からマンティーリアを被って、アンダルシーアの背の高い椅子に掛けている。
- なかなか乙でしたぜ。」

 「この画帳はサンルーカル・アルバムと呼ばれている。紙の表裏にさっと描かれていること自体、デッサンのためになされたデッサンではないことを物語っているであろう。
これはいわば、幸福なりしサンルーカルの夏の日々、その絵日記である。
なかに一枚、完全な裸女立像があり、・・・近頃のピエール・ガッシェ氏のデッサン研究によれば、この裸女を夫人としてほとんど断定的に推定をしている。
もしそうだとすれば、彼ら二人の間柄は、もはや如何なる意味でも疑いをさしはさむ余地はない。
またなかに、着衣、及び、裸のマハにきわめて近い構図と顔をもったベッド上の裸女もがいて、事はいっそう惑乱をさせられることになる。」
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