2015年6月1日月曜日

厄払いに与謝野晶子の『五月礼讃』を / 寺山修司の『われに五月を』でもいいな。— 橋本麻里





五月礼讃(らいさん)  与謝野晶子

五月(ごぐわつ)は好(よ)い月、花の月、
芽の月、香(か)の月、色(いろ)の月、
ポプラ、マロニエ、プラタアヌ、
つつじ、芍薬(しやくやく)、藤(ふぢ)、蘇枋(すはう)、
リラ、チユウリツプ、罌粟(けし)の月、
女の服のかろがろと
薄くなる月、恋の月、
巻冠(まきかんむり)に矢を背負ひ、
葵(あふひ)をかざす京人(きやうびと)が
馬競(うまくら)べする祭月(まつりづき)、
巴里(パリイ)の街の少女等(をとめら)が
花の祭に美(うつ)くしい
貴(あて)な女王(ぢよわう)を選ぶ月、
わたしのことを云(い)ふならば
シベリアを行(ゆ)き、独逸(ドイツ)行(ゆ)き、
君を慕うてはるばると
その巴里(パリイ)まで著(つ)いた月、
菖蒲(あやめ)の太刀(たち)と幟(のぼり)とで
去年うまれた四男(よなん)目の
アウギユストをば祝ふ月、
狭い書斎の窓ごしに
明るい空と棕櫚(しゆろ)の木が
馬来(マレエ)の島を想(おも)はせる
微風(そよかぜ)の月、青い月、
プラチナ色(いろ)の雲の月、
蜜蜂(みつばち)の月、蝶(てふ)の月、
蟻(あり)も蛾(が)となり、金糸雀(かなりや)も
卵を抱(いだ)く生(うみ)の月、
何(なに)やら物に誘(そゝ)られる
官能の月、肉の月、
ヴウヴレエ酒の、香料の、
踊(をどり)の、楽(がく)の、歌の月、
わたしを中に万物(ばんぶつ)が
堅く抱きしめ、縺(もつ)れ合ひ、
呻(うめ)き、くちづけ、汗をかく
太陽の月、青海(あをうみ)の、
森の、公園(パルク)の、噴水の、
庭の、屋前(テラス)の、離亭(ちん)の月、
やれ来た、五月(ごぐわつ)、麦藁(むぎわら)で
細い薄手(うすで)の硝杯(こつぷ)から
レモン水(すゐ)をば吸ふやうな
あまい眩暈(めまひ)を投げに来た。




五月の詩・序詞   寺山修司

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

夏休みよさようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ
僕は知る 風のひかりのなかで
僕はもう花ばなを歌わないだろう
僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
そうして僕が知らない僕の新しい血について
僕は林で考えるだろう
木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
さようなら

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥達たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した

われに五月を
1985年5月4日新装初版(定価1500円)思潮社
装幀:森崎偏陸




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