『朝日新聞』2016-06-07
*憲法を考える 自民改憲草案
「保守」の論理(上) 「自民党的な思想」の総括
「国柄」を書き込むもの?
(『朝日新聞』2016-06-07)
自民党憲法改正草案を読み解く。私は、この草案を編んだ人たちの思いにあえて「寄り添う」ことから始めたい。
草案は、自民党的「思想」の総括である。
「家族は、互いに助け合わなければならない」(草案24条)という家族観。
「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」(同102条)などの義務。
現憲法の「個人として尊重」を「人として尊重」(同13条)に改めたうえ、国民の権利は「公益及び公の秩序に反しない限り」(同)尊重されるという制約。
不自由で嫌な感じ。とはいえ、それぞれを「思想」としてみると、趣が変わってくる。
「日本の歴史や文化、あるいは和を尊び、家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っている。こういったことを述べている」。2012年4月27日、東京・永田町の自民党本部で行われた改正草案のお披露目会見。谷垣禎一総裁(当時)は、一から書き直した前文の趣旨について、こう説明した。
翌289日は、サンフランシスコ講和条約の発効から60年の節目の「主権回復の日」。党是に「自主憲法制定」を掲げる自民党にとって、日本人の手で、日本人らしい思想を盛り込んだ憲法を作ることは長年の悲願だ。
戦後の日本政治を牽引したのは、自民党である。それゆえ、自意識の強い自民党議員ほど「我が国」「日本国」との言い回しを多用するというのが、私の取材を通しての実感だ。悪意はなくとも、時に「日本や日本人はかくあるべし」との思考に陥り、民意を置き去りにすることもある。自民党の改憲草案は、そのひとつの証左だろう。
立憲主義からの逸脱を指摘される草案。だが、草案のとりまとめ役を担い、現在は自民党憲法改正推進本部の副本部長を務める礒崎陽輔参院議員は「『立憲主義以外のことを憲法に規定してはいけない』と誰が言ったのか。そんな通説はなかったはずだ」と言う。実は冒頭に記した「思想の総括」とは礒崎氏の弁。憲法に「思想」を盛り込んで何が悪い、というわけだ。
この「思想」は、「国柄」と言葉を変えて発信されることもある。
「美しい田園風景、伝統ある故郷、助け合いの農村文化。日本が誇るこうした『国柄』をしっかりと守っていく」
今年1月の施政方針演説で、安倍晋三首相はこう語った。安倍首相が掲げてきた「美しい国」という思想をかみ砕くと、こうなるということだろう。
童謡が聞こえてきそうな実りの秋。収穫を待つ稲穂が黄金の景色をつくりだし、作業を終えたお年寄りが、のんびりお茶をすすり合う――。「国柄」と呼ぶかは別にして、そのような「原風景」を大事に思うことは、悪いことではない。
礒崎氏は力を込める。
「国柄をあらわすのも憲法の役割だと思う。だからこそ、何が正しいというのはない。わかってほしい。最後は国民が決めるということを」
しかし、憲法に「国柄」を書き込んでいいものなのか。保守の論客をたずねると、「構わない」という答えが返ってきた。
(石井潤一郎)
「保守」の論理(中) 近代立憲主義と別の憲法観
(『朝日新聞』2016-06-08)
憲法を本当にわかっているんですか?
保守を自認し、その思想に詳しい佐伯啓思・京大名誉教授に問われ、たじろいだ。自民党の改憲草案について論じる前にまず、憲法観について考える必要があると、佐伯氏は言うのだ。
わが身を振り返れば、憲法の「初体験」は、中学の公民の授業だった。教師から逐条についての解説はあったような、なかったような。テストに備えて前文や条文を丸暗記したものの、大人になったらどこへやら。似たような経験をしてきた人は、世の中に大勢いると思う。
そのような現状への危機感があってのことだろう、日本弁護士連合会は2008年、「憲法って、何だろう?」という子ども向けの絵本を作った。
「憲法は、リーダーを縛るもの」という項目では、「リーダーが決めるルールが『法律』」「リーダーを縛るルールが『憲法』」。柔らかい字体にほがらかな動物の挿絵。「中学で初体験」の私には、なるほどこれが立憲主義かと、ストンとくる。
だが佐伯氏は、このような憲法観は大きな問題をはらんでいるのだと指摘する。
「西洋の憲法は革命的な出来事のなかで作られ、王権との戦いを通じて市民が権利を唱え、近代立憲主義ができた。日本はそれと同じ歴史ではない」
単純化すればこうだ。
今の憲法は市民が作ったものではない。だから、正統性をもたない。
この点については、安倍晋三首相も強いこだわりを見せている。政権奪還を目前にした、総選挙終盤の2012年12月、インターネット番組でこんな発言をしている。「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」
改正草案は、現憲法の全面改正案だ。第2次世界大戦に敗れ、占領軍が我々におしつけたのが今の憲法である。内容以前に「出自」に問題がある。日本人自身の手で書き直さなければならない――。そうであれば本来は「廃憲」を求めるのが筋だが、改正にとどめているのは政治的思惑あってのことだろう。
佐伯氏は、日本人が憲法を考えるなら「近代立憲主義にとらわれない別の憲法観がある気がしている」と話す。その「別の憲法観」とは、歴史的なものをすくい、表現すること。「国柄」を盛り込む自民党改憲草案が、まさにそうであるように。
「国柄」が草案に盛り込まれた理由の一つに、日本の現状に対する「保守」の不安がある。
佐伯氏は「保守」を「家族、地域、友人など、人と人との信頼関係を大事にする立場」と定義する。共同体がこわれ、隣人の顔や名前がわからない都市化への憂い。高齢化が進む社会で、だれが介護を担うのか。「自助、共助、公助」。戦後日本が経済的繁栄の中で手放してしまったものをもう一度、取り戻さなければならない――。
佐伯氏は強調する。「現状を考えれば、護憲はありえない。憲法を捉え直し、考え直す非常によいチャンスだ」
(石井潤一郎)
「保守」の論理(下) 票にならない、語らない
(『朝日新聞』2016-06-09)
6月1日、安倍晋三首相の記者会見。多くの関心が消費増税先送り表明に注がれるなか、私は、憲法改正について首相が何をどう語るかに注目していた。
「この選挙においても、我々は憲法改正草案を示していますが、『これをやりますから3分の2になるために賛成する人は誰ですか』ということを募っているわけではありません」
あれ? ずいぶんあっさりしているではないか。
そんな首相の姿勢を反映してか、自民党が発表した参院選の公約も、憲法については最後にさらりと触れるのみ。
「各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正をめざす」
自民党改憲草案に込められた思いに、「あえて」寄り添ってきた私としては、なんだかはしごを外された気分だ。
草案は、自民党的「思想」の総括ではなかったのか。ならばなぜ、堂々と有権者に示さないのか。憲法改正への思いはその程度のものなのか――。
自民党議員が憲法改正を真正面に掲げ、有権者に訴えているとは思えませんが?
草案のとりまとめ役で、現在は党憲法改正推進本部副本部長を務める礒崎陽輔参院議員にそう問うと、「慎重になっているだけでしょう。党からも『慎重に発言をするように』という指導は出ているようだ。慎重に、と」という答えが返ってきた。
憲法は、票にならない。
記者になって13年、選挙期間中はとにかく政治家の動向を追ってきた。わかりやすいこと。聴衆にウケがいいこと。選挙に落ちればただの人、1票でも多く獲得したい政治家は、難しい議論や、批判をあびかねないテーマを敬遠しがちだ。
朝日新聞社が4、5両日に行った参院選連続世論調査で、投票先を選ぶときにどの政策を重視するかたずねたところ、「憲法」は10%。憲法改正の是非について世論は割れており、さらに安倍政権のもとでの改憲に警戒感が高まっていることは、各種世論調査をみても明らかだ。
だから、語らない。
選挙戦術としては「正解」かもしれない。だが、国民に新たな義務を課そうとする政治家の態度としては、どうなのか。「保守」は「保身」とは違うはずだ。
「憲法改正の『よい』というところの最大公約数を見いだすのが自民党の仕事だ。極めて現実的にやらないといけない」
礒崎氏は、選挙後の道筋をこう描く。「3分の2」を獲得し、改正できる環境が整えば、変えやすいところからの改正へと突き進んでいくのだろう。
「ここを、こういう理由で、こう改正したい」。そんな主張を聞くことがないまま、参院選の結果いかんによっては、国民は憲法改正の土俵にあげられかねない。
今月22日、参院選が公示される。しっかりと見ておきたい。自民党議員が、憲法について何をどう語るのか。そして、選挙では語らなかったのに、選挙後に冗舌に語り出す政治家は誰なのかを。
(石井潤一郎)
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